温泉の話はまだあるけど、ちょっと置いといて。日本の作家、池澤夏樹(1945~)の本の話を先に書きたい。池澤夏樹は僕の最も好きな作家の一人だけど、しばらく読んでなかった。作家デビュー以後ずっと読んでいたけど、最近は読むのをお休みしていた。いつか読むつもりで買い続けていたけれど。

なんで今読んだのかと言われても、特に何かきっかけがあったわけでもない。辻原登「籠の鸚鵡」を読んで、現代日本の長編小説が読みたい気分になったのかな。冬はよくミステリーを読んでたんだけど、今年は読んでない。海外ミステリーもけっこう時間がかかる。ノンフィクションも時間を取られる。現代日本の小説が一番読みやすい。その中でも、今回読んで改めて思ったけど、池澤夏樹の小説の面白さと読みやすさは素晴らしい。読んでない人はものすごく損をしていると思う。
僕は池澤夏樹の小説では、1993年の「マシアス・ギリの失脚」(谷崎潤一郎賞)と2004年の「静かな大地」(親鸞賞)が最高傑作だと思う。小説以外でもたくさん書いているが、「ハワイイ紀行」(1996年)が一番面白かった。これらの読書体験があまりにも素晴らしかったので、なんかしばらくいいというか、もうこれ以上の感動はないような気になってしまった。そういうことかな。
池澤夏樹が書いたものを初めて読んだのは、多分岩波ホールでテオ・アンゲロプロスの映画「旅芸人の記録」を見た時なんだと思う。よく知られているように、池澤夏樹は若い時にギリシャに3年間住んでいた。そして縁あってアンゲロプロスの字幕を付けることになり、その後彼が交通事故で急逝するまで、全作品の字幕を担当した。初公開の1979年当時、もちろん字幕翻訳者のことは知らなかったが。
その後、小説を書くようになり、評価も高まっていく。そして、1988年に「スティル・ライフ」で芥川賞を受賞した時は、さっそく読んだと記憶している。最初の小説集「夏の朝の成層圏」(1984)も印象深い。その頃には、池澤夏樹が福永武彦の息子だということも知っていたと思う。今回調べて初めて知ったんだけど、作家福永武彦はマチネ・ポエティックの同人だった原條あき子という女性と結婚した。池澤夏樹は、戦争中に疎開先だった北海道帯広市で生まれた。だが、1950年に両親が離婚、母に連れられて東京に移った。池澤という姓は、母の再婚相手のもので、実父のことは高校生になるまで知らなかった。
福永武彦は僕の大好きな短編「廃市」の作者だが、他には長編「草の花」ぐらいしか読んでない。ロマネスクな世界に共通性もないではないと思うが、むしろ池澤夏樹には違う面が多いと思う。それは池澤夏樹が(都立富士高を卒業して)、1964年に埼玉大学物理学科に入学したという経歴が大きい。(これは2016年にノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章氏の13年前の先輩ということになる。結局は卒業していないのだが。なお、池澤夏樹の「星に降る雪」という小説には、スーパー・カミオカンデが出てくる。)
理系出身の作家はかなり多いが、理知的でクールな世界観の人がやはり多いように思う。池澤夏樹は特に、その静かで透明な世界に、何か理系の感覚を感じる。その後にいくつも書くことになる大長編小説では、ひたすら壮大な物語が展開されることも多く、必ずしも理系っぽいわけではないと思う。だけど、主人公をめぐって論争が繰り広げられたり、設定の工学的側面がきちんと書かれていることなど、ちょっと他の作家と違う印象がある。
しかし、それ以上に大きいのは、「世界放浪癖」というべきものだと思う。ギリシャの他にも、ミクロネシアに住み、フランスに住み、沖縄に住む。ベースは北海道にあるらしいけど、「パレオマニア」という本では古代遺跡を求めて世界13か国を訪ね歩いている。このフットワークの軽さは普通じゃない。では、日本文化の土着性がまったく感じられないかというと、決してそんなことはない。
だけど、そこで出てくる「日本人」は、中央から見た「日本人」とは異質の人々が出てくる小説が多い。アイヌ民族や沖縄の人々のような。外国人を主人公にするものもかなりある。世界を旅し、外国の小説をよく読む。世界に開かれた文学世界なんだけど、でも池澤夏樹を読むときには、「日本」を常に意識せざるを得ない。閉じた世界ではなく、日本にも通じる「世界」を常に描き続けている。
池澤夏樹の生き方を反映してか、その小説には「思索する」ことと「冒険する」ことを常に続けている人々が登場する。辻原登の「韃靼の馬」や「ジャスミン」などは、現代日本で書かれた最高の冒険小説だと思うけど、池澤夏樹の長編小説も負けていない。小説を読む楽しさを全身で味わえる。池澤夏樹の「冒険」は、ただ外面的な冒険だけではない。心の内面を深く旅していくスピリチュアルな冒険。池澤夏樹の小説で、それを味わい、思索する。それは現代を生きる勇気を与えてくれる素晴らしい体験である。具体的な読書内容は次回以後に書いていくが、まず最初に作家池澤夏樹のまとめ。

なんで今読んだのかと言われても、特に何かきっかけがあったわけでもない。辻原登「籠の鸚鵡」を読んで、現代日本の長編小説が読みたい気分になったのかな。冬はよくミステリーを読んでたんだけど、今年は読んでない。海外ミステリーもけっこう時間がかかる。ノンフィクションも時間を取られる。現代日本の小説が一番読みやすい。その中でも、今回読んで改めて思ったけど、池澤夏樹の小説の面白さと読みやすさは素晴らしい。読んでない人はものすごく損をしていると思う。
僕は池澤夏樹の小説では、1993年の「マシアス・ギリの失脚」(谷崎潤一郎賞)と2004年の「静かな大地」(親鸞賞)が最高傑作だと思う。小説以外でもたくさん書いているが、「ハワイイ紀行」(1996年)が一番面白かった。これらの読書体験があまりにも素晴らしかったので、なんかしばらくいいというか、もうこれ以上の感動はないような気になってしまった。そういうことかな。
池澤夏樹が書いたものを初めて読んだのは、多分岩波ホールでテオ・アンゲロプロスの映画「旅芸人の記録」を見た時なんだと思う。よく知られているように、池澤夏樹は若い時にギリシャに3年間住んでいた。そして縁あってアンゲロプロスの字幕を付けることになり、その後彼が交通事故で急逝するまで、全作品の字幕を担当した。初公開の1979年当時、もちろん字幕翻訳者のことは知らなかったが。
その後、小説を書くようになり、評価も高まっていく。そして、1988年に「スティル・ライフ」で芥川賞を受賞した時は、さっそく読んだと記憶している。最初の小説集「夏の朝の成層圏」(1984)も印象深い。その頃には、池澤夏樹が福永武彦の息子だということも知っていたと思う。今回調べて初めて知ったんだけど、作家福永武彦はマチネ・ポエティックの同人だった原條あき子という女性と結婚した。池澤夏樹は、戦争中に疎開先だった北海道帯広市で生まれた。だが、1950年に両親が離婚、母に連れられて東京に移った。池澤という姓は、母の再婚相手のもので、実父のことは高校生になるまで知らなかった。
福永武彦は僕の大好きな短編「廃市」の作者だが、他には長編「草の花」ぐらいしか読んでない。ロマネスクな世界に共通性もないではないと思うが、むしろ池澤夏樹には違う面が多いと思う。それは池澤夏樹が(都立富士高を卒業して)、1964年に埼玉大学物理学科に入学したという経歴が大きい。(これは2016年にノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章氏の13年前の先輩ということになる。結局は卒業していないのだが。なお、池澤夏樹の「星に降る雪」という小説には、スーパー・カミオカンデが出てくる。)
理系出身の作家はかなり多いが、理知的でクールな世界観の人がやはり多いように思う。池澤夏樹は特に、その静かで透明な世界に、何か理系の感覚を感じる。その後にいくつも書くことになる大長編小説では、ひたすら壮大な物語が展開されることも多く、必ずしも理系っぽいわけではないと思う。だけど、主人公をめぐって論争が繰り広げられたり、設定の工学的側面がきちんと書かれていることなど、ちょっと他の作家と違う印象がある。
しかし、それ以上に大きいのは、「世界放浪癖」というべきものだと思う。ギリシャの他にも、ミクロネシアに住み、フランスに住み、沖縄に住む。ベースは北海道にあるらしいけど、「パレオマニア」という本では古代遺跡を求めて世界13か国を訪ね歩いている。このフットワークの軽さは普通じゃない。では、日本文化の土着性がまったく感じられないかというと、決してそんなことはない。
だけど、そこで出てくる「日本人」は、中央から見た「日本人」とは異質の人々が出てくる小説が多い。アイヌ民族や沖縄の人々のような。外国人を主人公にするものもかなりある。世界を旅し、外国の小説をよく読む。世界に開かれた文学世界なんだけど、でも池澤夏樹を読むときには、「日本」を常に意識せざるを得ない。閉じた世界ではなく、日本にも通じる「世界」を常に描き続けている。
池澤夏樹の生き方を反映してか、その小説には「思索する」ことと「冒険する」ことを常に続けている人々が登場する。辻原登の「韃靼の馬」や「ジャスミン」などは、現代日本で書かれた最高の冒険小説だと思うけど、池澤夏樹の長編小説も負けていない。小説を読む楽しさを全身で味わえる。池澤夏樹の「冒険」は、ただ外面的な冒険だけではない。心の内面を深く旅していくスピリチュアルな冒険。池澤夏樹の小説で、それを味わい、思索する。それは現代を生きる勇気を与えてくれる素晴らしい体験である。具体的な読書内容は次回以後に書いていくが、まず最初に作家池澤夏樹のまとめ。