2015年12月の訃報のまとめ。野坂昭如の追悼記事はその時書いた。葬儀の記事も大きく出たが、五木寛之は「先駆けの旗だった」と弔辞を述べた。昔は「荒野」とか「デラシネ」とか言っていた五木寛之は、いつのまにか「他力本願」を説く教訓派として再登場した。それを思うと、野坂昭如という人は「不器用」だったんだろうなあとなんだか懐かしくなる。選挙に関わらず、小説を書いていればという人もいるだろうけど。
ビックリしたのは、大みそかのナタリー・コールの訃報(12.31没、65歳)。僕は父親のナット・キング・コールが大好きで、クリスマスソングを集めたCDを年末によく聞く。そうすると他の曲も聞きたくなり、「アンフォゲッタブル」も聞く。そして娘の歌う「アンフォゲッタブル」も聞き直す。父の歌った曲を改めて歌い、「親子共演」もしてる。もちろん、父の音源に合わせて歌うわけだが。これでグラミー賞。今後も何度も聞くだろうけど、僕にとっては、ナット・キング・コールの娘ということになるんだろうなあ。
(ナタリー・コール)
外国の人を先に書くと、指揮者のクルト・マズア(12.19没、88歳)は、旧東ドイツの人で、ライプチヒのゲバントハウス管弦楽団を70年から96年まで務めた。東独の民主化にも貢献した。日本では読響の名誉指揮者として何度も来ているから、僕は聞いてはいないけど、名前は昔から知っていた。
(クルト・マズア)
アメリカ映画の撮影監督、ハスケル・ウェクスラー(12.27没、93歳)の訃報は載ってない新聞もある。アカデミー賞を2回受賞した人(「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」)なんだけど、それ以外の映画の方が思い出深い。「夜の大捜査線」「華麗なる賭け」「アメリカン・グラフィティ」「カッコ―の巣の上で」などなど、60年代、70年代の名作がそろっている。僕が最初に覚えた撮影監督である。「天国の日々」の追加撮影も担当している。監督としても「アメリカを斬る」などの社会批判映画を作った。外国人では、「想像力の共同体」で知られるアメリカの政治学者、ベネディクト・アンダーソン(1.13没、79歳)は、専門とするインドネシアで亡くなった。
驚きと言えば、浪曲師の国本武春(12.24没、55歳)。一回しか聞いたことはないけど、素晴らしく面白かった。名実ともに「浪曲界のエース」で、大体他の人は知らない。浪曲はいまやほとんど聞かれない演芸になっているが、他分野の人にも知られていたのは、この人ぐらいではないか。年齢が年齢だけに、歌舞伎で言えば中村勘三郎を失ったショックと言えば、判る人もいるだろう。
(国本武春)
作詞家の岡本おさみ(11.30没、73歳)は11月最後の日の訃報。何と言っても「旅の宿」と「襟裳岬」で、つまり吉田拓郎の歌が多い。僕が一番好きだったのは、拓郎の「おきざりにした悲しみは」という曲。題名からして、70年代を象徴するような気がする。
(岡本おさみ)
翻訳家で、ハードボイルドの研究家、作家の小鷹信光(12.8没、79歳)は、ハヤカワ文庫にあるハメットの新訳の意義が大きい。「マルタの鷹」はこれで初めて判った。他にも翻訳はいっぱいあって、「大西部の詩人」ジェイムズ・クラムリーの酔いどれ探偵ミロシリーズもこの人。スタークの悪党パーカーシリーズなど、この人の翻訳をずいぶん読んでいると思う。「探偵物語」の原案者でもあるという。
(小鷹信光)
翻訳家と言えば、今では詩人、タオイスト(老荘主義者)という方が知名度が高い加島祥造(12.25没、92歳)。僕はもともと英米文学翻訳者として相当読んでいる。フォークナーもこの人なら、アガサ・クリスティもずいぶんある。硬軟取り混ぜ、他にもいろいろ読んでると思う。でも、その後伊那谷に住み、「求めない」などの詩集が有名になり、タオイストになった。僕は縁者を教えたこともある。
(加島祥造)
人は一生の間にいろいろの顔を持つものだけど、戦後の有名人の中でも安藤昇(12.16没、89歳)ほど極端な人はいないだろう。戦後の渋谷で「安藤組」を作った本物の「学生ヤクザ」である。学生というのは法政大学中退という経歴がある。いわゆる「特攻隊崩れ」の「愚連隊」で、映画「安藤組外伝 人斬り舎弟」(中島貞夫監督)という映画を見ると、当時のようすが伝わってくる。1958年に「横井英樹襲撃事件」を指示して、1964年まで収監された。(横井英樹は、白木屋乗っ取り事件などで有名な「実業家」または「虚業家」とでもいうべき人物。晩年にはホテル・ニュージャパン社長となるが、スプリンクラーも設置せず、火事で多くの犠牲者をだし、業務上過失致死で実刑判決を受けた。)一方、出所した安藤は、1965年に自伝を出して、映画化に際し自分で主演した。松竹、東映で多くの映画に出演し、たくさんのヤクザ映画に出ている。元ヤクザという域を超えた存在感のある役者だし、本やレコードもたくさん出している。どう評価すべきか迷うような存在。ずっと「自分自身を演じた」ということで一貫性があったのかもしれない。昨年シネマヴェーラ渋谷で安藤昇特集があり、いくつか見たが、要するに安藤昇だから面白いとかつまらないとかはないと思う。脚本家や監督の問題。同じ映画館の田中登監督特集で、2月に「安藤昇のわが逃亡とSEXの記録」というとんでもない名前の実録映画が上映される。もちろん本人主演。
(安藤昇)
以下、写真のない人。直木賞作家の杉本章子(12.4没、62歳)。受賞作「東京新大橋雨中図」しか読んでない。幕末明治の「最後の浮世絵師」小林清親を描く。今年は直木賞作家が6人も亡くなった。陳舜臣、佐木隆三、高橋治、車谷長吉、野坂昭如、杉本章子。
生化学者の早石修(12.18没、95歳)は、酸素が体内でアミノ酸などと反応する時に働く「酸素添加酵素」を発見した。と言ってもよく判らないが、昔はずっとノーベル賞候補と言われていたから、名前は知っている。文化勲章受章。日産がルノーと提携を決定した時の社長、塙義一(12.18没、81歳)。上方漫才の海原小浜(12.24没、92歳)は「海原お浜、小浜」でコンビを組んで活躍した。広島県知事を4期勤めた藤田雄山(12.18没、66歳)は、参議院議員から44歳で知事になった。元参院議長藤田正明の子どもだが、要するにフジタ財閥の人。実弟はトウショウボーイなどで知られるトウショウ牧場を持っている。「トウショウ」っていうのが、藤田正明のことなのである。
ビックリしたのは、大みそかのナタリー・コールの訃報(12.31没、65歳)。僕は父親のナット・キング・コールが大好きで、クリスマスソングを集めたCDを年末によく聞く。そうすると他の曲も聞きたくなり、「アンフォゲッタブル」も聞く。そして娘の歌う「アンフォゲッタブル」も聞き直す。父の歌った曲を改めて歌い、「親子共演」もしてる。もちろん、父の音源に合わせて歌うわけだが。これでグラミー賞。今後も何度も聞くだろうけど、僕にとっては、ナット・キング・コールの娘ということになるんだろうなあ。
(ナタリー・コール)
外国の人を先に書くと、指揮者のクルト・マズア(12.19没、88歳)は、旧東ドイツの人で、ライプチヒのゲバントハウス管弦楽団を70年から96年まで務めた。東独の民主化にも貢献した。日本では読響の名誉指揮者として何度も来ているから、僕は聞いてはいないけど、名前は昔から知っていた。
(クルト・マズア)
アメリカ映画の撮影監督、ハスケル・ウェクスラー(12.27没、93歳)の訃報は載ってない新聞もある。アカデミー賞を2回受賞した人(「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」)なんだけど、それ以外の映画の方が思い出深い。「夜の大捜査線」「華麗なる賭け」「アメリカン・グラフィティ」「カッコ―の巣の上で」などなど、60年代、70年代の名作がそろっている。僕が最初に覚えた撮影監督である。「天国の日々」の追加撮影も担当している。監督としても「アメリカを斬る」などの社会批判映画を作った。外国人では、「想像力の共同体」で知られるアメリカの政治学者、ベネディクト・アンダーソン(1.13没、79歳)は、専門とするインドネシアで亡くなった。
驚きと言えば、浪曲師の国本武春(12.24没、55歳)。一回しか聞いたことはないけど、素晴らしく面白かった。名実ともに「浪曲界のエース」で、大体他の人は知らない。浪曲はいまやほとんど聞かれない演芸になっているが、他分野の人にも知られていたのは、この人ぐらいではないか。年齢が年齢だけに、歌舞伎で言えば中村勘三郎を失ったショックと言えば、判る人もいるだろう。
(国本武春)
作詞家の岡本おさみ(11.30没、73歳)は11月最後の日の訃報。何と言っても「旅の宿」と「襟裳岬」で、つまり吉田拓郎の歌が多い。僕が一番好きだったのは、拓郎の「おきざりにした悲しみは」という曲。題名からして、70年代を象徴するような気がする。
(岡本おさみ)
翻訳家で、ハードボイルドの研究家、作家の小鷹信光(12.8没、79歳)は、ハヤカワ文庫にあるハメットの新訳の意義が大きい。「マルタの鷹」はこれで初めて判った。他にも翻訳はいっぱいあって、「大西部の詩人」ジェイムズ・クラムリーの酔いどれ探偵ミロシリーズもこの人。スタークの悪党パーカーシリーズなど、この人の翻訳をずいぶん読んでいると思う。「探偵物語」の原案者でもあるという。
(小鷹信光)
翻訳家と言えば、今では詩人、タオイスト(老荘主義者)という方が知名度が高い加島祥造(12.25没、92歳)。僕はもともと英米文学翻訳者として相当読んでいる。フォークナーもこの人なら、アガサ・クリスティもずいぶんある。硬軟取り混ぜ、他にもいろいろ読んでると思う。でも、その後伊那谷に住み、「求めない」などの詩集が有名になり、タオイストになった。僕は縁者を教えたこともある。
(加島祥造)
人は一生の間にいろいろの顔を持つものだけど、戦後の有名人の中でも安藤昇(12.16没、89歳)ほど極端な人はいないだろう。戦後の渋谷で「安藤組」を作った本物の「学生ヤクザ」である。学生というのは法政大学中退という経歴がある。いわゆる「特攻隊崩れ」の「愚連隊」で、映画「安藤組外伝 人斬り舎弟」(中島貞夫監督)という映画を見ると、当時のようすが伝わってくる。1958年に「横井英樹襲撃事件」を指示して、1964年まで収監された。(横井英樹は、白木屋乗っ取り事件などで有名な「実業家」または「虚業家」とでもいうべき人物。晩年にはホテル・ニュージャパン社長となるが、スプリンクラーも設置せず、火事で多くの犠牲者をだし、業務上過失致死で実刑判決を受けた。)一方、出所した安藤は、1965年に自伝を出して、映画化に際し自分で主演した。松竹、東映で多くの映画に出演し、たくさんのヤクザ映画に出ている。元ヤクザという域を超えた存在感のある役者だし、本やレコードもたくさん出している。どう評価すべきか迷うような存在。ずっと「自分自身を演じた」ということで一貫性があったのかもしれない。昨年シネマヴェーラ渋谷で安藤昇特集があり、いくつか見たが、要するに安藤昇だから面白いとかつまらないとかはないと思う。脚本家や監督の問題。同じ映画館の田中登監督特集で、2月に「安藤昇のわが逃亡とSEXの記録」というとんでもない名前の実録映画が上映される。もちろん本人主演。
(安藤昇)
以下、写真のない人。直木賞作家の杉本章子(12.4没、62歳)。受賞作「東京新大橋雨中図」しか読んでない。幕末明治の「最後の浮世絵師」小林清親を描く。今年は直木賞作家が6人も亡くなった。陳舜臣、佐木隆三、高橋治、車谷長吉、野坂昭如、杉本章子。
生化学者の早石修(12.18没、95歳)は、酸素が体内でアミノ酸などと反応する時に働く「酸素添加酵素」を発見した。と言ってもよく判らないが、昔はずっとノーベル賞候補と言われていたから、名前は知っている。文化勲章受章。日産がルノーと提携を決定した時の社長、塙義一(12.18没、81歳)。上方漫才の海原小浜(12.24没、92歳)は「海原お浜、小浜」でコンビを組んで活躍した。広島県知事を4期勤めた藤田雄山(12.18没、66歳)は、参議院議員から44歳で知事になった。元参院議長藤田正明の子どもだが、要するにフジタ財閥の人。実弟はトウショウボーイなどで知られるトウショウ牧場を持っている。「トウショウ」っていうのが、藤田正明のことなのである。