アイスランドにアーナルデュル・インドリダソン(1961~)という作家がいる。近年北欧ミステリーが世界的に評判になってきたが、アイスランドの作家はこの人だけである。日本でも「湿地」「緑衣の女」という作品が翻訳され、高く評価された。「湿地」は映画化され、日本でも映画祭で上映され、僕も見に行ってブログでも書いた。2015年7月に3冊目(作家にとっては5作目)の「声」(2002、柳沢由美子訳、東京創元社)が刊行され、年末のミステリー番付でも高順位を獲得している。(「このミス」5位、週刊文春4位)前の2冊は地元の図書館にあったので読んだが、最近行ったら「声」も入っていたので、さっそく借りてきて読むことにした。僕がリクエストしたわけじゃないんだけど。

最近ここでも書いた映画「ひつじ村の兄弟」を見て、年末には村上春樹の紀行文集でアイスランドの旅の話を読んだ。ちょっとアイスランドづいていると思い、「声」も読んでみようと思ったのだが、これは今までの本よりもさらに面白い傑作だった。「犯人あて」の作品ではないが、犯行トリックや叙述トリックではないのに、犯人探しから気持ちが離れているすきに、真犯人が指摘される。だけど、「何だ」という気持ちが起こらず、人間と社会への思いを深めさせられるのは作者の手腕である。
クリスマスも近いある日、アイスランドで2番目のホテルの地下で、中年のドアマンの刺殺死体が発見される。その男は長年ドアマンをしていただけではなく、ホテルのクリスマスパーティでは毎年サンタクロースをしていた。そして、長くホテルの地下室に住みついていた。ほんのちょっとというつもりで部屋を貸して、そのまま十何年も居付いてしまったらしい。だけど、ホテルでも修理や警備など便利屋的に使っていたらしい。しかし、そんなに長くいるのに私生活は誰も詳しく知らない。しかも最近、ドアマンをクビになったという。家族として姉と車いすの父が来るが、ほとんど悲しがっている様子がない。
そんな謎めいた死者の過去を警察は探り始める。例によって、捜査の中心はエーレンデュルで、他の二人も前作と共通。問題を抱えたエーレンデュルの娘エヴァ=リンドの動向も要注意。さらにサイドストーリイとして虐待が疑われる父親と子どもの話が出てくる。人口30万ほどのアイスランドで、大々的な銀行強盗やカーチェイスは起きないと作者自ら語っている。だけど、人が住む以上、「家族」が抱える問題は世界中どこでも同じで、だから家族関係をめぐるミステリーを書くというのは、ここでも同じ。
犠牲者グドロイグルの部屋にあった「ヘンリー」という書き付けから、ホテルの客のヘンリーを一応調べてみると、二人いるうちの一人のヘンリーが、まさに求めていた人物だった。そして彼の話から、驚くべき事実が明らかになる。グドロイグルはほんのちょっとした子供時代の一時期、非常に注目されたスターだったのである。天使の歌声を持つボーイ・ソプラノで、父が厳しくしつけていた。レコードも出し北欧ツァーが企画された、その直前の地元の公演会のまさにその日、12歳の彼は早すぎる声変わりに見舞われ、運命は変転し、彼の人生は失墜する。
本当はそのことも書かない方がいいんだけど、そのぐらい書かないと何も書けない。このような彼の人生はその後どうなって、ホテルの地下にたどり着くのか。彼を取り巻く家族やレコード収集家の世界。そして謎めいたホテルの腐敗(?)やホテルで働くさまざまな人々の実情。そして、捜査官エーレンデュルの過去の傷が語られていく。アイスランドは犯罪が少ない国だが、それでも麻薬も暴力集団も児童虐待もある。当たり前といえば当たり前だが。こういう風に捜査官が一人で聞きまわるのは、どうも日本からすると違和感があるが、きっとアイスランドではそういう捜査が普通なんだろう。
アイスランドは小国とはいえ、北海道より大きい。(面積は約102,828㎢で、世界18位。ちょうどフィリピンのルソン島とミンダナオ島の間である。北海道は78,073㎢で世界21位。)日本人の感覚だと、世界の北の果てみたいな感じを受けてしまうが、頭の中を地球儀にすると(地図で言えば「正距方位図法」にすると)、ちょうどアメリカとロシアの間。ワシントンとモスクワを結ぶと、大体アイスランドの上である。イギリスも近いから、第二次世界大戦中は、対独戦争中の英米ソど真ん中にあったわけ。デンマークの下で立憲君主国だったアイスランドはデンマークをドイツが占領した後で、英米軍が駐留した。戦後は「米ソ冷戦の最前線」になり、米軍が駐留した。冷戦を終結させたレーガン、ゴルバチョフの会談は、1986年に首都レイキャビクで行われた。
日本では火山と温泉の国というイメージだが、実は世界的な戦略的重要性を持つ国だったわけである。冷戦後、米軍が撤退したが、ロンドンにもニューヨークにも近い特性を生かし、金融立国をめざし、1998年の金融危機で破たんした。今はまた経済が立ち直っているとのことだが、なかなか複雑な歴史を持っている。また、「姓を持たない」ことでも有名。「名前+父の名」で表す。エネルギーも7割強を水力、2割強を地熱でまかなうなど、とにかく興味深い国である。1955年にノーベル文学賞を受けたラクスネスという作家もいるが、読んだことがある人は普通いないだろう。アイスランドという興味深い社会を反映したアーナルデュルのミステリーは、読み応え十分。特にこの「声」は傑作だと思った。

最近ここでも書いた映画「ひつじ村の兄弟」を見て、年末には村上春樹の紀行文集でアイスランドの旅の話を読んだ。ちょっとアイスランドづいていると思い、「声」も読んでみようと思ったのだが、これは今までの本よりもさらに面白い傑作だった。「犯人あて」の作品ではないが、犯行トリックや叙述トリックではないのに、犯人探しから気持ちが離れているすきに、真犯人が指摘される。だけど、「何だ」という気持ちが起こらず、人間と社会への思いを深めさせられるのは作者の手腕である。
クリスマスも近いある日、アイスランドで2番目のホテルの地下で、中年のドアマンの刺殺死体が発見される。その男は長年ドアマンをしていただけではなく、ホテルのクリスマスパーティでは毎年サンタクロースをしていた。そして、長くホテルの地下室に住みついていた。ほんのちょっとというつもりで部屋を貸して、そのまま十何年も居付いてしまったらしい。だけど、ホテルでも修理や警備など便利屋的に使っていたらしい。しかし、そんなに長くいるのに私生活は誰も詳しく知らない。しかも最近、ドアマンをクビになったという。家族として姉と車いすの父が来るが、ほとんど悲しがっている様子がない。
そんな謎めいた死者の過去を警察は探り始める。例によって、捜査の中心はエーレンデュルで、他の二人も前作と共通。問題を抱えたエーレンデュルの娘エヴァ=リンドの動向も要注意。さらにサイドストーリイとして虐待が疑われる父親と子どもの話が出てくる。人口30万ほどのアイスランドで、大々的な銀行強盗やカーチェイスは起きないと作者自ら語っている。だけど、人が住む以上、「家族」が抱える問題は世界中どこでも同じで、だから家族関係をめぐるミステリーを書くというのは、ここでも同じ。
犠牲者グドロイグルの部屋にあった「ヘンリー」という書き付けから、ホテルの客のヘンリーを一応調べてみると、二人いるうちの一人のヘンリーが、まさに求めていた人物だった。そして彼の話から、驚くべき事実が明らかになる。グドロイグルはほんのちょっとした子供時代の一時期、非常に注目されたスターだったのである。天使の歌声を持つボーイ・ソプラノで、父が厳しくしつけていた。レコードも出し北欧ツァーが企画された、その直前の地元の公演会のまさにその日、12歳の彼は早すぎる声変わりに見舞われ、運命は変転し、彼の人生は失墜する。
本当はそのことも書かない方がいいんだけど、そのぐらい書かないと何も書けない。このような彼の人生はその後どうなって、ホテルの地下にたどり着くのか。彼を取り巻く家族やレコード収集家の世界。そして謎めいたホテルの腐敗(?)やホテルで働くさまざまな人々の実情。そして、捜査官エーレンデュルの過去の傷が語られていく。アイスランドは犯罪が少ない国だが、それでも麻薬も暴力集団も児童虐待もある。当たり前といえば当たり前だが。こういう風に捜査官が一人で聞きまわるのは、どうも日本からすると違和感があるが、きっとアイスランドではそういう捜査が普通なんだろう。
アイスランドは小国とはいえ、北海道より大きい。(面積は約102,828㎢で、世界18位。ちょうどフィリピンのルソン島とミンダナオ島の間である。北海道は78,073㎢で世界21位。)日本人の感覚だと、世界の北の果てみたいな感じを受けてしまうが、頭の中を地球儀にすると(地図で言えば「正距方位図法」にすると)、ちょうどアメリカとロシアの間。ワシントンとモスクワを結ぶと、大体アイスランドの上である。イギリスも近いから、第二次世界大戦中は、対独戦争中の英米ソど真ん中にあったわけ。デンマークの下で立憲君主国だったアイスランドはデンマークをドイツが占領した後で、英米軍が駐留した。戦後は「米ソ冷戦の最前線」になり、米軍が駐留した。冷戦を終結させたレーガン、ゴルバチョフの会談は、1986年に首都レイキャビクで行われた。
日本では火山と温泉の国というイメージだが、実は世界的な戦略的重要性を持つ国だったわけである。冷戦後、米軍が撤退したが、ロンドンにもニューヨークにも近い特性を生かし、金融立国をめざし、1998年の金融危機で破たんした。今はまた経済が立ち直っているとのことだが、なかなか複雑な歴史を持っている。また、「姓を持たない」ことでも有名。「名前+父の名」で表す。エネルギーも7割強を水力、2割強を地熱でまかなうなど、とにかく興味深い国である。1955年にノーベル文学賞を受けたラクスネスという作家もいるが、読んだことがある人は普通いないだろう。アイスランドという興味深い社会を反映したアーナルデュルのミステリーは、読み応え十分。特にこの「声」は傑作だと思った。