1回目で見たように、「18歳選挙権」は世界の大勢である。日本でも、全党が賛成して全会一致で成立した。こういう問題は、世界はこうなってるぞと示すと、「わが党は若者に人気がないから反対である」などとは言えない。どの党も、「党利党略の問題ではないが、引き下げられても若者の票はわが党に集まるだろう」とタテマエで対応するしかない。
その結果、「大変いいことだ」「日本の教育を変える機会だ」などと積極的に評価する人も少なくないように思う。教育界では、昨今「アクティブ・ラーニング」などと言って、知識詰め込み型ではなく、「生徒が主体的に学ぶ」方向に教育を変えるんだと言われている。選挙権が18歳に引き下げられれば、高校在学中に選挙に行くわけだから、高校の授業の中でも、「政治への関心を深め、選挙で自ら判断できる力を育てるような教育」をしなくてはいけないというわけである。
しかし、そういう理由で選挙権が引き下げられたのだろうか。僕にはとてもそういう評価はできないように思う。この問題は、時系列的に見て行けば、「改憲日程」と密接に連動するものではないか。どういうことかというと、日本で最初に18歳選挙権が国政レベルで議論されたのが、「国民投票法」制定時のことなのである。憲法改正時の国民投票のあり方を決める「国民投票法」、正式には「日本国憲法の改正手続に関する法律」は、2007年5月14日に参議院で可決されて成立した。日付を見れば判ると思うが、それは第一次安倍内閣の時のことである。
それまで改憲時の国民投票のやり方は、法的に定められていなかった。それでは「政治的に無責任」だと安倍首相は考えたのだろう。要するに「改憲ムード」を高める手段だったわけである。そして、この時に「国民投票は18歳以上」と決められた。憲法は長い期間にわたって国のあり方を縛るから、出来るだけ多くの国民、若い世代の声が国民投票に反映されるべきだということである。これも「正論」だから、世界の大勢を見れば、反対できない。ただし、その時は附則がついていて、「選挙権そのものが18歳以上に引き下げられていない時期に行う時は、現行の20歳以上で行う」となっていた。だから、別に引き下げずに20歳以上でいいわけだけど、やっぱり本則で18歳以上とある以上、改憲投票が20歳ではカッコが付かない。後で「結果に正当性があるのか」などと言われかねない。
この「国民投票法」は、自公の与党多数で成立したものだが、「18歳選挙権」条項が入ったのは「野党向け」「国民向け」のポーズでもあったろう。その当時は自民党は高齢男性の政治家が多く、若手や女性をそろえた民主党の方が若者受けすると思われていた時代である。だから、18歳選挙権というのは、「国民投票」のイメージアップ(「改憲」はとかく「戦前への復古」的に批判されるけど、実は「未来志向的」なもんなんですよといった)であり、「改憲へのハードル」にもなっていた。
だから、安倍政権が本格的に選挙権引下げを行うということは、「いよいよ改憲スケジュールが本格的にスピードアップしてきたぞ」と受け取るべき問題ではないか。そして、18歳選挙権の最初が改憲国民投票では困ったことがいっぱいある。選挙事務も面倒だし、高校現場の対応も手探りになる。だから、その前に国政選挙で「予行練習」しておかないといけない。18歳が選挙に行くというのが当たり前だというムードを作っておくわけである。日本では20歳になれば、役所の方で有権者名簿に自動的に登録する。2歳も引き下げれば、今回の新有権者は今までに比べて2倍以上増える。その面倒な事務作業を、憲法改正で行うのでは不満も起きようが、参議院の通常選挙では文句の言いようもないだろう。
そして問題は「教育」である。「改憲国民投票であるかもしれない教育界の反対運動」をあらかじめ封じ込める役割。つまり、「偏向教育キャンペーン」のためのきっかけ作り、教育界に仕掛けられた罠ではないだろうか。これはまた別にくわしく書きたいと思う。
なお、最後に簡単に「憲法改正」について書いておきたい。今「改憲」という言葉で書いてきた。確かに、「憲法の改正」というやり方で行われるわけだけど、本当の問題は「改憲」ではない。最近は「憲法をずっと変えないのがいいというわけではない」とか「より良い憲法を考えていくのはいいことだ」みたいなことを言う人が増えたような気がする。もちろん、それ自体は正しい。僕も現行憲法がそのままで完全だなどと考えているわけではない。だから、その意味ではずっと「改憲派」である。でも、現在の政治情勢をリアルに認識すれば、僕のいう「真の憲法改正」など実現する可能性は皆無だろう。
安倍首相が総裁を務める自由民主党は、憲法改正案を公表している。自民党案は、天皇を元首とし、「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌と憲法で規定し、自衛隊を国防軍とし、「家族の尊重、家族は互いに助け合う」規定をおく。選挙区は人口を基本としながらも「行政区画を勘案」と一票の格差を容認し、地方選挙に国籍条項を新設する。国の「領土保全」義務を明記し、国民も協力するとされる。公務員の労働基本権の制限を憲法で明記する。そして、憲法改正の発議を3分の2から、過半数に引き下げる。というトンデモ改憲案ではないか。
これは「軍事国家への道」であり「権威主義的な人権無視国家への道」以外の何物でもない。最初はすべてを変えることはできないだろう。だけど、安倍首相の最終的な目的はそういうことであり、それは別に隠してもいない。だから「軍事国家化への改憲反対」と正しく言うべきだろう。参議院選挙の最大のテーマは、「改憲勢力」を減らすということである。
その結果、「大変いいことだ」「日本の教育を変える機会だ」などと積極的に評価する人も少なくないように思う。教育界では、昨今「アクティブ・ラーニング」などと言って、知識詰め込み型ではなく、「生徒が主体的に学ぶ」方向に教育を変えるんだと言われている。選挙権が18歳に引き下げられれば、高校在学中に選挙に行くわけだから、高校の授業の中でも、「政治への関心を深め、選挙で自ら判断できる力を育てるような教育」をしなくてはいけないというわけである。
しかし、そういう理由で選挙権が引き下げられたのだろうか。僕にはとてもそういう評価はできないように思う。この問題は、時系列的に見て行けば、「改憲日程」と密接に連動するものではないか。どういうことかというと、日本で最初に18歳選挙権が国政レベルで議論されたのが、「国民投票法」制定時のことなのである。憲法改正時の国民投票のあり方を決める「国民投票法」、正式には「日本国憲法の改正手続に関する法律」は、2007年5月14日に参議院で可決されて成立した。日付を見れば判ると思うが、それは第一次安倍内閣の時のことである。
それまで改憲時の国民投票のやり方は、法的に定められていなかった。それでは「政治的に無責任」だと安倍首相は考えたのだろう。要するに「改憲ムード」を高める手段だったわけである。そして、この時に「国民投票は18歳以上」と決められた。憲法は長い期間にわたって国のあり方を縛るから、出来るだけ多くの国民、若い世代の声が国民投票に反映されるべきだということである。これも「正論」だから、世界の大勢を見れば、反対できない。ただし、その時は附則がついていて、「選挙権そのものが18歳以上に引き下げられていない時期に行う時は、現行の20歳以上で行う」となっていた。だから、別に引き下げずに20歳以上でいいわけだけど、やっぱり本則で18歳以上とある以上、改憲投票が20歳ではカッコが付かない。後で「結果に正当性があるのか」などと言われかねない。
この「国民投票法」は、自公の与党多数で成立したものだが、「18歳選挙権」条項が入ったのは「野党向け」「国民向け」のポーズでもあったろう。その当時は自民党は高齢男性の政治家が多く、若手や女性をそろえた民主党の方が若者受けすると思われていた時代である。だから、18歳選挙権というのは、「国民投票」のイメージアップ(「改憲」はとかく「戦前への復古」的に批判されるけど、実は「未来志向的」なもんなんですよといった)であり、「改憲へのハードル」にもなっていた。
だから、安倍政権が本格的に選挙権引下げを行うということは、「いよいよ改憲スケジュールが本格的にスピードアップしてきたぞ」と受け取るべき問題ではないか。そして、18歳選挙権の最初が改憲国民投票では困ったことがいっぱいある。選挙事務も面倒だし、高校現場の対応も手探りになる。だから、その前に国政選挙で「予行練習」しておかないといけない。18歳が選挙に行くというのが当たり前だというムードを作っておくわけである。日本では20歳になれば、役所の方で有権者名簿に自動的に登録する。2歳も引き下げれば、今回の新有権者は今までに比べて2倍以上増える。その面倒な事務作業を、憲法改正で行うのでは不満も起きようが、参議院の通常選挙では文句の言いようもないだろう。
そして問題は「教育」である。「改憲国民投票であるかもしれない教育界の反対運動」をあらかじめ封じ込める役割。つまり、「偏向教育キャンペーン」のためのきっかけ作り、教育界に仕掛けられた罠ではないだろうか。これはまた別にくわしく書きたいと思う。
なお、最後に簡単に「憲法改正」について書いておきたい。今「改憲」という言葉で書いてきた。確かに、「憲法の改正」というやり方で行われるわけだけど、本当の問題は「改憲」ではない。最近は「憲法をずっと変えないのがいいというわけではない」とか「より良い憲法を考えていくのはいいことだ」みたいなことを言う人が増えたような気がする。もちろん、それ自体は正しい。僕も現行憲法がそのままで完全だなどと考えているわけではない。だから、その意味ではずっと「改憲派」である。でも、現在の政治情勢をリアルに認識すれば、僕のいう「真の憲法改正」など実現する可能性は皆無だろう。
安倍首相が総裁を務める自由民主党は、憲法改正案を公表している。自民党案は、天皇を元首とし、「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌と憲法で規定し、自衛隊を国防軍とし、「家族の尊重、家族は互いに助け合う」規定をおく。選挙区は人口を基本としながらも「行政区画を勘案」と一票の格差を容認し、地方選挙に国籍条項を新設する。国の「領土保全」義務を明記し、国民も協力するとされる。公務員の労働基本権の制限を憲法で明記する。そして、憲法改正の発議を3分の2から、過半数に引き下げる。というトンデモ改憲案ではないか。
これは「軍事国家への道」であり「権威主義的な人権無視国家への道」以外の何物でもない。最初はすべてを変えることはできないだろう。だけど、安倍首相の最終的な目的はそういうことであり、それは別に隠してもいない。だから「軍事国家化への改憲反対」と正しく言うべきだろう。参議院選挙の最大のテーマは、「改憲勢力」を減らすということである。