尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「未来を花束にして」と女性参政権運動

2017年02月23日 21時48分08秒 |  〃  (新作外国映画)
 昔の映画や映画祭に行ったりしているうちに、見たい映画もどんどん終わってしまう。イギリス映画「未来を花束にして」も今週で朝だけの上映になってしまう。その前に見ておきたいと思ったのは、題名だけでは判らないけど、これが20世紀初頭のイギリス女性参政権運動を描いているからである。日本のことが多少知っているけど、イギリスのことは全然知らない。とても貴重な機会だと思って、見たかったのである。まあ、テーマ的な関心と言っていい。その関心は十分に満たされるが、知らないことは多い。

 原題は〝Suffragette”という。これじゃ日本ではなんだかわからないけど、「サフラジェット」というのが、イギリスで女性参政権を求めた女性を指す言葉だという。ウィキペディアにも、その言葉で解説がある。1912年のロンドン。洗濯工場で働くモード・ワッツは平凡な主婦だったが、配達の途中で偶然、窓ガラスを割って回るサフラジェットの運動にぶつかる。工場にも賛同者がいて、議会の公聴会で証言するという。モードも傍聴に行くと、同僚のヴァイオレットは顔にけがして(夫に暴行された?)、代わりにモードが証言する。だんだん仲間入りしていくモードを通して、運動内部、弾圧する警察側を描かれる。

 指導者のエメリン・パークハースト(1858~1921、Emmeline Pankhurst)は有名な女性だったらしい。長年参政権要求運動を続け、やがて長女と次女も参加した。平和的な運動を長年続けたのに、イギリスでは全然変化がなかった。そこでパンクハースト夫人は「過激路線」を取った。繁華街のガラス割りはその中でも穏健な方。やがて、ポストを燃やしたり、電話線を切断したりするようになる。人命に影響を与えないという前提で、さまざまな方法で抗議した。大臣の別荘を爆破することもした。

 パンクハースト夫人は映画ではあまり出てこないが、メリル・ストリープが貫録で演じていて、悠然たる演説シーンがある。過激な方法を取らないと注目されない。「言葉より行動を」と言って。堂々たるアジテータ―である。カリスマ的リーダーをさすがにストリープがうまく演じている。だから、同時代のイギリスでは、彼女たちは過激すぎるテロリストと思われていたようだ。だから、直接運動から離れる人も出てくる。そのあたりの内部事情を含めて、社会運動映画としても興味深い。

 この運動方針の評価は、よく判らないとしか言えない。こうやって動いていったという歴史はあるんだろう。注目されずに、ただ正論を片隅で主張していればいいというもんでもないだろう。そしてサフラジェットたちは、1914年に第一次大戦がはじまると、「国家への協力」路線にかじを切るという。それは日本の女性運動がたどった道でもあった。「女性参政権」は国境を超えないのである。

 主役のキャリー・マリガンは、何となく名前を憶えていなかったけど顔に見覚えがある。「わたしを離さないで」や「ドライブ」で中心人物だった人だった。夫はベン・ウィショー。運動家で薬剤師のイーディスにヘレナ・ボナム=カーター。脚本を「マーガレット・サッチャー」を書いたアビ・モーガン。監督はサラ・ガヴロン(1970~)という女性で、テレビを中心に活躍してきたらしい。

 正直言って、ものすごくよくできた映画とまでは言えない。それでも夫の行動を通して、家父長制に支配される社会を印象的に描いている。また、「洗濯女工」というイギリス小説によく出てくる下層女性の実情もよく判る。ほんの1世紀前には、イギリスでさえこんな状態だった。そこから闘い取ったのである。今では当たり前すぎて意識しないような、参政権を取り上げたのは重要だ。ラストで世界で女性参政権が認められた年が出る。ニュージーランドが世界初で、1893年。以後、アメリカの州などで広がっていく。日本も出てくるかと思うと、素通りしてしまったのが残念。作り手に日本への関心がなかった。

 日本では、戦前に長い女性参政権運動があった。特に市川房枝をリーダーにした婦選獲得同盟が有名である。長く帝国議会で門前払いされてきたが、1933年に一度だけ衆議院を通過したことがある。しかし、貴族院で否決されてしまった。それが身分制議会である貴族院の「役割」だったのだろう。そして、その年の秋に「満州事変」が起きて、戦時体制になっていった。日本で認められたのは、敗戦後の1945年12月。選挙で初めて公使したのは、1946年4月の総選挙だった。日本の女性運動を映画化する人はでてこないもんだろうか。
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追悼・鈴木清順監督

2017年02月23日 18時42分07秒 |  〃  (日本の映画監督)
 映画監督の鈴木清順が亡くなった。最高傑作だと思う「ツィゴイネルワイゼン」(1980)のプロデューサーだった荒戸源次郎が昨年亡くなった時に、ここで追悼記事を書いた。鈴木清順について書かないのも変なので、簡単に書いておきたいと思う。

 鈴木清順(1923~2017.2.13)は、93歳で亡くなった。最後の映画作品「オペレッタ狸御殿」(2005)以来、10年以上も作品を作っていない。80歳を超えていたのだから不思議ではない。それでも映画の特集上映などの機会に、観客の前に出てくることはあった。僕もシネマヴェーラ渋谷と神保町シアターで聞いている。もう車いす姿で、介助を受けて出てきていた。それでもオーラというか、独特の存在感を場内に発していた。日本の映画監督で伝説的存在だった人だっただけに、残念な訃報だった。

 鈴木清順監督に関しては、今までにも何回か書いていて、神保町シアターで特集があった時(2013年10月)には20本全部を見てまとめを書いた。「鈴木清順の映画①日活前期」「鈴木清順の映画②日活後期」「鈴木清順の映画③まとめ」がそれ。また「東京流れ者」については、松原智恵子トークしショーとともに別に書いている。「『東京流れ者』と松原智恵子トークショー」である。

 大体そこで書いていることに尽きているんだけど、鈴木清順に関しては「鈴木清順解雇事件」のことを落とすわけにはいかない。日活最後の作品「殺しの烙印」が「わからない」という社長の一言で、クビになった。この非常に面白いハードボイルド映画の自己パロディ映画は、確かに日活でたくさん作られたハードボイルド映画の中では「わかりにくい」。一見すると、確かに「わからない」ところがある。だけど、社長が先に興行的観点から「わからない」としてしまったために、映画ファンにとっては「わからない」と言えなくなったのではないか。でも、この映画の魅力は「わからない魅力」なんだと思う。

 日活の中で、「わかりやすくて面白い」映画もたくさん撮っているけど、それでも清順映画には「わかりにくさ」が付きまとっている。それを無視はできない。エッセイもたくさん書いているけど、はっきり言って僕にはよくわからない文章が多い。日活映画の中では、そのわからなさを独特の美学やパロディとして表出していた。でも、フリーになって作った「ツィゴイネルワイゼン」や「陽炎座」は「わからなさ全開」である。何度見ても途中で筋がよく判らなくなる映像の迷宮をさまようことになる。だけど、少し経つとまた見たくなる。タルコフスキーなんかとまた違った映像の魅力で忘れがたい監督である。
 
 日活の商業作品では、よく考えるとわからないところも多いけど、とりあえずストーリイの魅力で見せられてしまう。なんといっても「けんかえれじい」が最高に面白い。「刺青一代」や「悪太郎」も何度見ても魅せられる。「春婦伝」などの野川由美子三部作もすごい。そして、「東京流れ者」が素晴らしい。筋で見せるだけではないから、何回見ても面白い。だけど、「陽炎座」以後はほとんど面白くないと思う。「ピストルオペラ」が変なところが捨てがたいけど、「夢二」も「オペレッタ狸御殿」もつまらなかった。結局、独特の美学にはまらない場合は、つまらないのである。そこがやはり、何でも見せてしまう人ではなかったということだろう。
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