本格的にきちんと書こうと思うと、結構調べる必要が出て来て大変、そんなに関心もない話題はスルーしてしまいがち。自分の趣味や関心の範囲内だけで書いていると、書かないで終わる問題が多い。そういうことが多いので、今年から「社会時評」「国際時評」を書くことにしようと思う。毎月書きたいと思うんだけど、無理して書くこともないので、書かない月もあるかもしれない。
さて、1月の「巷の話題」の第一は、「SMAP解散騒動」ではないか。これは週刊新潮が特ダネとして大々的に打ち出して、大騒動になった。週刊新潮と週刊文春は、毎週木曜日に発売されるが、水曜日に早刷りが出回り始め、「明日発売の週刊○○が報じるところによれば…」と大騒ぎになってしまう。その前に週刊文春が「ベッキー問題」というのを特ダネ報道していて、その後「甘利大臣疑惑」という大問題の特ダネを放った。これで安倍内閣発足以来、第一次安倍政権の時も含めて、常に大臣の地位にあった大物側近議員が大臣を辞職するに至った。(「ベッキー騒動」の時に、「私以外私じゃないの」を歌ってマイナンバーカードを紹介する甘利大臣の映像が流されていたものだが…。)
ちょっと前までは、芸能界ネタは女性週刊誌、政界疑惑は社会党や共産党…に持ち込むことが多かったと思う。甘利氏を告発した人は、もともと右翼活動家だったということで、共産党や民主党に持ち込まなかったのかもしれないが、僕にはよく判らない。女性週刊誌は業界誌みたいなもんだから、業界の思惑を超えるスキャンダルは今は「出版社系」と言われる方が強いのだろう。新聞社系は「週刊読売」は廃刊したが、「週刊朝日」と「サンデー毎日」はあるけど存在感が薄いのではないか。
新潮と文春は、どっちも「反人権的」な論調が多い。気を付けて読まないといけないが(週刊誌そのものが新聞以上に気を付けて読まないといけないが)、それぞれライバルとされていてスキャンダル報道では違う相手の立場を代弁することが多い。読む側にも「週刊誌リテラシー」が必要。世の中には、新聞はテレビ欄と週刊誌の広告しか読まない、それどころか電車の中づり広告で世の中を判断するというような人もいる。本格的な「週刊誌リテラシー」学が必要だろう。
ところで、SMAP問題そのものにはほとんど関心がないし知識もない。まあ、メンバーの名前を全員知っている数少ないグループではあるけど。僕が驚いたのは、「解散しないで署名運動」が起きたことである。僕のアドレスにも送られてきた。(僕は原則的にはアムネスティなどいくつか以外の電子署名はしないんだけど。)解散しないでというのは、全員で事務所を脱退してもいいわけだが、そういう意味ではないようだった。「どんな決断をしても尊重します」というのが「ファン道」だと思うのだが、違うのだろうか。「アイドル」をめぐる裁判も報道された。「恋愛禁止」は「憲法の幸福追求権違反」だという判断である。反対の判断も昨年東京地裁で示されている。判断は難しいが、やがては「契約そのものが民法の公序良俗違反」とされていく可能性があるだろう。(女性の早期退職制度のように。)
大きく報道されたのは、「軽井沢スキーバス事故」である。連日の大報道も、一段落した感じだが、報道される被害者学生の「立派さ」にも驚いた。写真の多くはFacebookから取られているが、まあ、自分なりの自信作を載せているわけでもあるだろう。卒業、就職が決まってない人は、皆で旅行に行けるわけないから、そういう意味では初めから「リア充」学生が多いはずではある。でも、「イマドキ」の学生は皆ウックツを抱えず頑張っているのかなあなどとも思ったものである。
僕は「運転手」の側が抱えていたさまざまの問題も、身にせまってくる気がする。ある新聞に「長距離バス運転手は60歳定年に」という投書が載っていて、ビックリした。この年代は年金支給が60歳ではない。どうしろというんだろうか。会社は事務職で雇えというんだろうか。それともトラックやタクシーの運転手になればいいのか。第一、年金も出ないのに定年になってしまうというのなら、誰も長距離バス運転手にならないだろう。65歳で深夜バスの運転手をしたくてしてたわけではないだろう、その運転手のライフヒストリーの中に、日本社会が見えてくるはずだと思う。
「coco壱番屋」のビーフカツ横流し問題というのもあった。調べてみれば、出るわ出るわ、他にもっと横流しがいっぱいあった。この問題の全容はなかなか見えていない。しかし、この産廃業者は、壱番屋から廃棄料を取っていて、その上で廃棄せずに他へ売っていた。これは「詐欺」ではないか。「食の安全」を論じる前に、どっちからも金を取っていたら詐欺だと思う。しかし、その業者が横流しを始めたのは、原発事故の「風評被害」からだという話。ここに、「日本社会」が見たくないものを「洗浄」してしまう「闇のシステム」があるということが可視化された。
これらのニュースを見聞きして、日本社会は「命を大切にしているのだろうか」とか、「日本はどうなってしまったのだろう」などという人がいる。いやあ、ずっと前からそうじゃないか、知らなかったのかいと言いたくもなってしまう。どの問題を見ても、日本社会には「個人が幸せになりにくい」という側面があることが見える。それは見えないシステムだから、見たくない人には見えない。しかし、時々大事故などを通して見えてくるわけである。
さて、甘利大臣スキャンダル。これで安倍内閣支持率は下がらない。下がるはずだ、下がって欲しいと思う人には残念だが、最近出てきた調査ではむしろ上がっている。甘利氏の出処進退に対してもも、「秘書の問題の責任を取って潔く辞めた」と思っている人が多いのである。この問題は、贈収賄にはならない。「内閣府特命相」の職務権限に入らないからである。秘書の刑事責任は逃れようがないが、小渕優子の時と同じように、秘書が責任を取らされてオシマイと思われる。しかし、日本という国は(他の世界の多くの国と同じく)、有力者の口利きが有効な国だということである。そう思ってなければ、誰も頼まないし、皆も不思議に思わない。こうして、SMAPも解散しなそうだし、安倍首相の支持率も上がってるし、まあ、こだわっても仕方ないよなあというムードの新年明けである。これで参院選だったら、結果は見えているかな。
さて、1月の「巷の話題」の第一は、「SMAP解散騒動」ではないか。これは週刊新潮が特ダネとして大々的に打ち出して、大騒動になった。週刊新潮と週刊文春は、毎週木曜日に発売されるが、水曜日に早刷りが出回り始め、「明日発売の週刊○○が報じるところによれば…」と大騒ぎになってしまう。その前に週刊文春が「ベッキー問題」というのを特ダネ報道していて、その後「甘利大臣疑惑」という大問題の特ダネを放った。これで安倍内閣発足以来、第一次安倍政権の時も含めて、常に大臣の地位にあった大物側近議員が大臣を辞職するに至った。(「ベッキー騒動」の時に、「私以外私じゃないの」を歌ってマイナンバーカードを紹介する甘利大臣の映像が流されていたものだが…。)
ちょっと前までは、芸能界ネタは女性週刊誌、政界疑惑は社会党や共産党…に持ち込むことが多かったと思う。甘利氏を告発した人は、もともと右翼活動家だったということで、共産党や民主党に持ち込まなかったのかもしれないが、僕にはよく判らない。女性週刊誌は業界誌みたいなもんだから、業界の思惑を超えるスキャンダルは今は「出版社系」と言われる方が強いのだろう。新聞社系は「週刊読売」は廃刊したが、「週刊朝日」と「サンデー毎日」はあるけど存在感が薄いのではないか。
新潮と文春は、どっちも「反人権的」な論調が多い。気を付けて読まないといけないが(週刊誌そのものが新聞以上に気を付けて読まないといけないが)、それぞれライバルとされていてスキャンダル報道では違う相手の立場を代弁することが多い。読む側にも「週刊誌リテラシー」が必要。世の中には、新聞はテレビ欄と週刊誌の広告しか読まない、それどころか電車の中づり広告で世の中を判断するというような人もいる。本格的な「週刊誌リテラシー」学が必要だろう。
ところで、SMAP問題そのものにはほとんど関心がないし知識もない。まあ、メンバーの名前を全員知っている数少ないグループではあるけど。僕が驚いたのは、「解散しないで署名運動」が起きたことである。僕のアドレスにも送られてきた。(僕は原則的にはアムネスティなどいくつか以外の電子署名はしないんだけど。)解散しないでというのは、全員で事務所を脱退してもいいわけだが、そういう意味ではないようだった。「どんな決断をしても尊重します」というのが「ファン道」だと思うのだが、違うのだろうか。「アイドル」をめぐる裁判も報道された。「恋愛禁止」は「憲法の幸福追求権違反」だという判断である。反対の判断も昨年東京地裁で示されている。判断は難しいが、やがては「契約そのものが民法の公序良俗違反」とされていく可能性があるだろう。(女性の早期退職制度のように。)
大きく報道されたのは、「軽井沢スキーバス事故」である。連日の大報道も、一段落した感じだが、報道される被害者学生の「立派さ」にも驚いた。写真の多くはFacebookから取られているが、まあ、自分なりの自信作を載せているわけでもあるだろう。卒業、就職が決まってない人は、皆で旅行に行けるわけないから、そういう意味では初めから「リア充」学生が多いはずではある。でも、「イマドキ」の学生は皆ウックツを抱えず頑張っているのかなあなどとも思ったものである。
僕は「運転手」の側が抱えていたさまざまの問題も、身にせまってくる気がする。ある新聞に「長距離バス運転手は60歳定年に」という投書が載っていて、ビックリした。この年代は年金支給が60歳ではない。どうしろというんだろうか。会社は事務職で雇えというんだろうか。それともトラックやタクシーの運転手になればいいのか。第一、年金も出ないのに定年になってしまうというのなら、誰も長距離バス運転手にならないだろう。65歳で深夜バスの運転手をしたくてしてたわけではないだろう、その運転手のライフヒストリーの中に、日本社会が見えてくるはずだと思う。
「coco壱番屋」のビーフカツ横流し問題というのもあった。調べてみれば、出るわ出るわ、他にもっと横流しがいっぱいあった。この問題の全容はなかなか見えていない。しかし、この産廃業者は、壱番屋から廃棄料を取っていて、その上で廃棄せずに他へ売っていた。これは「詐欺」ではないか。「食の安全」を論じる前に、どっちからも金を取っていたら詐欺だと思う。しかし、その業者が横流しを始めたのは、原発事故の「風評被害」からだという話。ここに、「日本社会」が見たくないものを「洗浄」してしまう「闇のシステム」があるということが可視化された。
これらのニュースを見聞きして、日本社会は「命を大切にしているのだろうか」とか、「日本はどうなってしまったのだろう」などという人がいる。いやあ、ずっと前からそうじゃないか、知らなかったのかいと言いたくもなってしまう。どの問題を見ても、日本社会には「個人が幸せになりにくい」という側面があることが見える。それは見えないシステムだから、見たくない人には見えない。しかし、時々大事故などを通して見えてくるわけである。
さて、甘利大臣スキャンダル。これで安倍内閣支持率は下がらない。下がるはずだ、下がって欲しいと思う人には残念だが、最近出てきた調査ではむしろ上がっている。甘利氏の出処進退に対してもも、「秘書の問題の責任を取って潔く辞めた」と思っている人が多いのである。この問題は、贈収賄にはならない。「内閣府特命相」の職務権限に入らないからである。秘書の刑事責任は逃れようがないが、小渕優子の時と同じように、秘書が責任を取らされてオシマイと思われる。しかし、日本という国は(他の世界の多くの国と同じく)、有力者の口利きが有効な国だということである。そう思ってなければ、誰も頼まないし、皆も不思議に思わない。こうして、SMAPも解散しなそうだし、安倍首相の支持率も上がってるし、まあ、こだわっても仕方ないよなあというムードの新年明けである。これで参院選だったら、結果は見えているかな。