尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ヘニング・マンケル「霜の降りる前に」

2016年02月15日 21時54分31秒 | 〃 (ミステリー)
 スウェーデンのミステリー作家、ヘニング・マンケルの「霜の降りる前に」(創元推理文庫、上下巻)が刊行された。作者のヘニング・マンケルは、昨2015年10月5日に亡くなった。その時に、「追悼ヘニング・マンケル」という記事を書いておいた。ヘニング・マンケルは、特に北欧ミステリーのファンには名前が知られているだろうけど、日本では一般には広く知られているとは言えないと思う。でも、ミステリーというより社会問題を扱う著者の問題意識、あるいは長くアフリカで活動した経歴、人権活動家として活動し、地雷廃絶を訴える児童文学を書いたことなど、もっと広く知られてもいいと思う作家である。
 
 今回の「霜の降りる前に」は、代表作のクルト・ヴァランダーものの第10作目の作品である。もっとも今までに翻訳されたのは8冊しかない。つまり、順番を飛ばして、2002年刊行の本が先に翻訳されたわけである。というか、この作品は同じ警官を目指すことになった娘リンダ・ヴァランダーが中心となる作品だから、一種の「外伝」と言ってもいい。リンダはもうすぐ父と同じスウェーデン最南部のイースタ署に勤務することが決まっているが、正式にはまだ警官ではない。そんな時期に、スウェーデンを揺るがす捜査に関わることになってしまったのである。なぜなら、昔からの友人アンナが行方不明となり、事件と何らかの関わりがあるのではないか…と疑問が大きくなっていくからである。だから、正式な警官ではないが、事件関係者の知人を探すということで関わっていくわけである。

 この親子はなかなか問題が多い。ずっと読んでいる人には判っていることだが、親は離婚し、父の生活にも母の生活にも問題が多い。娘もなかなか生涯の仕事やパートナーが落ち着かず、当初は家具職人になりたいなどとも言っていたのだが、30歳も近づくころになって、小さい時に離れてしまった父親と同じ職業、それも警察官という仕儀とを目指すことになったのである。といった登場人物の人生もずっと読んでいると興味深くて、それがシリーズものをずっと読む楽しみだろう。

 でも、それよりも事件の中身。ある日、白鳥に火が付けられ、続いて農家が飼っている仔牛に火が付けられる。続いてペットショップが放火され…。一方、森に消えた女性の残虐な死体が発見される。リンダの友人アンナは、ちょうどその頃、幼い頃に出て行った父を見かけたと動揺し、そのまま行方が分からなくなる。といった不思議な出来事が相次ぐのだが、これらにはどんな背景があるのだろうか。そして、さらに別の事件が起きるのだろうか。という風にして、捜査が始まっていく。

 この小説で扱われているのは、「カルト宗教」による大規模なテロ事件という問題である。今は宗教テロというと、まずイスラム教を思い浮かべてしまうだろう。だけど、ある時期まで、世界的に大きな問題だったのは「キリスト教系カルト教団」で、特に南米のガイアナで集団自殺したことで知られる「人民寺院」などが有名である。そして、この小説の中では、人民寺院事件でただ一人生き残った人物という設定になっている。そういう人が何でスウェーデンと関わるのかは小説で読んでもらうとして、ここで描かれる「宗教とテロ」という問題は非常に重い。2002年に出たこの本のラストは、事件が一段落した2001年9月11日に、警察内で皆がテレビを見ているシーンである。もちろん、ニューヨークのワールドトレードセンタービルにハイジャックされた飛行機が突入した、あの忘れがたい日である。

 それだけで、この小説の意味が伝わると思うが、複雑になる世界、問題が多い家庭、そんな世界を救うとする「宗教」の意味、刊行されてから10年以上経っているが、少しも色あせない問題意識である。でも、まあミステリーだから真相を知りたい、この後はどうなるとページをめくり続ける読書。ヴァランダー・シリーズも後は残り2冊。早く読みたいようなそうでもないような。その前に闘病記の「流砂」という本が今秋に出るらしい。ミステリー以外のマンケル作品ももっと読みたい。柳沢由美子さんの翻訳はいつもと同じく、とても読みやすい。無理なき範囲で、今後も翻訳が継続されることを期待したい。
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