イランの映画監督、アッバス・キアロスタミ(1940~2016)が4日に亡くなった。76歳。パリでがん治療中だったという。アベノミクスなどを書いていて遅くなってしまったが、やっぱり書いておきたい。

1970年代から活躍していたけれど、日本で公開された「友だちのうちはどこ?」(1987)でキアロスタミの名を知った。1993年のことで、その年のキネ旬8位に選ばれている。ロカルノ映画祭で評判になっていたことは聞いていたが、実際に初めて見て、その素朴で温かく、同時にたくらみに満ちた演出やカメラワークに感嘆した。イランの農村地帯の風景など、いわゆる「ジグザグ道」も興味深かった。今の日本の若者が見れば、なんでスマホないの? という感じかもしれないが。(その後のキアロスタミ、あるいは他の監督の映画を見ても、イランでもケータイの普及は進んでいるようだが。
イランは、1979年のイスラム革命、それに続くイラン・イラク戦争で、芸術上の自由な活動が大きく制限される状況が続いた。そんな中で「児童映画」は比較的制限が少なく、だから児童映画の名作がたくさん作られたのだと言われる。確かにそういう側面はあるだろう。と同時に、戦時体制、宗教支配のもとで、人々の心も子どもが出てくる映画を望んだのではないだろうか。
キアロスタミは最近まで活動していたが、21世紀になってからの作品には衰えが見られた。20世紀末に続々と日本公開された映画が、やはり素晴らしかったと思う。だから、若い人の中には、あまり知らない人もいるのではないか。だけど、間違いなく20世紀末の最も重要な映画作家の一人である。小津安二郎の影響を公言し、アキラ・クロサワとイニシャルが同じだと喜ぶキアロスタミは、日本映画界にとっても重要な映画作家だった。遺作となった「ライク・サムワン・イン・ラブ」は日本人俳優を使い、日本で撮影された映画だった。あまり評判にはならなかったが、結構面白かったと思う。
「友だちのうちはどこ?」に続き、イランで起こった大地震を扱う「そして人生は続く」「オリーブの林をぬけて」「クローズアップ」と続々と公開され、93、94、95と3年連続でキネ旬ベストテンに入っている。そして、97年のカンヌ映画祭で(今村昌平の「うなぎ」とともに)パルムドールを受賞した「桜桃の味」が作られた。テヘラン近郊の砂漠地帯を舞台に、イスラム教ではタブーである「自殺」をテーマとする傑作である。その後、1999年にベネツィア映画祭審査員賞の「風が吹くまま」を作る。ここら辺までが重要な作品が連続した時代。
もともとドキュメンタリー作品も多く、事実だか虚構だか判らないような作品が多い。劇映画で社会のありようを壮大に描くというような作家ではなかった。作品の中には、スケッチのような、シネマエッセイというような作品も多い。それが20世紀末のイラン社会を描くのに適した方法であり、同時に世界にも訴えたところである。何が真実で何がドラマだか、なんだか判らないような世界を日々生きているのだから。淡彩に過ぎると思うときもあったけど、「ハイク」という芸術形式に親しんでいる日本人には向いていた。監督も日本文化に親近感を持った。
キアロスタミ映画が日本でも評価されたことから、モフセン・マフバルバフなど他のイラン監督作品も続々と公開された。欧米や東アジア以外の映画が、ベストテンに入選したのは、非常に珍しい。イランはこの間、特異な宗教国家として、人権や核開発など多くの問題を指摘されてきた。だけど、イランの民衆の多くは平和を愛好し、思いやりや温かさを持っていることを、僕は多くのイラン映画で知ることができた。同時に、イランで官僚主義や多くの理不尽が起きていることも、映画で垣間見ることができた。大体、キアロスタミやマフバルバフも、近年は外国でしか映画が撮れなかった。最後にイランで撮れなかったことは、心残りではなかったかと思う。今後追悼上映なども行われると思うが、ぜひ知ってほしい映画世界である。

1970年代から活躍していたけれど、日本で公開された「友だちのうちはどこ?」(1987)でキアロスタミの名を知った。1993年のことで、その年のキネ旬8位に選ばれている。ロカルノ映画祭で評判になっていたことは聞いていたが、実際に初めて見て、その素朴で温かく、同時にたくらみに満ちた演出やカメラワークに感嘆した。イランの農村地帯の風景など、いわゆる「ジグザグ道」も興味深かった。今の日本の若者が見れば、なんでスマホないの? という感じかもしれないが。(その後のキアロスタミ、あるいは他の監督の映画を見ても、イランでもケータイの普及は進んでいるようだが。
イランは、1979年のイスラム革命、それに続くイラン・イラク戦争で、芸術上の自由な活動が大きく制限される状況が続いた。そんな中で「児童映画」は比較的制限が少なく、だから児童映画の名作がたくさん作られたのだと言われる。確かにそういう側面はあるだろう。と同時に、戦時体制、宗教支配のもとで、人々の心も子どもが出てくる映画を望んだのではないだろうか。
キアロスタミは最近まで活動していたが、21世紀になってからの作品には衰えが見られた。20世紀末に続々と日本公開された映画が、やはり素晴らしかったと思う。だから、若い人の中には、あまり知らない人もいるのではないか。だけど、間違いなく20世紀末の最も重要な映画作家の一人である。小津安二郎の影響を公言し、アキラ・クロサワとイニシャルが同じだと喜ぶキアロスタミは、日本映画界にとっても重要な映画作家だった。遺作となった「ライク・サムワン・イン・ラブ」は日本人俳優を使い、日本で撮影された映画だった。あまり評判にはならなかったが、結構面白かったと思う。
「友だちのうちはどこ?」に続き、イランで起こった大地震を扱う「そして人生は続く」「オリーブの林をぬけて」「クローズアップ」と続々と公開され、93、94、95と3年連続でキネ旬ベストテンに入っている。そして、97年のカンヌ映画祭で(今村昌平の「うなぎ」とともに)パルムドールを受賞した「桜桃の味」が作られた。テヘラン近郊の砂漠地帯を舞台に、イスラム教ではタブーである「自殺」をテーマとする傑作である。その後、1999年にベネツィア映画祭審査員賞の「風が吹くまま」を作る。ここら辺までが重要な作品が連続した時代。
もともとドキュメンタリー作品も多く、事実だか虚構だか判らないような作品が多い。劇映画で社会のありようを壮大に描くというような作家ではなかった。作品の中には、スケッチのような、シネマエッセイというような作品も多い。それが20世紀末のイラン社会を描くのに適した方法であり、同時に世界にも訴えたところである。何が真実で何がドラマだか、なんだか判らないような世界を日々生きているのだから。淡彩に過ぎると思うときもあったけど、「ハイク」という芸術形式に親しんでいる日本人には向いていた。監督も日本文化に親近感を持った。
キアロスタミ映画が日本でも評価されたことから、モフセン・マフバルバフなど他のイラン監督作品も続々と公開された。欧米や東アジア以外の映画が、ベストテンに入選したのは、非常に珍しい。イランはこの間、特異な宗教国家として、人権や核開発など多くの問題を指摘されてきた。だけど、イランの民衆の多くは平和を愛好し、思いやりや温かさを持っていることを、僕は多くのイラン映画で知ることができた。同時に、イランで官僚主義や多くの理不尽が起きていることも、映画で垣間見ることができた。大体、キアロスタミやマフバルバフも、近年は外国でしか映画が撮れなかった。最後にイランで撮れなかったことは、心残りではなかったかと思う。今後追悼上映なども行われると思うが、ぜひ知ってほしい映画世界である。