トルコの5人姉妹の苦難の青春を描いた映画「裸足の季節」を見た。トルコ人の女性監督がトルコで撮った映画だけど、監督はフランス在住でフランス映画に分類される。フランス代表として米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。非常に素晴らしい映画で、青春の躍動、抑圧への反抗をみずみずしく描いている。カメラが動き回るので、最初はちょっと気になったけれど、すぐに登場人物の運命に心が捕らわれてしまった。
トルコの田舎町、「イスタンブールまで1000キロ」とセリフにある。海が出てくるが、これは黒海だという。そこに5人の姉妹が住んでいる。ある日の放課後、好天だから歩いて帰ろうということになり、海を見ているうちにはしゃいでしまい、男女混じって海で遊び始める。女子が男子に肩車してもらって騎馬戦が始まる。ところが家に帰ってくると、祖母からきつく叱られる。隣人が見ていて「密告」したのである。男子とふしだらな遊びをしたということで、叔父は以後学校へ行かせず、少女たちを家に閉じ込めて「花嫁修業」を強制するのだった。
冒頭の海のシーンの躍動感、そして一転してその程度のことで「幽閉」されてしまうトルコの現実。そのことにもう驚くしかない。5人姉妹の実父母は10年前に死亡して、祖母の家で父の弟に育てられている。女の子ばっかり5人もいて、親はもう死んでいるという、実際にはありえないような設定である。だけど、その結果、「女の子たちの世界」を生き生きと描けるようになっている。と同時に、自分の子ではない女子を「ひと様から後ろ指さされないように育てなければならない」という「トルコ社会の家父長制の掟」を祖母や叔父に強く意識させる「効果」も持っている。
だけど、映画ファンにしてみれば、「五人姉妹」というのはどうも不吉である。古くは台湾の「ファイブ・ガールズ・アンド・ア・ロープ」(1991)があって、東京国際映画祭ヤングシネマ賞でシルバー賞を受賞した。これは中国作家の原作があるが、中国でも「五人少女天国行」(1991)として映画化され日本でも公開された。そしてアメリカの作家ジェフリー・ユージェニデスの「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」(1993)がある。それをソフィア・コッポラが映画化したのが「ヴァージン・スーサイズ」(1999)という映画。20世紀末の10年間にこれだけ似たような映画があった。
「裸足の季節」では、どうなるのだろうか。はじめはアクセサリーやパソコンのキーボードを取り上げられるけど、窓から外へ出られる。ある日、女性観客のみのサッカー試合が行われる。というか、男どもがグラウンドに乱入して乱闘する騒ぎがあって、男性観客禁止になってしまったのである。それもビックリだが、村の若い女性はバスを仕立てて見に行くことにする。そのことを教えてもらって、5人は何とか家を抜け出ることにする。いろいろ時間がかかって結局間に合わず、バスは行っちゃう。そこでトラックを停めて追いかける。そして何とかサッカー場に入れるけど…。
そして一人ずつ家を去っていく運命にある。長女はもう秘密の交際相手がいて、彼から親を通して求婚してもらえた。しかし、次女は親の決めた気に沿わぬ相手と結婚しなければならない。花嫁はもちろん処女でなければならない。これは言葉だけではない。翌日に花婿側の親が確認にやってくる。疑いがあれば「処女検査」を受けなければならない。いやはや、とんでもない世界である。一言でいえば、「女は結婚して夫に仕える」という運命にあり、親はそのために女子を育てなければならない。家父長制が厳しく残り続けているのである。
続いて、三女、四女と結婚話が進んでいき、悲劇が起きる。そして、もっとも小さい末っ子の五女、ラーレによって、違った運命が導かれる。「新しい世界に飛び立っていく」というラストを持つ映画は多い。でも、「裸足の季節」ほど、絶望からの旅立ちを描いている映画も少ないのではないか。これを作ったのは、デニズ・ガムゼ・エルギュヴェンという絶対覚えられそうもない長い名前の女性監督。1978年、アンカラ生まれだが、フランスやアメリカでも学んだ。フランスで初めて作った長編映画が「裸足の季節」。姉妹役の5人は全員オーディションで選ばれた新人である。見た感じは「社会派」というよりも、「ガールズトーク映画」と呼びたいほど5人のアンサンブルが素晴らしい。
そして、彼女たちの運命とおしゃべりから、トルコの現代女性事情も見えてくる。一つは「スカーフ」の有無で、田舎といえどしてない女性も多い。だけど、「密告」するなど目を光らせているのは、きまって「スカーフ」の女性。そこに「イスラム教」をめぐる政治的、社会的分断状況が見えてくる。男たちは集まってテレビでサッカーを見ている。女たちは別の部屋で料理をつくる。この場にいて変化を求めることはできない。言われるまま結婚するしかない。それは日本でもそうだったけど、それでも「東京へ出てきてしまう」という選択をした女性も何人もいた。同じように、この映画の女子は「イスタンブールをめざす」のである。幸せが待っていて欲しいけど…。
トルコ情勢の話を先ごろ書いたから、この映画もぜひ見たいと思っていた。でも、シネスイッチ銀座の上映は29日で終わってしまった。他でやってないか調べたら、一日一回だけ恵比寿ガーデンシネマでやっていた。5日まで。東京では、続いて渋谷アップリンク、キネカ大森などで上映が予定されている。この映画の躍動感と同時に、トルコに限らないけど「女性抑圧社会」の現実はぜひ多くの人に見てほしい。魅力的で、ワクワクするような映画だけど、背景にある深刻な状況も忘れられない。
トルコの田舎町、「イスタンブールまで1000キロ」とセリフにある。海が出てくるが、これは黒海だという。そこに5人の姉妹が住んでいる。ある日の放課後、好天だから歩いて帰ろうということになり、海を見ているうちにはしゃいでしまい、男女混じって海で遊び始める。女子が男子に肩車してもらって騎馬戦が始まる。ところが家に帰ってくると、祖母からきつく叱られる。隣人が見ていて「密告」したのである。男子とふしだらな遊びをしたということで、叔父は以後学校へ行かせず、少女たちを家に閉じ込めて「花嫁修業」を強制するのだった。
冒頭の海のシーンの躍動感、そして一転してその程度のことで「幽閉」されてしまうトルコの現実。そのことにもう驚くしかない。5人姉妹の実父母は10年前に死亡して、祖母の家で父の弟に育てられている。女の子ばっかり5人もいて、親はもう死んでいるという、実際にはありえないような設定である。だけど、その結果、「女の子たちの世界」を生き生きと描けるようになっている。と同時に、自分の子ではない女子を「ひと様から後ろ指さされないように育てなければならない」という「トルコ社会の家父長制の掟」を祖母や叔父に強く意識させる「効果」も持っている。
だけど、映画ファンにしてみれば、「五人姉妹」というのはどうも不吉である。古くは台湾の「ファイブ・ガールズ・アンド・ア・ロープ」(1991)があって、東京国際映画祭ヤングシネマ賞でシルバー賞を受賞した。これは中国作家の原作があるが、中国でも「五人少女天国行」(1991)として映画化され日本でも公開された。そしてアメリカの作家ジェフリー・ユージェニデスの「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」(1993)がある。それをソフィア・コッポラが映画化したのが「ヴァージン・スーサイズ」(1999)という映画。20世紀末の10年間にこれだけ似たような映画があった。
「裸足の季節」では、どうなるのだろうか。はじめはアクセサリーやパソコンのキーボードを取り上げられるけど、窓から外へ出られる。ある日、女性観客のみのサッカー試合が行われる。というか、男どもがグラウンドに乱入して乱闘する騒ぎがあって、男性観客禁止になってしまったのである。それもビックリだが、村の若い女性はバスを仕立てて見に行くことにする。そのことを教えてもらって、5人は何とか家を抜け出ることにする。いろいろ時間がかかって結局間に合わず、バスは行っちゃう。そこでトラックを停めて追いかける。そして何とかサッカー場に入れるけど…。
そして一人ずつ家を去っていく運命にある。長女はもう秘密の交際相手がいて、彼から親を通して求婚してもらえた。しかし、次女は親の決めた気に沿わぬ相手と結婚しなければならない。花嫁はもちろん処女でなければならない。これは言葉だけではない。翌日に花婿側の親が確認にやってくる。疑いがあれば「処女検査」を受けなければならない。いやはや、とんでもない世界である。一言でいえば、「女は結婚して夫に仕える」という運命にあり、親はそのために女子を育てなければならない。家父長制が厳しく残り続けているのである。
続いて、三女、四女と結婚話が進んでいき、悲劇が起きる。そして、もっとも小さい末っ子の五女、ラーレによって、違った運命が導かれる。「新しい世界に飛び立っていく」というラストを持つ映画は多い。でも、「裸足の季節」ほど、絶望からの旅立ちを描いている映画も少ないのではないか。これを作ったのは、デニズ・ガムゼ・エルギュヴェンという絶対覚えられそうもない長い名前の女性監督。1978年、アンカラ生まれだが、フランスやアメリカでも学んだ。フランスで初めて作った長編映画が「裸足の季節」。姉妹役の5人は全員オーディションで選ばれた新人である。見た感じは「社会派」というよりも、「ガールズトーク映画」と呼びたいほど5人のアンサンブルが素晴らしい。
そして、彼女たちの運命とおしゃべりから、トルコの現代女性事情も見えてくる。一つは「スカーフ」の有無で、田舎といえどしてない女性も多い。だけど、「密告」するなど目を光らせているのは、きまって「スカーフ」の女性。そこに「イスラム教」をめぐる政治的、社会的分断状況が見えてくる。男たちは集まってテレビでサッカーを見ている。女たちは別の部屋で料理をつくる。この場にいて変化を求めることはできない。言われるまま結婚するしかない。それは日本でもそうだったけど、それでも「東京へ出てきてしまう」という選択をした女性も何人もいた。同じように、この映画の女子は「イスタンブールをめざす」のである。幸せが待っていて欲しいけど…。
トルコ情勢の話を先ごろ書いたから、この映画もぜひ見たいと思っていた。でも、シネスイッチ銀座の上映は29日で終わってしまった。他でやってないか調べたら、一日一回だけ恵比寿ガーデンシネマでやっていた。5日まで。東京では、続いて渋谷アップリンク、キネカ大森などで上映が予定されている。この映画の躍動感と同時に、トルコに限らないけど「女性抑圧社会」の現実はぜひ多くの人に見てほしい。魅力的で、ワクワクするような映画だけど、背景にある深刻な状況も忘れられない。