昔の映画や映画祭に行ったりしているうちに、見たい映画もどんどん終わってしまう。イギリス映画「未来を花束にして」も今週で朝だけの上映になってしまう。その前に見ておきたいと思ったのは、題名だけでは判らないけど、これが20世紀初頭のイギリス女性参政権運動を描いているからである。日本のことが多少知っているけど、イギリスのことは全然知らない。とても貴重な機会だと思って、見たかったのである。まあ、テーマ的な関心と言っていい。その関心は十分に満たされるが、知らないことは多い。

原題は〝Suffragette”という。これじゃ日本ではなんだかわからないけど、「サフラジェット」というのが、イギリスで女性参政権を求めた女性を指す言葉だという。ウィキペディアにも、その言葉で解説がある。1912年のロンドン。洗濯工場で働くモード・ワッツは平凡な主婦だったが、配達の途中で偶然、窓ガラスを割って回るサフラジェットの運動にぶつかる。工場にも賛同者がいて、議会の公聴会で証言するという。モードも傍聴に行くと、同僚のヴァイオレットは顔にけがして(夫に暴行された?)、代わりにモードが証言する。だんだん仲間入りしていくモードを通して、運動内部、弾圧する警察側を描かれる。
指導者のエメリン・パークハースト(1858~1921、Emmeline Pankhurst)は有名な女性だったらしい。長年参政権要求運動を続け、やがて長女と次女も参加した。平和的な運動を長年続けたのに、イギリスでは全然変化がなかった。そこでパンクハースト夫人は「過激路線」を取った。繁華街のガラス割りはその中でも穏健な方。やがて、ポストを燃やしたり、電話線を切断したりするようになる。人命に影響を与えないという前提で、さまざまな方法で抗議した。大臣の別荘を爆破することもした。
パンクハースト夫人は映画ではあまり出てこないが、メリル・ストリープが貫録で演じていて、悠然たる演説シーンがある。過激な方法を取らないと注目されない。「言葉より行動を」と言って。堂々たるアジテータ―である。カリスマ的リーダーをさすがにストリープがうまく演じている。だから、同時代のイギリスでは、彼女たちは過激すぎるテロリストと思われていたようだ。だから、直接運動から離れる人も出てくる。そのあたりの内部事情を含めて、社会運動映画としても興味深い。
この運動方針の評価は、よく判らないとしか言えない。こうやって動いていったという歴史はあるんだろう。注目されずに、ただ正論を片隅で主張していればいいというもんでもないだろう。そしてサフラジェットたちは、1914年に第一次大戦がはじまると、「国家への協力」路線にかじを切るという。それは日本の女性運動がたどった道でもあった。「女性参政権」は国境を超えないのである。
主役のキャリー・マリガンは、何となく名前を憶えていなかったけど顔に見覚えがある。「わたしを離さないで」や「ドライブ」で中心人物だった人だった。夫はベン・ウィショー。運動家で薬剤師のイーディスにヘレナ・ボナム=カーター。脚本を「マーガレット・サッチャー」を書いたアビ・モーガン。監督はサラ・ガヴロン(1970~)という女性で、テレビを中心に活躍してきたらしい。
正直言って、ものすごくよくできた映画とまでは言えない。それでも夫の行動を通して、家父長制に支配される社会を印象的に描いている。また、「洗濯女工」というイギリス小説によく出てくる下層女性の実情もよく判る。ほんの1世紀前には、イギリスでさえこんな状態だった。そこから闘い取ったのである。今では当たり前すぎて意識しないような、参政権を取り上げたのは重要だ。ラストで世界で女性参政権が認められた年が出る。ニュージーランドが世界初で、1893年。以後、アメリカの州などで広がっていく。日本も出てくるかと思うと、素通りしてしまったのが残念。作り手に日本への関心がなかった。
日本では、戦前に長い女性参政権運動があった。特に市川房枝をリーダーにした婦選獲得同盟が有名である。長く帝国議会で門前払いされてきたが、1933年に一度だけ衆議院を通過したことがある。しかし、貴族院で否決されてしまった。それが身分制議会である貴族院の「役割」だったのだろう。そして、その年の秋に「満州事変」が起きて、戦時体制になっていった。日本で認められたのは、敗戦後の1945年12月。選挙で初めて公使したのは、1946年4月の総選挙だった。日本の女性運動を映画化する人はでてこないもんだろうか。

原題は〝Suffragette”という。これじゃ日本ではなんだかわからないけど、「サフラジェット」というのが、イギリスで女性参政権を求めた女性を指す言葉だという。ウィキペディアにも、その言葉で解説がある。1912年のロンドン。洗濯工場で働くモード・ワッツは平凡な主婦だったが、配達の途中で偶然、窓ガラスを割って回るサフラジェットの運動にぶつかる。工場にも賛同者がいて、議会の公聴会で証言するという。モードも傍聴に行くと、同僚のヴァイオレットは顔にけがして(夫に暴行された?)、代わりにモードが証言する。だんだん仲間入りしていくモードを通して、運動内部、弾圧する警察側を描かれる。
指導者のエメリン・パークハースト(1858~1921、Emmeline Pankhurst)は有名な女性だったらしい。長年参政権要求運動を続け、やがて長女と次女も参加した。平和的な運動を長年続けたのに、イギリスでは全然変化がなかった。そこでパンクハースト夫人は「過激路線」を取った。繁華街のガラス割りはその中でも穏健な方。やがて、ポストを燃やしたり、電話線を切断したりするようになる。人命に影響を与えないという前提で、さまざまな方法で抗議した。大臣の別荘を爆破することもした。
パンクハースト夫人は映画ではあまり出てこないが、メリル・ストリープが貫録で演じていて、悠然たる演説シーンがある。過激な方法を取らないと注目されない。「言葉より行動を」と言って。堂々たるアジテータ―である。カリスマ的リーダーをさすがにストリープがうまく演じている。だから、同時代のイギリスでは、彼女たちは過激すぎるテロリストと思われていたようだ。だから、直接運動から離れる人も出てくる。そのあたりの内部事情を含めて、社会運動映画としても興味深い。
この運動方針の評価は、よく判らないとしか言えない。こうやって動いていったという歴史はあるんだろう。注目されずに、ただ正論を片隅で主張していればいいというもんでもないだろう。そしてサフラジェットたちは、1914年に第一次大戦がはじまると、「国家への協力」路線にかじを切るという。それは日本の女性運動がたどった道でもあった。「女性参政権」は国境を超えないのである。
主役のキャリー・マリガンは、何となく名前を憶えていなかったけど顔に見覚えがある。「わたしを離さないで」や「ドライブ」で中心人物だった人だった。夫はベン・ウィショー。運動家で薬剤師のイーディスにヘレナ・ボナム=カーター。脚本を「マーガレット・サッチャー」を書いたアビ・モーガン。監督はサラ・ガヴロン(1970~)という女性で、テレビを中心に活躍してきたらしい。
正直言って、ものすごくよくできた映画とまでは言えない。それでも夫の行動を通して、家父長制に支配される社会を印象的に描いている。また、「洗濯女工」というイギリス小説によく出てくる下層女性の実情もよく判る。ほんの1世紀前には、イギリスでさえこんな状態だった。そこから闘い取ったのである。今では当たり前すぎて意識しないような、参政権を取り上げたのは重要だ。ラストで世界で女性参政権が認められた年が出る。ニュージーランドが世界初で、1893年。以後、アメリカの州などで広がっていく。日本も出てくるかと思うと、素通りしてしまったのが残念。作り手に日本への関心がなかった。
日本では、戦前に長い女性参政権運動があった。特に市川房枝をリーダーにした婦選獲得同盟が有名である。長く帝国議会で門前払いされてきたが、1933年に一度だけ衆議院を通過したことがある。しかし、貴族院で否決されてしまった。それが身分制議会である貴族院の「役割」だったのだろう。そして、その年の秋に「満州事変」が起きて、戦時体制になっていった。日本で認められたのは、敗戦後の1945年12月。選挙で初めて公使したのは、1946年4月の総選挙だった。日本の女性運動を映画化する人はでてこないもんだろうか。