劇団民藝の「野の花ものがたり」(作=ふたくち つよし 演出=中島裕一郎)を初日に見た。新宿の紀伊国屋サザンシアターで14日まで。「ザ・空気」を見たばかりだし、大体原則的に初日には見ないことにしてるんだけど、今回は例外。それは劇のモデルになった徳永進さんのトークがこの日に予定されていたからである。徳永さんの話を直接聞くのは、後で書くように20年ぶりである。

徳永進さん(1948~)は医師であり、またエッセイストと紹介されることが多い。「死の中の笑み」という本で1982年の講談社ノンフィクション賞を取って、世に広く知られた。その時の同時受賞が、松下竜一「ルイズ」だったので、松下竜一や本のモデルの伊藤ルイ(大杉栄と伊藤野枝の間に生まれた末娘で、晩年に様々な社会運動に関わった)との関わりでもよく話を聞いた人である。
その当時、徳永さんは鳥取日赤病院の医師だった。その後退職して、2001年に建てたのがホスピスの「野の花診療所」である。公演のチラシを引用すれば、どんな場所かよく判る。「最期の時を自由に個性的に送ってもらおうと建てられた「野の花診療所」。鳥取市内に実在するベッド数19床の小さな診療所と徳永進医師をモデルに描く、ふたくちつよし民藝第三作。「命」によりそう医師と看護師、最期の時を迎えた家族たちの心あたたまる舞台です。」
舞台上には4つのベッドが置かれ、段差があって手前に「ラウンジ」がある。(ラウンジというのは、さまざまな集まりに利用できる場所で、実際に診療所内にある。ここは一度行ったことがある。)その4つのベッドで展開される4つの人生ドラマ。時々進行役の徳丸進医師(劇内では「徳丸」とされている)が出てきて、ドラマを整理し進行する役を担う。それぞれのベッドにスポットライトがあたると、そこで劇が進行する。割と素直な劇作で、ちょっと前の「ザ・空気」のような登場人物たちの張りつめた葛藤は少ない。
というか、本当はもっとすごい葛藤があったはずである。もうすぐ死ぬ人々の話なんだから。だけど、ここはもう「ホスピス」だから、もう少しの生を送る場所なのである。もちろんわれわれ全員が、遅かれ早かれ死ぬわけである。でも、多くの人にとって、その遅い早いは何十年のレベルの問題だろう。ここで出てくる患者さんにとっては、遅かれ早かれとは「数ケ月以内のレベルの問題」なのである。だから、徳丸医師は3千枚ほどの死亡診断書を書いてきたと語る。そういう場所で人々はいかに生きるか。
そこに「死をいかに受け入れるか」という問題が生じる。そして、人は死で終わるのではなく、生から永遠への道の中で、死はその途中にあるという考えが示される。そういう風に考えるのは徳丸医師だが、ひとりひとりの患者は、それは様々である。長生きしていても、死はなかなか受け入れがたい。ましてや、仕事の途上で、あるいはもっと若くて死に直面させられた人は、何で自分がガンになるんだと怒りをため込んでいる。誰に怒っても仕方ないことなんだけど、とりあえず周囲にいる家族や医療スタッフに怒ることになる。そういう人間のありようが、ていねいに描写されていく。
これは「ザ・空気」とまた違った意味で、現代人に多くの問題を投げかける劇だと思う。安倍政権やトランプ政権がどうあろうと、人はどこかで生きて死んでいく。その死んでいく当事者にとっては、まず自分の生をどう考えるかで精いっぱいである。そのような日々の厳粛なありようを多くの達者な役者たちが自然な感じで演じている。徳丸医師の杉本孝次をはじめ、民藝にも何人もいる有名な役者は出ていない。そういう公演が可能だということで、新劇の劇団システムの良さを味わうことができる。
僕が徳永さんの名前を知ったのは、奈良にある「交流(むすび)の家」で、管理人をしていた故・飯河梨貴さんから本を貰った時だと思う。徳永さんがハンセン病療養所・長島愛生園に通ってまとめた鳥取出身のハンセン病者の聞き書き「隔離」という本である。「進ちゃんが本を出したのよ」と交流の家に何冊も置いてあった。FIWC(フレンズ国際労働キャンプ)関西委員会のメンバーで、若い時から「らい者」(ハンセン病患者)によりそう活動を続けていた人だったのである。(なお、「隔離」はその後岩波同時代ライブラリー、岩波現代文庫に収録されたが、現代品切れ。名著なので、長く読まれて欲しい。)

1996年に「らい予防法」が廃止されたとき、FIWC関西委員会は大阪で記念集会を開いた。東京から皆で僕の車で駆け付けた時に印象的だったのが、徳永進さんの話だった。深くて面白い。関東委員会のメンバーだった筑紫哲也氏の講演もあった。当時、多磨全生園自治会長だった森本美代治さんの話も心を打った。だから、この集会を関東委員会でもやろうじゃないかと呼びかけた。FIWCの原則通り、言い出した僕が責任者になって、1997年の6月にいまはもう使えない九段会館で実施したのだった。その時に徳永進さんに鳥取から来てもらった。劇の中徳丸医師が披露しているハーモニカも、このときに聞いた。これほど心を打った講演もなかったと思う。そんな徳永さんの話をまた聞けて良かった。今大変な思いの仕事を毎日つらい思いでしている人に、ぜひ見て欲しい劇である。

徳永進さん(1948~)は医師であり、またエッセイストと紹介されることが多い。「死の中の笑み」という本で1982年の講談社ノンフィクション賞を取って、世に広く知られた。その時の同時受賞が、松下竜一「ルイズ」だったので、松下竜一や本のモデルの伊藤ルイ(大杉栄と伊藤野枝の間に生まれた末娘で、晩年に様々な社会運動に関わった)との関わりでもよく話を聞いた人である。
その当時、徳永さんは鳥取日赤病院の医師だった。その後退職して、2001年に建てたのがホスピスの「野の花診療所」である。公演のチラシを引用すれば、どんな場所かよく判る。「最期の時を自由に個性的に送ってもらおうと建てられた「野の花診療所」。鳥取市内に実在するベッド数19床の小さな診療所と徳永進医師をモデルに描く、ふたくちつよし民藝第三作。「命」によりそう医師と看護師、最期の時を迎えた家族たちの心あたたまる舞台です。」
舞台上には4つのベッドが置かれ、段差があって手前に「ラウンジ」がある。(ラウンジというのは、さまざまな集まりに利用できる場所で、実際に診療所内にある。ここは一度行ったことがある。)その4つのベッドで展開される4つの人生ドラマ。時々進行役の徳丸進医師(劇内では「徳丸」とされている)が出てきて、ドラマを整理し進行する役を担う。それぞれのベッドにスポットライトがあたると、そこで劇が進行する。割と素直な劇作で、ちょっと前の「ザ・空気」のような登場人物たちの張りつめた葛藤は少ない。
というか、本当はもっとすごい葛藤があったはずである。もうすぐ死ぬ人々の話なんだから。だけど、ここはもう「ホスピス」だから、もう少しの生を送る場所なのである。もちろんわれわれ全員が、遅かれ早かれ死ぬわけである。でも、多くの人にとって、その遅い早いは何十年のレベルの問題だろう。ここで出てくる患者さんにとっては、遅かれ早かれとは「数ケ月以内のレベルの問題」なのである。だから、徳丸医師は3千枚ほどの死亡診断書を書いてきたと語る。そういう場所で人々はいかに生きるか。
そこに「死をいかに受け入れるか」という問題が生じる。そして、人は死で終わるのではなく、生から永遠への道の中で、死はその途中にあるという考えが示される。そういう風に考えるのは徳丸医師だが、ひとりひとりの患者は、それは様々である。長生きしていても、死はなかなか受け入れがたい。ましてや、仕事の途上で、あるいはもっと若くて死に直面させられた人は、何で自分がガンになるんだと怒りをため込んでいる。誰に怒っても仕方ないことなんだけど、とりあえず周囲にいる家族や医療スタッフに怒ることになる。そういう人間のありようが、ていねいに描写されていく。
これは「ザ・空気」とまた違った意味で、現代人に多くの問題を投げかける劇だと思う。安倍政権やトランプ政権がどうあろうと、人はどこかで生きて死んでいく。その死んでいく当事者にとっては、まず自分の生をどう考えるかで精いっぱいである。そのような日々の厳粛なありようを多くの達者な役者たちが自然な感じで演じている。徳丸医師の杉本孝次をはじめ、民藝にも何人もいる有名な役者は出ていない。そういう公演が可能だということで、新劇の劇団システムの良さを味わうことができる。
僕が徳永さんの名前を知ったのは、奈良にある「交流(むすび)の家」で、管理人をしていた故・飯河梨貴さんから本を貰った時だと思う。徳永さんがハンセン病療養所・長島愛生園に通ってまとめた鳥取出身のハンセン病者の聞き書き「隔離」という本である。「進ちゃんが本を出したのよ」と交流の家に何冊も置いてあった。FIWC(フレンズ国際労働キャンプ)関西委員会のメンバーで、若い時から「らい者」(ハンセン病患者)によりそう活動を続けていた人だったのである。(なお、「隔離」はその後岩波同時代ライブラリー、岩波現代文庫に収録されたが、現代品切れ。名著なので、長く読まれて欲しい。)

1996年に「らい予防法」が廃止されたとき、FIWC関西委員会は大阪で記念集会を開いた。東京から皆で僕の車で駆け付けた時に印象的だったのが、徳永進さんの話だった。深くて面白い。関東委員会のメンバーだった筑紫哲也氏の講演もあった。当時、多磨全生園自治会長だった森本美代治さんの話も心を打った。だから、この集会を関東委員会でもやろうじゃないかと呼びかけた。FIWCの原則通り、言い出した僕が責任者になって、1997年の6月にいまはもう使えない九段会館で実施したのだった。その時に徳永進さんに鳥取から来てもらった。劇の中徳丸医師が披露しているハーモニカも、このときに聞いた。これほど心を打った講演もなかったと思う。そんな徳永さんの話をまた聞けて良かった。今大変な思いの仕事を毎日つらい思いでしている人に、ぜひ見て欲しい劇である。