2回目のトルコ現代史が長すぎて、自分でも疲れた。オスマン帝国にさかのぼるのはまたにして、トルコを取り巻く周辺諸国との問題を取り上げておきたい。地理的に言えば、トルコ国土は大部分がアジアで、イスタンブールより西の地方が「ヨーロッパ」に属する。だけど、自分たちとしては、「ヨーロッパの一員」であることを目指してきた。サッカーなどスポーツでは欧州連盟に加盟し、今回のユーロカップにも出場している。日韓共催ワールドカップで、決勝トーナメント1回戦で日本を破り、最終的に3位になったことは多くの人が覚えているのではないか。あれはヨーロッパ代表だった。
1987年にはEC(EUの前身)に加盟を申請している。長いことたなざらしにされたが、2005年から加盟交渉が始まった。それも事実上行き詰まり状態にある。トルコはイスラム教社会だから、トルコが加盟して大量のムスリムが流入することへの恐れが背景にはあるのは間違いない。だけど、タテマエ的には、トルコ国内の人権状況、あるいはトルコと周辺諸国との争いが続いていることがEU加盟の障害となっている。特に、EU加盟国のギリシャ、キプロスとの関係が好転しない限り進展しない。
キプロス問題は、最近は事態がこう着状態にあるからほとんど報道されない。知らない人もいるかと思うから最初に。キプロスはトルコの南方、東地中海にある島国。世界で81番目の大きさの島で、四国の半分ぐらいである。イギリスの植民地だったけど、地中海の島のほとんどと同じく、住民はギリシャ人。しかし、オスマン帝国支配下でトルコ系住民が増え、おおよそギリシャ系8割、トルコ系2割程度とされる。ギリシャ系はギリシャに、トルコ系はトルコに、それぞれ併合することを希望したが、結局1960年に島国として独立することになった。
1974年に、当時のギリシャ軍事政権が関わって、ギリシャ系のクーデタが起こった。それに対抗して、トルコ軍が介入して、キプロス島北部だけでトルコ系住民による独立を宣言した。それが「北キプロス・トルコ共和国」で、40年以上たつが世界中でトルコ一国だけが承認している。つまり世界中が認めていない。結局ギリシャ系のクーデタは失敗に終わり、軍事政権も崩壊した。それ以来、ずっとキプロスの南北分断が続いている。この間、何度も連邦制導入による再統合交渉などが行われているが、いまだに決着の方向性が見えない。
そもそも、トルコとギリシャは、歴史的に深い対立関係にある。オスマン帝国から19世紀初頭にギリシャが独立して以来、ギリシャ人は領土の拡大を求め続けた。ギリシャの首都は古代の都市国家アテネだというのは、今ではみんなそう思い込んでいるけど、ギリシャ人からすれば本当の首都はコンスタンティノープル(トルコ名イスタンブール)であるべきなのである。第一次大戦後、トルコ共和国建国時には200万とも言われるギリシャ人が「住民交換」でトルコから強制追放された。同じNATO加盟国なんだけど、歴史的な対立感情は根深い。
次はクルド人問題を簡単に。クルド人は「国家を持たない世界最大の民族」と言われる。オスマン帝国支配下の時代には、中東一帯に国境はなく「クルド人問題」もなかった。帝国崩壊後に、クルド人が多く住む辺境山岳地帯は、トルコ、シリア、イラク、イランなどに分断され、それぞれの国の少数民族になってしまった。2500万~3000万の人口がいるとされ、ほとんどはイスラム教スンナ派。言語はインド・ヨーロッパ語系のクルド語。トルコには1500万近いクルド人がいる。
トルコでは共和人民党時代には、存在自体認められず「山岳トルコ人」などと言われていた。クルド人は独立運動を起こし、中でも左翼系のクルディスタン労働党(PKK)は世界でテロ攻撃を起こした。1999年に指導者オジャランがケニアで逮捕され、獄中でマルクス主義の放棄を明らかにした。2013年以来、PKKは停戦に合意し、一時的にクルド問題の好転があった。2015年6月の総選挙では、クルド系の国民民主主義党が80議席を獲得して驚かせた。単にクルド系だけではなく、都市の知識人などに訴える路線が功を奏したと言われる。(10月の再選挙では、59議席)
ところが、2015年に起きたISとクルド系武装組織の「コバニ包囲戦」が大きな影響を与えた。トルコ国境に近いクルド人都市コバニ(シリア名アイン・アル・アラブ)は、ISにとってもクルド人にとっても重要な都市だった。この戦闘で、トルコはクルド系武装組織を十分に支援しなかったと言われる。もっとはっきり言えば「見殺し」的な対応を取った。アメリカはISを最重要の敵と考えるから、クルド系支援を打ち出した。一方、トルコはクルド系の独立につながりかねない、国境地帯の「クルド自由地帯」を認められない。そこから事実上トルコ領内に出入りできては、シリア領内にクルド人の独立基地ができるようなものである。結局、ISが敗北してコバニ戦は終わったが、それ以後トルコ国内ではクルド系組織によるテロも起きている。今後の推移が要注目。
最後に「アルメニア人問題」。これはトルコ版「歴史認識問題」である。第一次世界大戦の最中に、オスマン帝国軍によってアルメニア人を100万人近く虐殺されたと言われる問題である。アルメニアはトルコ東方の小国で、長い歴史を持つ。世界で初めてキリスト教を国教化した国で、それは301年のことである。ただし、そのキリスト教はカトリックや東方正教とは違う、もっと古いアルメニア使徒教会である。人口は300万ほどで、国外にいるアルメニア人の方が多いとされる。ソ連時代は連邦内の共和国だったが、ソ連崩壊で独立国家となった。
第一次大戦ではオスマン帝国はドイツ、オーストリア側にたって参戦し、歴史的に対立が深いロシアと戦った。オスマン帝国軍は、アルメニア人を帝国内にいる「敵国人」とみなして、強制追放(「死の後進」)された。多くの犠牲が出たことは明らかで、トルコも否定していない。近年になってエルドアン大統領が追悼の意を示してもいる。だが、フランスなど世界各地にいるアルメニア人は、「ジェノサイド」(民族大虐殺)だったとして強くトルコを非難した。アルメニア人組織によるトルコ外交官に対するテロも起こった。フランスでは「アルメニア人虐殺否定禁止法」が一時可決されるまでになった。(結局は廃案。)こうして、アルメニア人虐殺問題は、現代政治の問題となってしまい、トルコ国内では自由に議論できる環境ではない。だから、実態解明も進みにくい。
2015年暮れに日本でも公開された、ファティ・アキン監督「消えた声が、その名を呼ぶ」という映画がある。これは第一次大戦下にアルメニア人が軍に動員され、からくも虐殺を逃れた様子が描かれている。その間に家族は故郷を追放され、妻は死んで双子の娘は行方不明となった。この娘を探して、父親がハイチやアメリカ各地をさまよう様子を描き、親と子の愛情の映画となっている。トルコの中にも様々な人がいることも描かれているが、同時に軍隊による虐殺、追放の非情なようすも直視している。監督はトルコ系のドイツ人なので、これは製作自体が非常に勇気ある映画だと思う。
以上、キプロス、クルド、アルメニアとトルコは内外に問題を抱えている。どれも「第一次世界大戦後のオスマン帝国崩壊による問題」である。それを思えば、「第二次世界大戦後の大日本帝国崩壊による問題」が70年程度で完全に解決しないのも当然か。それにしても、トルコが抱える様々な問題は、日本にとっても大事な問題が多く、ヨーロッパや中東の政治と複雑に絡んでいる、一応、この程度はおさえておきたいということで。
1987年にはEC(EUの前身)に加盟を申請している。長いことたなざらしにされたが、2005年から加盟交渉が始まった。それも事実上行き詰まり状態にある。トルコはイスラム教社会だから、トルコが加盟して大量のムスリムが流入することへの恐れが背景にはあるのは間違いない。だけど、タテマエ的には、トルコ国内の人権状況、あるいはトルコと周辺諸国との争いが続いていることがEU加盟の障害となっている。特に、EU加盟国のギリシャ、キプロスとの関係が好転しない限り進展しない。
キプロス問題は、最近は事態がこう着状態にあるからほとんど報道されない。知らない人もいるかと思うから最初に。キプロスはトルコの南方、東地中海にある島国。世界で81番目の大きさの島で、四国の半分ぐらいである。イギリスの植民地だったけど、地中海の島のほとんどと同じく、住民はギリシャ人。しかし、オスマン帝国支配下でトルコ系住民が増え、おおよそギリシャ系8割、トルコ系2割程度とされる。ギリシャ系はギリシャに、トルコ系はトルコに、それぞれ併合することを希望したが、結局1960年に島国として独立することになった。
1974年に、当時のギリシャ軍事政権が関わって、ギリシャ系のクーデタが起こった。それに対抗して、トルコ軍が介入して、キプロス島北部だけでトルコ系住民による独立を宣言した。それが「北キプロス・トルコ共和国」で、40年以上たつが世界中でトルコ一国だけが承認している。つまり世界中が認めていない。結局ギリシャ系のクーデタは失敗に終わり、軍事政権も崩壊した。それ以来、ずっとキプロスの南北分断が続いている。この間、何度も連邦制導入による再統合交渉などが行われているが、いまだに決着の方向性が見えない。
そもそも、トルコとギリシャは、歴史的に深い対立関係にある。オスマン帝国から19世紀初頭にギリシャが独立して以来、ギリシャ人は領土の拡大を求め続けた。ギリシャの首都は古代の都市国家アテネだというのは、今ではみんなそう思い込んでいるけど、ギリシャ人からすれば本当の首都はコンスタンティノープル(トルコ名イスタンブール)であるべきなのである。第一次大戦後、トルコ共和国建国時には200万とも言われるギリシャ人が「住民交換」でトルコから強制追放された。同じNATO加盟国なんだけど、歴史的な対立感情は根深い。
次はクルド人問題を簡単に。クルド人は「国家を持たない世界最大の民族」と言われる。オスマン帝国支配下の時代には、中東一帯に国境はなく「クルド人問題」もなかった。帝国崩壊後に、クルド人が多く住む辺境山岳地帯は、トルコ、シリア、イラク、イランなどに分断され、それぞれの国の少数民族になってしまった。2500万~3000万の人口がいるとされ、ほとんどはイスラム教スンナ派。言語はインド・ヨーロッパ語系のクルド語。トルコには1500万近いクルド人がいる。
トルコでは共和人民党時代には、存在自体認められず「山岳トルコ人」などと言われていた。クルド人は独立運動を起こし、中でも左翼系のクルディスタン労働党(PKK)は世界でテロ攻撃を起こした。1999年に指導者オジャランがケニアで逮捕され、獄中でマルクス主義の放棄を明らかにした。2013年以来、PKKは停戦に合意し、一時的にクルド問題の好転があった。2015年6月の総選挙では、クルド系の国民民主主義党が80議席を獲得して驚かせた。単にクルド系だけではなく、都市の知識人などに訴える路線が功を奏したと言われる。(10月の再選挙では、59議席)
ところが、2015年に起きたISとクルド系武装組織の「コバニ包囲戦」が大きな影響を与えた。トルコ国境に近いクルド人都市コバニ(シリア名アイン・アル・アラブ)は、ISにとってもクルド人にとっても重要な都市だった。この戦闘で、トルコはクルド系武装組織を十分に支援しなかったと言われる。もっとはっきり言えば「見殺し」的な対応を取った。アメリカはISを最重要の敵と考えるから、クルド系支援を打ち出した。一方、トルコはクルド系の独立につながりかねない、国境地帯の「クルド自由地帯」を認められない。そこから事実上トルコ領内に出入りできては、シリア領内にクルド人の独立基地ができるようなものである。結局、ISが敗北してコバニ戦は終わったが、それ以後トルコ国内ではクルド系組織によるテロも起きている。今後の推移が要注目。
最後に「アルメニア人問題」。これはトルコ版「歴史認識問題」である。第一次世界大戦の最中に、オスマン帝国軍によってアルメニア人を100万人近く虐殺されたと言われる問題である。アルメニアはトルコ東方の小国で、長い歴史を持つ。世界で初めてキリスト教を国教化した国で、それは301年のことである。ただし、そのキリスト教はカトリックや東方正教とは違う、もっと古いアルメニア使徒教会である。人口は300万ほどで、国外にいるアルメニア人の方が多いとされる。ソ連時代は連邦内の共和国だったが、ソ連崩壊で独立国家となった。
第一次大戦ではオスマン帝国はドイツ、オーストリア側にたって参戦し、歴史的に対立が深いロシアと戦った。オスマン帝国軍は、アルメニア人を帝国内にいる「敵国人」とみなして、強制追放(「死の後進」)された。多くの犠牲が出たことは明らかで、トルコも否定していない。近年になってエルドアン大統領が追悼の意を示してもいる。だが、フランスなど世界各地にいるアルメニア人は、「ジェノサイド」(民族大虐殺)だったとして強くトルコを非難した。アルメニア人組織によるトルコ外交官に対するテロも起こった。フランスでは「アルメニア人虐殺否定禁止法」が一時可決されるまでになった。(結局は廃案。)こうして、アルメニア人虐殺問題は、現代政治の問題となってしまい、トルコ国内では自由に議論できる環境ではない。だから、実態解明も進みにくい。
2015年暮れに日本でも公開された、ファティ・アキン監督「消えた声が、その名を呼ぶ」という映画がある。これは第一次大戦下にアルメニア人が軍に動員され、からくも虐殺を逃れた様子が描かれている。その間に家族は故郷を追放され、妻は死んで双子の娘は行方不明となった。この娘を探して、父親がハイチやアメリカ各地をさまよう様子を描き、親と子の愛情の映画となっている。トルコの中にも様々な人がいることも描かれているが、同時に軍隊による虐殺、追放の非情なようすも直視している。監督はトルコ系のドイツ人なので、これは製作自体が非常に勇気ある映画だと思う。
以上、キプロス、クルド、アルメニアとトルコは内外に問題を抱えている。どれも「第一次世界大戦後のオスマン帝国崩壊による問題」である。それを思えば、「第二次世界大戦後の大日本帝国崩壊による問題」が70年程度で完全に解決しないのも当然か。それにしても、トルコが抱える様々な問題は、日本にとっても大事な問題が多く、ヨーロッパや中東の政治と複雑に絡んでいる、一応、この程度はおさえておきたいということで。