尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「カデナ」、沖縄1968、抵抗と冒険-池澤夏樹を読む②

2017年02月07日 20時50分39秒 | 本 (日本文学)
 いっぱい読んだ池澤夏樹の長編小説、第一弾は「カデナ」である。2007年から02008年にかけて「新潮」に連載され、2009年10月に刊行された。(現在は新潮文庫収録。)題名を見れば判る通り、これは沖縄の嘉手納基地が舞台になっている。だけど、小説内の時間は1968年である。つまり、まだ復帰前(沖縄県の日本復帰は、1972年5月15日)で、ベトナム戦争がもっとも激しかった時代の話。

 これはものすごく面白い、一種のスパイ小説冒険小説になっていると同時に「国家」と「戦争」というものについて深く考え込んでしまう物語でもある。しかし、そこには出口の見つからない深刻さはなくて、青春の明るさが感じられる。一種の青春小説としても読める本である。この小説には多くの死者も出てくるけれど、そのことを含めて物語が「未来」に向けて開かれている感じがしてくる。

 最初に「フリーダ=ジェーン」という章から始まる。嘉手納基地に勤める空軍の女性である。アメリカ人の父とフィリピン人の母の間に生まれた。第二次大戦では、日米のマニラ市街戦をからくも生き延びた。父の住むカリフォルニアの高校に留学して、アメリカ空軍に入るので、「アメリカ」に帰属意識があった。しかし同時に母を通して「フィリピン」に対してもつながりを保ち続けている。フリーダ=ジェーンという名前そのものが、父母の母親の名前を連ねたものである。そんなフリーダ=ジェーンは、ついパトリックと付き合うことになる。彼はB52爆撃機で北ベトナムを爆撃するパイロットだったのだが…。

 次は「嘉手刈朝栄」(かでかる・ちょーえー)という人物の話に変わる。時間がさかのぼって、1944年のサイパン島である。沖縄は貧しく、海外に移民した人が多いが、当時日本の委任統治領だった「南洋諸島」にも沖縄出身者がたくさんいて、砂糖栽培などを行っていた。戦争が始まり、やがて米軍が上陸し、米軍攻撃のもとで軍は玉砕する。鉄道勤務の彼は徴兵されず、米軍の捕虜となり生き残った。しかし、家族はみな死んでしまった。そんな過酷な過去を持つ朝栄は、やがて沖縄に戻り運送の仕事を始める。妻と知り合い、妻はやがて沖縄そばの店を開いて繁盛する。

 そんな二人がどう関わるのか。朝栄がサイパン時代の知人の「安南さん」(ベトナム出身だから)と久しぶりに再会する、一方、フリーダ=ジェーンの母からは、謎めいた手紙が娘に届く。そこに、嘉手納基地近くの店でロックバンドをしている「タカ」が現れる。タカは朝栄夫婦にずっと世話になっていた。タカたちのバンドが地元のヤクザともめて、彼らは基地の中に逃げ込んでいる。タカの姉は大学生で、ベトナム反戦運動に関わっている。そんな4人がつながるとき、ある小さな、しかし確実にスパイと言える行動が始まる。それは、北爆の情報をハノイに事前に伝えるということだった。

 そこまでは本の帯に書いてあるから、まあ書いてもいいかなと思う。でも、読んでみると、これは「スパイ」というより、「個人で国家に抵抗する」という生き方だと思う。戦争で家族を失った朝栄、二つの国に帰属することで、「フィリピンの属するアジアに対して暴虐を行う祖国アメリカ」に抵抗するフリーダ=ジェーン。彼女は身体の中に異質なものを抱え込んで生きていた。そのことに気付いて、自分で人生に風穴を開ける。そんな風が吹き抜ける感覚は、最も若くてバンドで活躍するタカにも流れている。

 タカの姉が関わる運動では米兵への脱走の呼びかけも行う。そのとき嘉手納基地にいるタカも重要な役割を果たす。「本土でもやっていて、実際に脱走する兵士が出た」と中で語られているのは実際にあったことだ。米軍の統治下にあった沖縄で行うには危険な運動だから、こっちは現実にあったかどうか知らない。この中では、呼びかけに応えて白人兵が脱走してくる。タカは英語が一番できるとして呼ばれ、その兵士をずっと付き合うことになる。彼の恋人とのエピソードも含めて、その部分は忘れがたい。人間は一人で何ができるのか。でも、できることもあるのである。

 ベトナム戦争も遠くなり、今ではもっと詳しく解説しないと伝わらないのかもしれない。でも、あまりにも長くなるからここでは触れない。とにかくベトナムは南北に分断され、社会主義の北ベトナムに対して、アメリカが支援する南ベトナムが戦っていた。というか、南の中で反政府勢力が政府軍を戦っていた。アメリカは1965年から直接北ベトナムを空爆する作戦を開始した。当時「北爆」と呼ばれ、世界から非難されていた。日本でもベトナム反戦運動が盛り上がった。

 この「北爆」には沖縄から直接出撃していた。小説内で出てくるような大きな事故も実際に起きた。沖縄の米軍基地は、タテマエ上は(沖縄の日本復帰により)「日本を守るため」にあることになっている。でも、これまでの歴史を見れば判るように、実は米軍がアジア一帯に展開するための基地(ベース)として存在してきた。そのことが、どれほど大きな傷跡を残したか。それもこの小説で読み取れる。

 この小説は特に政治的、歴史的な主張をする本ではない。むしろ主要登場人物を生き生きと描き分けることによって、「青春の冒険」をうたい上げる本という方が近い。いろいろと辛く厳しいことが出てくるが、それでも体の中をさわやかな風が吹き抜けていくような読後感がある。沖縄に住んでいたこともある池澤夏樹だけあって、「空気感」というか、食べ物などに特に感じるけど、当時の沖縄にいるみたいな気になって、ドキドキしながら読める。恋愛模様のゆくえも目が離せない面白本である。
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