2016年7月15日夜、トルコで軍部の一部によるクーデタが起こったが、16日には鎮圧された。このニュースには驚かされた。トルコのエルドアン大統領と軍部は、長い間公然たる対抗関係にあるのは言うまでもない。世俗主義の守護者であるトルコ国軍と、イスラム主義政党ではないことになってはいるが、事実上親イスラム政党である与党「公正発展党」は天敵関係にある。
だけど、2003年の政権掌握以来、トルコを経済発展に導き、国民の支持がなお高いエルドアン大統領は、長い時間をかけて、軍部がクーデタを起こせないように「牙をぬく」ことに努めてきた。2015年に2回あった総選挙に一回目は、予想外なことに公正発展党が過半数を割り込んだ。選挙で政権交代が可能であることを示したわけで、トルコではもう(過去2回起こった)軍部によるクーデタは過去のものになったのではないかと思われてきたわけである。
今までの説明は、トルコの歴史に詳しい人には常識だろうが、どうして軍が世俗主義の守護者で、なぜエルドアンが軍と対立するのか、本当はもっと詳しく書かないといけない。だけど、それを書いていると長くなりすぎるので、次回に回したい。トルコの現在と過去をどう理解するか。それは非常に大切なので、一度きちんと考えたいと思っていた。この機会に短期、中期そして長期的にトルコの政治的位置について書いてみたい。
さて、今回のクーデタだが、まだ謎が多い。軍事クーデタは、軍が国権の各機関と重要人物を押さえ、軍による新体制確立を発表しないと成功しない。テレビで声明を出すのも大事だが、肝心の新指導部が見えない。エルドアン大統領が市民に反クーデタを呼びかけ、支持者が一定の規模で呼応した。国内、国外ともに支持を得られず、あっという間に腰砕けになった印象がある。
準備不足や情報もれによる早期決起だったのかもしれない。さらに深読みすれば、軍内の不穏な情報をつかんだ大統領が、それと知ってリゾート地に出かけて、「あえて決起の機会を提供した」ということかもしれない。その後の反撃が素早く、軍だけでなく、裁判官、検察官なども含めて大規模な弾圧が進められている。軍内部の反体制派ではなく、大統領側の方が準備ができていた感じさえある。1965年に起きたインドネシアの共産党によるクーデタを利用した陸軍のスハルトによる「カウンター・クーデタ」を思い起こさせると言っては言い過ぎだろうか。
トルコはもしかしたら、2020年の五輪開催国だったかもしれない国である。たった数年前のことだが、イスタンブールで何度も大規模テロが起き、反乱軍の戦車がボスポラス海峡の橋上に展開するなど、想像もできなかった。特に2015年後半から、トルコの内憂外患が極まり、周辺国に友だちのいない状態になっていた。ギリシャ、イスラエル、イランなどはもともとだが、エジプトに加えて、ロシアと関係が悪化。シリア難民問題ではEUとの関係も悪化していた。ところが、7月になって、ロシア、イスラエル、エジプトなどと関係改善が急速に進んでいた。まるでクーデタを予測したかのように。
エジプトのシーシ大統領は、民政移管したとはいうものの、もともとは選挙で選ばれたムルシ大統領を軍事クーデタで打倒した軍人である。さすがに「選挙で選ばれた政権に正当性がある」とは言えないようで、今回のクーデタには沈黙しているらしい。エルドアン大統領は露骨なスンナ派肩入れ策を取ってきたから、シーア派大国のイランとは対立しているが、今回はイランはすばやくエルドアン体制支持を打ち出した。これはトルコのゴタゴタがクルド民族の国家形成につながりかねないことを恐れているんだと思う。クルド国家阻止に関しては、地域の各国の利害は共通している。
ガザ支援船阻止をきっかけに冷え込んでいた対イスラエル関係、昨年のロシア機撃墜事件によって、最悪の対抗関係が続いていた対ロシア関係も、最近になって急にトルコ側から譲歩する形で関係改善が進んできた。トルコはイスラム教スンナ派が圧倒的に多いが、一応は世俗国家だから、もともとイスラエルとの関係は良かった。またロシアとは歴史的に何度も戦争をしてきた関係だが、昨年は「露土戦争の再来か」とまで言われるほど悪化した。シリア内戦をめぐっては、あくまでもアサド政権を支えるロシアと、アサド政権打倒を最優先するトルコとは、ほとんど正反対の立場だった。これもトルコ側が一時的にアサド政権に融和的になる兆しが表れている。
IS(「イスラム国」)をここまで大きくしたのは誰か。元はアメリカのブッシュ政権のイラク戦争という愚策、フセイン政権打倒後に成立したイラクのシーア派政権の宗派的な政治などももちろん大きい。だけど、事実上はトルコの責任が大きい。石油輸出などで「協力」しているとの声もあるし、対立悪化の中でロシアからは様々な非難が浴びせられた。国境をはさんで「IS」と向かい合うトルコが、完全な国境封鎖を厳密に行えば、外国人戦闘員の入出国や物資の密輸などは難しかったと思う。その意味で「トルコが事実上ISを支えてきた」という非難も、まんざら荒唐無稽とも言えないのではないか。
ところが、シリア内線激化で難民が急増しすぎて、トルコを経由してEU諸国に流入して問題化した。ISへの強い対応を見せないわけにもいかなくなったが、今度はトルコ国内でISによるテロが急増してしまった。ISと闘うクルド人部隊をトルコは支援しなかったことから、トルコ国内ではクルド系組織によるテロも起こっている。PKK(クルド労働者党)との和平も崩れたと言われる。
昨年から今年にかけて何度か起きたテロは、重要部でも起こっていて、政権内に一定の支持者がいる可能性を否定できない。まさに「内憂外患」きわまる状況が続いている。今回のクーデタ失敗で、短期的にはエルドアン体制への支持が高まると思われる。しかし、強権化を進めるエルドアン体制は、同時にもろさも抱え持っている。僕は今回政権側が黒幕として指摘する「ギュレン教団」が事件に関わっていたのかどうかは判らない。だけど、クルド系や世俗派中道勢力、左派などの前からの「反エルドアン勢力」だけではなく、政権を支えてきた「穏健イスラム勢力」の中にも反発が広がっていく可能性が高い。今までトルコではほとんどいなかった「イスラム原理主義勢力」も登場する可能性もある。
今回は昨年来のトルコ情勢を中心に見たけれど、もっと長いスパンで見てみる必要もある。またさらに時間軸を長期に取り、オスマン帝国から考えていく必要もある。「トルコ共和国」が現在のような領土を持ち、イスラム教の国にしては珍しい「世俗国家」である理由も、第一次世界大戦によるオスマン帝国崩壊という事態から考えないと判らない。それにしても、ちょっと前まで「アラブの春」のめざす「あこがれの国」が経済発展が続くトルコだった。「イスタンブール五輪」で、初のイスラム教地域で五輪を開く可能性もあった。だけど、どんなに問題が山積していても、トルコが世界最重要の国の一つであることは間違いない。トルコ情勢に注目することは大切である。
だけど、2003年の政権掌握以来、トルコを経済発展に導き、国民の支持がなお高いエルドアン大統領は、長い時間をかけて、軍部がクーデタを起こせないように「牙をぬく」ことに努めてきた。2015年に2回あった総選挙に一回目は、予想外なことに公正発展党が過半数を割り込んだ。選挙で政権交代が可能であることを示したわけで、トルコではもう(過去2回起こった)軍部によるクーデタは過去のものになったのではないかと思われてきたわけである。
今までの説明は、トルコの歴史に詳しい人には常識だろうが、どうして軍が世俗主義の守護者で、なぜエルドアンが軍と対立するのか、本当はもっと詳しく書かないといけない。だけど、それを書いていると長くなりすぎるので、次回に回したい。トルコの現在と過去をどう理解するか。それは非常に大切なので、一度きちんと考えたいと思っていた。この機会に短期、中期そして長期的にトルコの政治的位置について書いてみたい。
さて、今回のクーデタだが、まだ謎が多い。軍事クーデタは、軍が国権の各機関と重要人物を押さえ、軍による新体制確立を発表しないと成功しない。テレビで声明を出すのも大事だが、肝心の新指導部が見えない。エルドアン大統領が市民に反クーデタを呼びかけ、支持者が一定の規模で呼応した。国内、国外ともに支持を得られず、あっという間に腰砕けになった印象がある。
準備不足や情報もれによる早期決起だったのかもしれない。さらに深読みすれば、軍内の不穏な情報をつかんだ大統領が、それと知ってリゾート地に出かけて、「あえて決起の機会を提供した」ということかもしれない。その後の反撃が素早く、軍だけでなく、裁判官、検察官なども含めて大規模な弾圧が進められている。軍内部の反体制派ではなく、大統領側の方が準備ができていた感じさえある。1965年に起きたインドネシアの共産党によるクーデタを利用した陸軍のスハルトによる「カウンター・クーデタ」を思い起こさせると言っては言い過ぎだろうか。
トルコはもしかしたら、2020年の五輪開催国だったかもしれない国である。たった数年前のことだが、イスタンブールで何度も大規模テロが起き、反乱軍の戦車がボスポラス海峡の橋上に展開するなど、想像もできなかった。特に2015年後半から、トルコの内憂外患が極まり、周辺国に友だちのいない状態になっていた。ギリシャ、イスラエル、イランなどはもともとだが、エジプトに加えて、ロシアと関係が悪化。シリア難民問題ではEUとの関係も悪化していた。ところが、7月になって、ロシア、イスラエル、エジプトなどと関係改善が急速に進んでいた。まるでクーデタを予測したかのように。
エジプトのシーシ大統領は、民政移管したとはいうものの、もともとは選挙で選ばれたムルシ大統領を軍事クーデタで打倒した軍人である。さすがに「選挙で選ばれた政権に正当性がある」とは言えないようで、今回のクーデタには沈黙しているらしい。エルドアン大統領は露骨なスンナ派肩入れ策を取ってきたから、シーア派大国のイランとは対立しているが、今回はイランはすばやくエルドアン体制支持を打ち出した。これはトルコのゴタゴタがクルド民族の国家形成につながりかねないことを恐れているんだと思う。クルド国家阻止に関しては、地域の各国の利害は共通している。
ガザ支援船阻止をきっかけに冷え込んでいた対イスラエル関係、昨年のロシア機撃墜事件によって、最悪の対抗関係が続いていた対ロシア関係も、最近になって急にトルコ側から譲歩する形で関係改善が進んできた。トルコはイスラム教スンナ派が圧倒的に多いが、一応は世俗国家だから、もともとイスラエルとの関係は良かった。またロシアとは歴史的に何度も戦争をしてきた関係だが、昨年は「露土戦争の再来か」とまで言われるほど悪化した。シリア内戦をめぐっては、あくまでもアサド政権を支えるロシアと、アサド政権打倒を最優先するトルコとは、ほとんど正反対の立場だった。これもトルコ側が一時的にアサド政権に融和的になる兆しが表れている。
IS(「イスラム国」)をここまで大きくしたのは誰か。元はアメリカのブッシュ政権のイラク戦争という愚策、フセイン政権打倒後に成立したイラクのシーア派政権の宗派的な政治などももちろん大きい。だけど、事実上はトルコの責任が大きい。石油輸出などで「協力」しているとの声もあるし、対立悪化の中でロシアからは様々な非難が浴びせられた。国境をはさんで「IS」と向かい合うトルコが、完全な国境封鎖を厳密に行えば、外国人戦闘員の入出国や物資の密輸などは難しかったと思う。その意味で「トルコが事実上ISを支えてきた」という非難も、まんざら荒唐無稽とも言えないのではないか。
ところが、シリア内線激化で難民が急増しすぎて、トルコを経由してEU諸国に流入して問題化した。ISへの強い対応を見せないわけにもいかなくなったが、今度はトルコ国内でISによるテロが急増してしまった。ISと闘うクルド人部隊をトルコは支援しなかったことから、トルコ国内ではクルド系組織によるテロも起こっている。PKK(クルド労働者党)との和平も崩れたと言われる。
昨年から今年にかけて何度か起きたテロは、重要部でも起こっていて、政権内に一定の支持者がいる可能性を否定できない。まさに「内憂外患」きわまる状況が続いている。今回のクーデタ失敗で、短期的にはエルドアン体制への支持が高まると思われる。しかし、強権化を進めるエルドアン体制は、同時にもろさも抱え持っている。僕は今回政権側が黒幕として指摘する「ギュレン教団」が事件に関わっていたのかどうかは判らない。だけど、クルド系や世俗派中道勢力、左派などの前からの「反エルドアン勢力」だけではなく、政権を支えてきた「穏健イスラム勢力」の中にも反発が広がっていく可能性が高い。今までトルコではほとんどいなかった「イスラム原理主義勢力」も登場する可能性もある。
今回は昨年来のトルコ情勢を中心に見たけれど、もっと長いスパンで見てみる必要もある。またさらに時間軸を長期に取り、オスマン帝国から考えていく必要もある。「トルコ共和国」が現在のような領土を持ち、イスラム教の国にしては珍しい「世俗国家」である理由も、第一次世界大戦によるオスマン帝国崩壊という事態から考えないと判らない。それにしても、ちょっと前まで「アラブの春」のめざす「あこがれの国」が経済発展が続くトルコだった。「イスタンブール五輪」で、初のイスラム教地域で五輪を開く可能性もあった。だけど、どんなに問題が山積していても、トルコが世界最重要の国の一つであることは間違いない。トルコ情勢に注目することは大切である。