尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

琴奨菊の初優勝②

2016年01月30日 00時37分49秒 | 社会(世の中の出来事)
 相撲は個人競技ではあるけれど、同部屋の力士は対戦しないので、ある種の「団体競技」的な性格がある。この「部屋」制度が古いと言えば古い。指導者も元力士が「親方」という古めかしい名前でやっている。「親方株」などというから、「株仲間」制度なのである。歌舞伎役者だって、今は世襲以外でもなれる道があるが、アマチュア相撲の指導で実績を上げても大相撲の親方になれるわけではない。こういう世界を古いというだけで否定すると、相撲を楽しめない。

 現実に「相撲部屋」がある以上、ひいき力士が出来てくると部屋ぐるみファンになったりする。同部屋対戦がないわけだから、好きな力士と同じ部屋の力士も応援しやすいのである。「一緒にがんばれ」と思ったり、横綱や大関がいる部屋の力士には「他の部屋の横綱や大関を破ってくれ」と思うわけである。僕の場合、佐田の山がいた出羽の海部屋なんかは、そう思って応援する気持ちになった。その後は佐渡ヶ嶽部屋もそうである。先代の佐渡ヶ嶽親方は元横綱の琴櫻。69年に大関で優勝して以来活躍がなく、万年大関と思われていた。ところが、1972年11月と翌73年1月に14勝1敗で連続優勝して、突然横綱に駆け上がった人である。横綱で一回優勝したが、結局8場所で引退し、これは短命横綱の2位となっている。しかし、「猛牛」と言われた突進相撲の琴櫻を特に好きだったわけではない。

 引退後に部屋を引き継ぎ、多くの関取を育てた。大関だけでも琴風琴欧洲琴光喜がいる。横綱はいないが、関脇経験者の琴錦(2回)や琴富士(1回)は平幕優勝している。僕はこの琴風という大関が好きだったのである。「がぶり寄り」が得意だけど、ケガが多く、関脇から幕下まで陥落しながら、再起して大関に昇進した。優勝も2回経験しているが、再び怪我で大関を陥落した。そういう苦労人だけど、解説で出てくる尾車親方は笑顔で理路整然と語っている。琴奨菊のファンになったのは、要するにがぶり寄りという型が「琴風の再来」だからだと言っていい。他にも琴錦の速攻も好きだったし、琴欧洲や琴光喜も気になる力士だった。元琴櫻の先代は2007年に琴光喜の大関昇進直後に急逝し、今は娘婿である元関脇琴ノ若が継いでいる。孫になる琴鎌谷も相撲界に入り、初場所で序の口優勝を果たした。(ちなみに、琴ノ若は山形県尾花沢出身で、昔銀山温泉へ行ったとき、巨大な全身写真が途中の道にあって度肝を抜かれた思い出がある。)

 「若貴ブーム」の頃からまた相撲を見ていると前回書いたけど、それは貴乃花や若乃花のファンだったという意味ではない。当時の二子山部屋は最盛期には横綱に若貴、大関に貴ノ浪、三役クラスに安芸乃島貴闘力がいた。同部屋だから対戦がないから、明らかに有利である。一方、それに対抗する武蔵川部屋には、横綱武蔵丸、大関に出島武双山雅山を擁していた。ルールだからやむを得ないが、これでは有力力士同士の対戦がなくなり、興趣が失せるではないか。

 ハワイ出身の曙や武蔵丸が引退すると、モンゴル出身の朝青龍白鵬が出てきた。朝青龍が出てきたときは、今書いたような「二子山対武蔵川」、あるいは「若貴vsハワイ勢」という構図を突き崩す面白さがあった。今までにないような独特の相撲ぶりの速攻で、他の力士が付いていけず、朝青龍の優勝回数が25回にもなった。それに対抗したのが、後からやってきた白鵬だった。朝青龍の横綱昇進は2003年3月、1月に貴乃花が引退していて、11月には武蔵丸も引退し、朝青龍の一人横綱となる。2004年から、白鵬が2007年7月に昇進するまで、一人横綱が続いた。しかし、「角界のトリックスター」とでもいう存在だった朝青龍は2010年1月場所で優勝したのを最後に、不祥事を理由に事実上相撲界を追放された。以後、日馬富士が2012年11月に昇進するまで、今度は白鵬の一人横綱が続いた。

 この一人横綱で相撲界を支えた朝青龍と白鵬の功績は非常に大きい。朝青龍は追放されて今はあまり語られないが、一時代を作ったのは間違いない。でも朝青龍は異能力士なので、本格派の白鵬が台頭して相撲ファンはホッとしたはずである。大麻問題、野球賭博、八百長メールともめ続け、そのあげく本場所中止に追い込まれた2011年3月、あの東日本大震災が起こった。そしてちょうどその日、3月11日は白鵬の誕生日だった。この困難な時期を一人横綱として支えてきた白鵬の功績は、単に優勝回数や連勝記録だけでは測りきれない。そのことは相撲ファンは皆よく判っているはずである。相撲ファンだけではなく、多くの日本人も判っていると思う。

 だけど、やっぱり「強すぎる横綱」は、優勝争いの興趣を削ぐ。「日本人力士の優勝がない」というのは、事実上朝青龍と白鵬が優勝し続けたということである。朝青龍が初めて優勝した2002年11月場所から、今場所まで79場所があった。(一場所は中止。)うち、朝青龍が25回、白鵬が35回、合計60回。76%ほどもある。日馬富士の7回も加えれば、85%ほどにもなる。他の優勝力士は魁皇と栃東と鶴竜が2回ずつ。後は千代大海、琴欧洲、把瑠都、旭天鵬、照ノ富士、琴奨菊が1回である。横綱と言わずとも大関は他に何人かいるのだから、日本出身でなくても頑張って優勝争いを面白くして欲しいと思うのは、当然のことだろう。江戸時代半ばころの歴史より、戦国時代や幕末の方が面白いという人が圧倒的だろう。大河ドラマだって大体がその時代である。相撲に限らず、野球もサッカーもいろいろなチームに活躍して欲しいと思うのは当然だ。

 と僕は思うのだが、相撲そのものが古い世界だから、ファンの中にも古い感覚が残っている部分はあるだろう。外国人力士を受け入れている以上、強い力士が優勝するのは当然だが、「国籍にこだわる」人がいるのは間違いない。ある意味、大衆的なナショナリズムとも言えるだろう。外国人力士は母国のファンがテレビで見ているかもしれないが、本場所のチケットを買ったり、巡業で盛り上がるのは、もちろん日本人のファンである。幕内には15人の外国出身者がいるが、その分巡業で日本のファンが盛り上がれる地方出身力士が少なくなるわけである。地方のファンは地元出身者を応援するが、地元意識はある程度の広がりがある。高校野球だったら、住んでる町の高校が出れば一番いいが、そうもいかないから住んでる県の代表を応援する。その高校が負けてしまえば、東北地方や四国地方といったくくりで近隣県でも応援する気が出てくる。そういう人が多いはずだ。

 そういう意味の拡大した形が「日本」という意識になる場合もある。それが素朴なナショナリズムで、それ自体はよい面もあり、悪い面もある意識である。日本出身力士が優勝して大騒ぎするというのは、この間あまりにもモンゴル出身横綱の優勝が独占されてきた以上、当然出てくる感情だと僕は思う。そう思ってテレビを見て応援していた人の気持ちが判らないと、他のことも判らなくなってしまうだろう。何故なら、「反独占」というのが、社会問題の意識の出発だから。でも、それが特に白鵬の偉大さを損なうような事になってはいけないと僕は思う。今度は「素朴な排外主義」になりかねないから。まあ、そんなところで長くなるからこの話も止めたい。まだ書き足りない感じもするが、一応そんなところで。
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