尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

結局何だったのか-「アベノミクス」を考える④

2016年07月04日 23時52分25秒 |  〃  (安倍政権論)
 「アベノミクス」を考える特集も4回目。3回程度を考えていたので、今日でお終いにしたい。頑張って書いてしまおう。今まで「アベノミクス」について、ほとんど触れてこなかった。自分の不得意分野だし、数字がたくさん出てきて面倒くさい。それもあるけど、僕は安倍首相の世界観や政治姿勢に大反対の立場だが、日本経済がうまくいくのは大賛成である。「リフレ派」と呼ばれる経済政策が僕にはよく判らず、一体どうなるんだかはっきりしなかったからである。

 今は「アベノミクス」そのものは、前提になってしまった。そのうえで、成功だ失敗だと議論し、アベノミクスで格差が広がったから、再分配に力を入れるべきだというのが、主に野党側の主張になっている。だけど、今まで僕が見たところでは、アベノミクスが成功したという割には、第一次安倍政権時代に届いていない指標が多い。リーマンショックや東日本大震災で沈滞した時期を担った民主党政権期と比べて、うまく行ったうまく行ったと大宣伝しているが、自分が担当した第一次安倍政権時代と比べないとおかしい。10年前と比べてすごく良くなっているというなら、それは成功と言ってもいい。

 つまり、成功していないのである。再分配を進めるも何も、ようやく昔に戻って、そこでほとんど停滞している。消費増税前の駆け込み需要があった時期や外国人観光客の「爆買い」を除き、あまり「アベノミクス」による発展そのものが見られないというべきではないか。もともと日本経済はいま程度の潜在力があり、そこへ戻って、その後の展望が見えない。それが実情ではないか。

 そもそも「リフレ派」というのは何だろうか。デフレから回復したがインフレにはなっていな時期、その時期を「リフレーション」(通貨再膨張)と言うらしい。あまり聞いたことがなかったが、それを言えば「デフレ」そのものがあり得ないことだった。「リフレ派」は金融政策や財政政策を通して、デフレ脱却を目指す。1~2%のインフレ目標を掲げる「インフレ・ターゲット」政策を取ることが多い。日銀の黒田総裁は「異次元の金融緩和」を進めたし、岩田副総裁は2年で2%の物価上昇が実現しなければ辞任すると2012年に宣言した。実現しないまますでに4年たったが、いろいろ理由をつけて辞めていない。

 では、現在のマネタリーベース(通貨供給量)を見てみよう。(日本のマネタリベース=日本銀行券発行高+貨幣流通高+日銀当座預金残高のことである。)2016年6月現在のマネタリーベースは、392兆7千億円。内訳は、日銀券が95.2兆、貨幣が4.7兆、当座預金残高が292.8兆である。ところで、詳しくは僕には説明不能なのだが、マネタリーベースには「季節調整」というものがある。季節調整値では、386兆8千億円となっている。6月末を見たから、順次一年ごとにさかのぼってみたい。
 2015年6月=308兆4千億
 2014年6月=229兆9千億
 2013年6月=161兆1千億
 2012年6月=119兆3千億
 2011年6月=113兆1千億

 もういいだろう。それより前は100兆以下である。日銀券発行高も増えてはいるが微増で、この間の大規模な増加は、「日銀当座預金残高」の異常なまでの増加によるものである。この間、地方も含めた公債残高は1千兆円を超えてしまった。前から高いわけだが、ますます増えている。

 この「異次元緩和」と「公債残高」は、誰が政府を担おうが背負っていかざるを得ない。出口はあるのか? 正直言って誰にもないだろう。「アベノミクスをやめる」と言っても、急激な金融引き締めを行うわけにもいかない。それは恐るべき信用収縮をもたらし、かつてない円高になることは避けられない。円高になれば良いこともあるが、急激な為替変動は経済に悪影響を与える。

 だけど、これほど「ヘリコプターマネー」と言ってもいいような政策を行ったのに、なぜインフレにならない?(ヘリコプターマネーとは、紙幣をどんどん刷って空からばらまけば、みんなが金持ちになってお金を使いまくり、物価上昇になるという考えである。)だけど、空から降ってきたお金を皆が貯め込んで使わなければ、経済に何の影響も起こさない。今の状況はそれに近いのではないか。今までの経済政策は、およそ経済成長過程を前提にしていたのではないか。日本のように、人口減になり始めた社会では、リフレ政策が無効だったのではないか。今後は経済が収縮すると皆が思っている社会では、期待した物価上昇が起こらないのも、思えば当然ではないか。

 このように言うと、日本経済はすぐにも崩壊すると思うかもしれない。そんなことはない。人口が1億2千万人を数え、歴史的、社会的な文化蓄積も大きい。日本の会社も、史上最高ではないとしても、また不祥事も相次ぐとしても、基本的にはそれなりの利潤を出し続ける。国民皆保険、皆年金という社会保障の基本も、細部ではいろいろとあっても、当面崩れない。ただ、無限の経済成長がやりようによっては実現するというのは、多分幻想に過ぎない。基本的には、ゼロ成長が基調となると思った方がいい。それを前提に、世代、性別、地域、職業、学歴等で大きな格差が生じないような制度設計をしていくしかない。

 だけど、今のところ、莫大な借金が残されている。いうならば、「親が何億円も借金してしまった」状況である。必ずもうかると言われて、自宅を高層ビルにしてしまったが、そしてそこそこ流行ってもいるが、借金を返せるメドが立たない。1千万とか2千万なら頑張れば返せても、何億もあってはとても無理。個人だったら、「自己破産」して親の借金を引き継がないと言うやり方ができる。だが、国家は破産できないし、国民をリストラすることもできない。最近は政治家に「経営能力」を求め、会社経営の経歴が有利になることがある。だけど、会社は社員の親の介護にも、社員の子どもの教育にも、責任を負わない。利潤追求をするための組織である。経営という言葉を使ってもいいけど、「国家経営」と「会社経営」は次元が違う。

 かくして、「アベノミクス」は、「成功」しないで「借金」を残す政策だったということに、将来になってみれば言われるだろう。「成功」とカギかっこを付けたのは、「ある程度の成長」はするわけで(基準年の取り方で、いくつもの「成功」は見込める)、安倍政権としては「成功している」と言い続けるだろうということである。だけど、もっと厳しく言えば、安倍政権の下で「急激な円安」が進み、外国人投資家の買いによって「株高」が進んだわけで、それを売り抜けることで「国富の流出」を招いた。「日本を取り戻す」の名のもとに「日本を売り飛ばす」事態が起こった。

 では「失敗」だと言えば、そう言えるかもと思うが、誰がやっても引き下がることができない。「アベノミクス」は既成事実になってしまった。だから、単に失敗とはもう言えないのである。普通は失敗なら、やり直すとか次に頑張るという選択肢があるが、「アベノミクス」にはそれがない。結局は、アベノミクスをきっかけにして、日本の長期的没落が決定的になったという歴史的評価になるのではないか。それじゃ困ると言っても、政権は国論分裂に熱心で、日本の危機に真に向き合う気がない。ちょっと面倒な結論とも言えないような終わり方になってしまったが、要するに「単に失敗したから見直せ」」では済まない問題なんだと思う。
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