尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

2015年キネマ旬報ベストテン①

2016年02月09日 23時38分13秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画雑誌キネマ旬報ベストテン発表号は、毎年2月5日に発売される。中学時代は「SCREEN」を読んでいて、高校に入ってから「キネマ旬報」になった。学生時代はずっと読んでいたのだが、その後とにかくたまってしまうのに困って止めてしまった。だけど、ベストテン号は毎年買っている。

 何しろ1924年からやっているのだから、このキネ旬ベストテンというのも年季が入っている。他にも毎日映画コンクールや日本アカデミー賞など様々な映画賞がいっぱいあるが、歴史性もあってキネ旬の結果は重視されている。(一般紙でも報道される。)話し合いではなく、執筆者の投票オンリーで選んでいるのだから、そこに映画雑誌キネマ旬報(あるいは個々の映画批評家、映画業界など)の意思を読み取ることはできない。1位に10点、以下点を減らして10位に1点を与えて、総計を得票順に並べる。アクション映画部門、恋愛映画部門などの「小選挙区」はない。一年間に公開されたすべての映画を対象にする。(一般公開されてないとダメ。)つまり、「順位付け10本連記制大選挙区制度」である。

 前に一度書いた年(2012年)もあるが、他の年はこの話題はスルーしてきた。実は昔はずっと自分のベストテンを作って公開もしていたのだが、最近は自分なりのベストワンがない年がある。見逃し作品も多いので、誰が見るか判らないブログでは書きにくいし、後追いして見た時には時期を逸している。だから書かないのだが、今回はベストテン投票というものを、現代社会における「選挙の一種」だと思ったので書いてみたいと思ったのである。

 先に書いた投票方法から、例えば投票者が10人だとして、「1人だけが1位に推して他の人は選外の映画と10人が10位に推す映画は等価値である」「10人がみな次点にした映画は無価値である」という原理で選定されている。しかし、それは正しいのだろうか。まあ、投票者が多ければ、それなりの映画は誰かが点を入れて、ある程度の票が入ると考えられる。だから、すべての人が次点にして投票しないという映画は恐らくない。何故かといえば、ベストテン入選映画と言っても、すべての人が高く評価しているわけではないからである。映画的完成度は高くても、感性や思想の違いから選ばれない映画もある。そうすると、次点以下が繰り上がってくるから、結果的にさまざまな映画にばらけてくる。

 実際の投票結果を見てみると、日本映画は59人が投票して123本の映画に点が入っている。外国映画は61人が投票して169本の映画に点が入っている。(編集部の投票も入っているが、これも一人と見なす。)合わせて292本だから、全部見てる人は批評家にもいないだろう。そして、日本映画1位の「恋人たち」には、38人が投票している。1位は16人である。302点を獲得して、2位の「野火」191点に100点以上の差が付いた。「野火」と3位の「ハッピーアワー」、4位の「海街diary」は余り差がなかった。「恋人たち」がベストテン上位に入選するのは不思議ではないが、ここまで「ぶっちぎり」でトップになるとは思わなかった。そう思う人も多いだろう。

 外国映画を見てみれば、1位の「マッドマックス 怒りのデスロード」は18人、2位の「アメリカン・スナイパー」は20人、3位の「アンジェリカの微笑み」は21人と、投票者の過半数の支持が得られていない。というか、3人に一人ぐらいしか入れてない。10位に入れてる人の数だけ見れば、むしろ順位が変わってしまう。日本映画は作られたら一応大体公開されるわけだが、外国映画は評判が高くて輸入してもペイするだろう映画が公開される。だから「粒より度」が日本映画より高いので、票が分散するということが判る。それにしても、日本映画の場合でも「ほとんどの批評家が支持する映画」というのがないのは同じである。日本社会全体と同じく、感性の「多様化」が出来上がっている。

 外国映画の場合で言えば、1位の映画でも批評家の3分の1しか入れてないのだから、このベストテン自体にどのくらい信憑性があるのだろうか。そう思う人も多いだろう。僕も長年見てきて、こういうベストテンは「一応見ておくべき作品」を選ぶ意味ぐらいしかないように思う。誰が選んでも、3本に一本ぐらいしか共通しないのが当然だろう。まあ、映画ファンとして映画について語りたいなら、上位25本程度は押さえておくべきだろうという基準である。当たり前だが、10本しか見てない人はベストテンを選べない。そういう人もベスト3ぐらいは選べるかもしれないが。つまり、10本を選ぶというのは、逆に10本以外を落とすということだから、「落とす作品」が多くなければ選定に有効性がない。

 中には、一部の投票者が高く評価したために、10位には入らなかったけどかなりの高得点になる作品というものもある。例えば、今年で言えばゴダールの「さらば愛の言葉よ」は、1位に入れた人が3人いて、12位になっている。だけど、一般的に言えばこの映画より見た方がいい映画が下位にいっぱいある。そういう問題が毎年あって、自分が高く評価する映画は10位以内に半分ぐらい、他はむしろ20位以下に多いということが多い。だから、キネ旬ベストテンを参考に映画を見てもいいけど、同じ順位になるわけではない。むしろなってはおかしい。ベストテンでは高く評価されているけど、僕ならこの映画に入れないという風に、自分なりの映画の見方、さらには世界観に気づいて行く参考である。

 もちろん、昔は違っていた。今ほど価値観が多様化していなかった。それに娯楽映画はベストテン選定外という暗黙のルールがあった。また、世界的に多くの人が名前を知る巨匠がいっぱいいて、監督の名前だけで高く評価された作品も、今となって見れば多かったように思う。半世紀前の1965年のベストテンを見てみる。日本映画のベストワンは「赤ひげ」だが、39人の投票中、入れてないのは白井佳夫1人だけである。(まあ、好き嫌いは別にして、10位以内には入れてもいい映画ではないかと思う。)2位の「東京オリンピック」は4人が入れていない。双葉十三郎、清水晶、井沢淳という古い映画ファンなら名前を知ってる批評家に加え、司馬遼太郎が投票に参加していて、この大ヒット作品を入れてない。ところが、3位の「日本列島」は満票だった。黒澤明、市川崑と違い、監督2作目の熊井啓作品で、反米愛国のバリバリ旧左翼映画だが、淀川長治先生も双葉十三郎先生も、司馬遼太郎先生も…皆入れている。このように70年代頃までは、大多数の批評家が一致して高く評価する映画というものがあった。

 1965年の外国映画は、39人投票で何と20人が1位に推すフェリーニの「8 1/2」が1位で、今考えてもそれ以外の結果は考えられない。だけど、結構イタリア映画「明日に生きる」(マリオ・モニチェリ監督)という作品が迫っている。7人が1位にしているが、その後忘れられてしまい、僕も見ていない。

 さらにさかのぼって1955年を見てみると、日本映画は「浮雲」が1位である。29人中で、一人入れてない人がいるが、それは何と作家の武田泰淳である。見てなかったのだろうか。それとも何かあったのか。この大傑作が入らないとは普通考えられないが。2位は「夫婦善哉」で、2人が入れていない。1位の数は「浮雲」が8人、「夫婦善哉」が11人と逆転している。半数の14人がこの2本を1位と2位にしていて、これは今でも納得できる選定だろう。3位以下の「野菊の如き君なりき」「生きものの記録」「ここに泉あり」「警察日記」と名作が並んでいることは確かだが、先の2本には及ばない。

 外国映画では、1位が「エデンの東」だが、十返肇、徳川無声など4人が入れてない。しかし、2位の「洪水の前」(カイヤット)や4位の「埋もれた青春」(デュヴィヴィエ)など、今はほとんど見られていない映画が上位にある。今も忘れられていないのは、同点4位の「旅情」(リーン監督、キャサリン・ヘプバーンのヴェネツィアが舞台のラブロマンス)や、7位のルノワール監督「フレンチ・カンカン」、11位のヒッチコック「裏窓」なんかだろう。マジメ系の方が時代のコードが変わると忘れられ、娯楽映画の名品の方が時代を超えて見られるのかもしれない。ベストテンに見る「価値感の多様化」を書いていたら、今年のベストテンそのものに触れられなかったので、それは次回に。
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「あじさいの歌」-芦川いづみの映画再び②

2016年02月09日 00時03分48秒 |  〃  (旧作日本映画)
 芦川いづみ映画の第2弾。前回の特集では中平康監督作品が多かったが、今回は滝沢英輔監督作品と西河克己監督作品が3本選ばれている。第1回で西河克己監督作品を書いたので、今回は滝沢作品について。ただし、「祈るひと」(1959)という映画は来週上映で、また見ていない。この映画は僕の大好きな田宮虎彦の原作なので楽しみ。そこで「佳人」(1958)と「あじさいの歌」(1960)。

 「佳人」は上映が終了してしまったので、今週やっている「あじさいの歌」から。この映画は石坂洋次郎原作で、石原裕次郎主演で作られた何本もの映画の一つ。それまでの「乳母車」「陽のあたる坂道」「若い川の流れ」は田坂具隆監督だった。(芦川いづみは全作に出ているが、後者2作の女優トップは北原三枝。)しかし、「あじさいの歌」は滝沢英輔監督(1902~1965)である。田坂監督は東映に移り、この年は中村錦之介主演で「親鸞」「続親鸞」を作っているのだからやむを得ない。

 「あじさいの歌」は散歩しながらデッサンしている建築デザイナーの青年(石原裕次郎)が、偶然お寺の階段で捻挫している老人(東野英治郎)を助けるところから始まる。おぶって帰ると、このヘンクツな老人が実は大富豪で、豪華な洋館に住んでいる。そして、そこに美しい一人娘がいる。女性不信から離婚して女を近づけない老人は、娘にも学校教育を受けさせず、中学からは家に家庭教師を呼んで教育している。テニスコートまである大邸宅なんだけど、この家では時間が死んでいて、娘は「囚われの美女」なのである。そして、もちろん青年は美女に恋するようになる。
(あじさいの歌)
 僕が初めて見た芦川いづみの映画は、多分この「あじさいの歌」である。見たのは40年以上前の文芸坐オールナイトで「あじさいの歌」「陽のあたる坂道」「あいつと私」の3本だった。順番は覚えていないが、多分今書いた通り。この洋館と芦川いづみの魅力にはまってしまった。これほどロマネスクな設定が日本で可能なのか。まるでフランス文学の「グラン・モーヌ」(アラン・フルニエ)を思わせる。映画の中の洋館は明らかにロケだが、見たことがないところである。検索してみたら、横浜市の野毛山公園近くの旧横浜銀行頭取邸だと出ていた。この邸宅はどうなっているのだろうか。

 さて、もう細かく筋書きを書くこともないだろう。どこにいるともしれない母親、そして裕次郎をめぐる恋のさや当て。父が心配して、大きくなった娘が世に出るための「お友達」を選ぶ。選ばれた中原早苗は、実は偶然にも裕次郎とも知り合いなのであった。そして、中原早苗の兄、小高雄二は芦川いづみを好きになる。大体、この時期の日活ラブロマンスでは中原早苗と小高雄二が、恋敵的な役柄を割り振られている。けっして絶世の美人とは言えない、後の深作欣二夫人の中原早苗が僕は大好きだ。それはともかく、ロングヘアの芦川いづみが、初めて(?)美容院に行って、バッサリ切ってしまってショートにする場面の、「ローマの休日」のような極上シーンは見逃せない。まあ、これが初めて街に出る女の子なのかなどと言うのはヤボで、芦川いづみの魅力に浸るしかない。

 監督が変わったからというより、原作そのものの違いが大きいと思うが、「あじさいの歌」はそれまでの洋次郎+裕次郎映画の中では異色である。他の映画は「もつれた人間関係」が、関係者の「言語による討論」により理性的な解決が図られる。日本ではありえないような「理想」だが、ブルジョワ家庭という設定と裕次郎の肉体によって、むりやり見る者を説得してしまう。その「戦後民主主義」的な言語感覚とそれを具現化するような映画空間(美術など)の魅力が忘れがたい。

 「あじさいの歌」も、関係者の凍結された時間が解凍される設定は共通している。だけど、「言語」へのこだわりが少ない。物語としての魅力と登場人物によって見せる、普通のラブロマンスに近い。「洋館」の魅力という「建物映画」の系譜に位置づけることもできる。また、母親が大阪に行って赤線経営をしていたとされたり、裕次郎と中原早苗が性的に関係したかのようなシーンがある。石坂洋次郎は一貫して、恋愛やセックスを明るく健全なものとして語った作家である。だけど、これまでは不倫や芸者などが出て来ても、ドロドロした感じは少なく、さらっと描かれていた。もう時代も変わってきて、次の「あいつと私」ではもっと正面から性の問題が扱われる。この映画は芦川いづみと洋館の魅力で、清潔な感じに仕上がっていて、実に魅惑的だと思う。

 滝沢英輔は、戦前に京都で若い映画人の集まり「鳴滝組」に参加していた。日中戦争で戦病死した伝説の天才・山中貞雄、「無法松の一生」を監督した稲垣浩などが参加していたことで有名な集団である。滝沢はそれ以前にマキノ雅弘(当時は正博)監督のもとで「浪人街」の助監督だった。監督としても「パイプの三吉」という映画が1929年のキネマ旬報ベストテン7位に入っている。その後東宝に移り、1937年に「戦国群盗伝」前後編を完成させた。これが有名だが、その後も戦中戦後の東宝で時代劇を作り、製作を再開した日活に移っても、時代劇やメロドラマをたくさん残している。戦後の作品はほとんど忘れられた感じだが、さすがに演出力は確かである。他にも面白い映画があるのかもしれない。職人的娯楽映画の作り手として、再評価が必要か。
コメント (1)
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