尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

5時間超の傑作映画「ハッピーアワー」

2016年01月19日 23時55分05秒 | 映画 (新作日本映画)
 濱口竜介監督の5時間17分に及ぶ「ハッピーアワー」(Happy Hour)が12月から公開されている。時間が時間だけになかなか見るチャンスがなかったけど、ようやく見た。間違いなく昨年公開の日本映画で最も面白い何本かに入る傑作である。(キネマ旬報ベストテン3位に選出。)ロカルノ映画祭で、4人の女優に主演女優賞が贈られた。なかなか見るチャンスもないかと思うが、ぜひ時間を作ってみて欲しい映画。長さの心配は全くしないでいい。面白くて時間を忘れて見られる。(東京では1月22日まで、シアター・イメージフォーラムで上映。)

 今映像を載せたチラシの写真には、ケーブルカーに乗る4人の女性が映っている。どこだろうと思うと、神戸の六甲山のケーブルカーだと会話で判る。この4人の女性が主人公で、友だち同士である。37歳で、全員が結婚したことがあり、一人は中学生の子があり、一人は離婚した看護師で、後の二人は結婚継続中だが子どもはいない。それで友だち同士だから、どこかの大学の同級生かななどと思うが、二人が中学からの友人、後の二人は30過ぎてからの知り合いだという。最初の六甲ピクニックだけ見ると、和気藹々として、今度は有馬温泉に行こうなどと盛り上がっている。それで幸せそうな会話がずっと続くハッピーな映画になるかというと、もちろんそんなことはない。

 この4人の女性は、全員がアマチュアの俳優がやっている。非常に存在感があり、最初はどんな人だろうと思っているわけだが、皆それぞれ抱えているものがあると判ってくる。俳優の知名度で売る映画ではないから、この4人の素晴らしい「女優」はここでは書かないことにする。第一部で「重心を聞く」というワークショップの場面がまず面白い。アートセンターみたいなところの職員(プログラムには「キュレーター」とある)がいて、参加者が少ないから来てと誘うのである。その日は鵜飼という人が来て、まず会場の椅子を立ててみせる。いやあ、これはちょっとビックリである。震災ボランティアで東北へ行き、流れ着くガレキを立てていたら、「からだの重心」という感覚を得たらしい。それ以来、「重心」をテーマにした身体活動を行っているという。その後、さまざまな身体のレッスンを行う。それで終わるかと思うと、そこで語られた「身体の声を聞く」ということが、後々の展開を予告していた。そして、鵜飼という人物も、意外な形で最後に関わりが出てくる。

 第2部が「怒涛の展開」で、いやあ、それはそれはの連続。まず、離婚裁判から始まり、4人組にも亀裂が入り始める。有馬温泉では修復された幸福な時間が流れるように思うが、もうそこには「二度とない」ものが始まっていたのである。これから見る人のために詳しい展開は書かないが、4人の女性を「観察」することで、日本社会があぶりだされてくるのが素晴らしい。ドキュメント的な感じの作りかと予想するが、実はとても「劇映画」的な手法を駆使して、流れるような時間感覚をうまく演出している。

 第3部になり、亀裂は様々に深まりゆくが、同時に「人が誰かを好きになるとはどういうことか」という大きな問いに立ちすくむような思いがしてくる。30代後半といえば、それなりの「恋愛経験」があある時期だけど、だからこそそれぞれの人間の本質が見えてくる。仕事や家庭でもいろいろある時期だし。夫婦や親子だけを見つめたベルイマンの映画などもあるが、この映画はさまざまな人々のさまざまなエピソードを描きわけ、全体として「現代日本」が見えてくる。けっして「ハッピー」ではない時間が。この映画は現実の日本人より、ワークショップなどで人々が「語っている」と思う。ここまで現実の日本人は会話できない感じはする。その意味では、「言葉の力」を「身体の力」と同じように使いこなした映画といえる。(だけど、アマチュア俳優がほとんどということから、俳優の顔や身体(の歪みも含めて)がかつてなく観察されている映画だと思う。)

 濱口竜介(1978~)って誰だっけという感じだが、東日本大震災の被災者インタビューを撮った「なみのおと」「なみのこえ」を作った人(酒井耕との共同監督)。それ以前に「PASSION」(2008)が東京フィルメックスなどに出品、日韓合作の「THE DEPTHS」(2010)、4時間を超える「親密さ」(2012)など、劇映画を作り続けている。神奈川生まれだが、今は神戸を拠点に活動中という。映画中でワークショップや朗読会を行うセンターがあるが、そこは「神戸KIITO」というクリエイティヴ・デザインセンターだという。濱口監督はそこで演技のワークショップをしていて、主演の女優はその中から選ばれた。そういう映画の作り方も含めて、新しい才能が花開いた感じで、素晴らしい成果だと思う。
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比例代表制だけなら、どうなるか-選挙制度論③

2016年01月19日 00時44分32秒 |  〃  (選挙)
 小選挙区の当選に決め方について、「決選投票」と「順位付け投票」という案を書いた。まあ、選挙の仕組みなんか、あまり関心がない人が多いと思うけど、世の中の仕組みの作り方、あるいは「代表というものの選び方」は、社会の中心的なテーマである。本来は、「頭の体操」として、ビジネスマンの研修などに使われるべきだし、理科系の学者も大いに意見を出すべき問題だ。(僕は社会科の授業の中で「文化祭の出し物をどう決めるのが、クラスにとって一番いいか」を話題にした。)

 その問題は「ひとつの結論を出す際に、どうすれば参加者の公平感が保障されるか」という問題である。しかし、一つに決めてしまえば、違う意見の人はどうしても不満が残るものだ。どうしても一つ(一人)にしないといけない場合は別だが、何百人も決める国会議員選挙なら、「完全な比例代表選挙」一本にしてしまえば、少なくとも「ある党派が選挙制度のせいで取りすぎる」という不満はなくなる。

 そして、原理的に「一票の格差」がなくなるから、国政選挙のたびに繰り返される「違憲訴訟」、「違憲判決」はなくなる。それはとても大切な観点だと思う。だけど、比例代表にすればいいというものでもない。「当選議員の決め方」もその一つだけど、そもそも比例だけだと多数派が作りにくい。その結果、世界各国でかなりあるように、「政権のかたちがいつまでも決まらない」ということになりかねない。実際に、比例だけだとどうなるかを以下で見てみたい。

 ここ10年ほどの日本政治を簡単に振り返ると、2005年の「郵政民営化解散」で、自公与党が3分の2の勢力を得た。しかし、後任の安倍政権時代に、2007年の参院選で自民が大敗し、「衆参のねじれ」が生じた。2009年の衆院選で、民主党が大勝利して政権を獲得したが、2010年の参院選で民主党(菅内閣)が敗北し、再び「衆参のねじれ」が生まれた。その後、2012年暮れの衆院選で、自民党が大勝利して、第二次安倍内閣が成立し、2014年暮れの衆院選でも再び自民・公明の与党が大勝利した。という風に、衆院選では4回連続で与党が3分の2の勢力を得ている。一方、参議院では2回にわたって「衆参のねじれ」が生じて、それが政権運営に大きな影響を与えたわけである。

 ところで、衆議院も参議院も、比例代表とそれ以外の選挙を同時に行っている。だから、それぞれ比例代表で当選した議員数だけを比べてみることができる。まあ、比例だけとなると、国民の投票行動も変わるかも知れないが、それを言っては先に進まないから、一応の参考資料として提示するわけである。そうすると、衆議院は180人(過半数は91人)、参議院は96人(過半数は49人)になる。

衆議院の場合
 比較のために、2003年の衆院選から見ておく。自民69、公明25で与党計94。過半数をわずかに超えているので、自公政権が成立する。民主党は72、共産9、社民5。野党計86で、比例で当選した政党はこの5つしかなかった。2005年の衆院選は、自民77、公明23の与党計100で、確かに大勝利である。しかし、3分の2の「120」には遠く及ばない。民主は61、共産9、社民6の他、国民新党2、新党日本1、新党大地1が当選した。「100対80」だから、郵政民営化で圧勝というほどの印象は持てない。

 さて、2009年の衆院選。自民は55、公明は21で、計76だから、過半数を割り込み下野する。民主は87、社民4を加えて91。国民新党の比例当選はなかった。共産9、みんなの党3、新党大地1である。だから、民主党政権は成立するだろうが、社民党が連立を離脱したら崩壊する可能性がある。自民、公明が出す不信任案に社民が同調すれば可決される数である。

 2012年の衆院選。驚くのはここで、民主が分裂して自公が圧勝して安倍政権が成立と皆が思い込んでいるだろうが、実は違う。自民57、公明22で、合計79だから、過半数には遠く及ばない。民主は30に激減して政権は失う。しかし、日本維新の会が40で民主より大きい。みんなの党14、日本未来の党7、社民1、新党大地1である。だから、恐らくは自民、公明に維新を足した政権になっていたのだろう。2014年の衆院選は、政権に復帰した自民が12年よりは好調だった。自民68、公明26で与党計94。民主は35、維新の党30、共産20、社民1である。だから、自公政権は成立するが、過半数ギリギリである。このように政権の枠組みは同じだが、3分の2を取るほど大勝利した時はない。

参議院の場合
 もう面倒な人が多いと思うけど、資料として示しておくので、テキトーに流し読んで欲しい。まず、2001年の小泉政権直後の参院選から。この時から「非拘束名簿式」になり、それが続いている。自民は20、公明は8で、半数改選の半分24を超えている。民主8、共産4、自由4、社民3、保守党1.自由党はその後丸ごと民主党に合流するので、民主12と考えてもいい。
 2004年の参院選。自民15、公明8、民主19、共産4、社民2で、前回の非改選と合わせると、「2004~2007」の参議院は、自民35、公明16、保守1で、与党は52。民主は31、共産8、社民6。

 2007年の参院選。自民14、公明7、民主20、共産3、社民2、国民新党1、新党日本1。非改選と合わせて、「2007~2010」の参議院は、自民30(保守党を含む)、公明15で、与党計46。民主39、共産7、社民4、国民新1、新党日本1。野党計52。議長を出しても確かに野党が少しだけ多い。

 2010年の参院選。自民12、公明6で、当時政権にあった民主16、共産3、社民2だが、他にみんなの党7、たちあがれ日本1、新党改革1となる。非改選と合わせると、「2010~2013」の参議院は、自民26、公明13に対し、民主36、共産6、社民4、みんな7、たち日1、改革1。民主は大敗し「衆参ねじれ」になったとは言えない。確かに民主は過半数は持たないが、みんなの党がカギを握っている。共産、社民は自民に同調はしないだろうから、実際の政局で起こった「自民、公明、民主」の「三党合意」はなかった可能性がある。

 2013年の参院選。自民18、公明7で改選の半数は超えている。民主7、共産5の他、維新6、みんな4、社民1。これ以後は今現在の参院と同じだから、その後の政党の離合もあるから、現在の議員の中で比例当選のみを取り出しておく。自民30、公明13。与党計43。あれれ、参院は今現在、自公の与党で過半数を持っていなかったことになるのである。民主22、共産8、社民3の他、「維新・元気の会」8、「おおさか維新」5、「日本のこころを大切にする党」2、生活の党1、無所属クラブ1、無所属2となる。現実に比例だけとなると、また変わってくると思うが、自公圧勝も民主圧勝もなく、「ねじれ」もない時があった。現在でさえ、参院で自公だけでは過半数はないということになる。比例だけにすると、こういう風に小選挙区で圧勝する党が亡くなるから、良くも悪くも「マイルドな差」になるのである。いや、少し選挙マニア的な数の羅列になった。じゃあ、それが何なんだという話は今後。
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