尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「氷山の南」、極上の青春冒険小説-池澤夏樹を読む④

2017年02月09日 21時09分35秒 | 本 (日本文学)
 池澤夏樹の次の大長編小説は「氷山の南」。2009年から翌年にかけて、東京・中日・北海道・西日本・中國の各ブロック紙に連載され、2012年に文藝春秋から刊行された。現在は文春文庫に収録。(文庫で読んだ。)とにかく圧倒的に面白い青春冒険小説で、これほど面白い本があるのかとビックリした。これもまた若者全員必読の本だろう。

 オーストラリア西部の港フリーマントル(パースの近く)に、ニュージーランドの高校を出た日本人少年がいる。そこから出るはずの「氷山利用アラビア協会」の船シンディバード号(アラビア語で「シンドバッド」)に「密航」したいのである。世界では水が不足する地域もあるが、南極の氷山をオーストラリアに持ってくれば「解決」するのではないか。

 UAEの大富豪がスポンサーになり、そんな氷山曳航計画が進められている。もちろんフィクションなんだけど、すごく緻密に計画されていて、実際のできごとを読んでいるようだ。(なお、氷山はカーボンナノチューブで作られたネットで囲って引っ張ってくるという設定になっている。カーボンナノチューブの発見と構造決定には、日本の飯島澄男氏の貢献が大きい。ノーベル物理学賞の有力候補と言われ続けている。物理学専攻だった池澤夏樹らしい設定である。)

 その少年はアイヌ系で、名前はジン・カイザワ。(途中で貝沢仁と判る。)アイヌの楽器ムックリの名手でもある。北海道の高校でニュージーランドのマオリ系との交換留学制度があり、それを利用してニュージーランドへ行った。そのまま現地の高校を卒業したが、これから何をするべきか、どこに行くべきか決めかねている。オーストラリアに行って氷山曳航計画を知って、「密航」したいと思った。でも、どうすればいいのか。悩むときにアボリジニーの少年画家に出会って、決意を固める。

 詳細は書かないけど、うまく潜り込むことに成功する。見つかって一度は放逐されそうになるが、仕事を与えてくれる人が現れる。午前は厨房で働き、午後は船内新聞作りをすることで、何とか船にいられることになる。午前中はパン作りに熱中し上達していく。午後は船の各部門、同乗している研究者の仕事などをインタビューしていき新聞にまとめる。この仕事を通して、読者にも船で行われている様々の仕事が見えてくる。多様な国籍の多様な人物たちの姿が生き生きと描かれる。ものすごく面白い。

 だけど、この計画、そもそも大丈夫なんだろうか。技術的な可能性の問題もあるけど、それより本質的な問題点もある。南極の氷山を勝手に持ち出すという行為が、環境保護的に、あるいは倫理的に、さらに経済コスト的にどんな意味あるのか。そういう風に考える人は小説内にも出てきて、ある「妨害行為」が行われる。「アイシズム」と呼ばれる思想団体らしい。それは一体どんなものだろう。

 そんな時、「密航」前に知り合ったアボリジニ-の少年から、来いというハガキが舞い込む。(本部との間には時々飛行機の定期便がある。)何だろうと思って訪ねていくと、北部の「観光地」にいる。氷山地帯と全く違う熱帯地方で、二人はアボリジニーの老人と語り合う。そこで、ジンの冒険は、単なる肉体的な冒険ではなく、この小説ではスピリチュアルな冒険をも描いていることが判る。

 話が都合よく進む感じもしないではないけど、面白い小説のためだから認めることにしよう。氷上のオペラとか、氷山一周カヌー周遊。さらに突然訪れることになった南極での体験、アボリジニーの少年と一緒に行う氷山上での試練。ワクワクするような出来事の連続で、まったく飽きさせない。恋愛のテイストがまぶしてあることも、今までの2冊の本と同じ。とても読みやすいけど、同時に多くのことを考えさせられる。こんな面白くて深い小説が現代日本で書かれていたのか。

 この壮大な青春冒険小説は、ぜひ多くの若い人々に読んでほしいと思う。今の日本では、本、特に「純文学作品」が読まれなくなっている。でも、僕がここで書いてきた辻原登、小川洋子、池澤夏樹などの小説は、読みやすくて、面白くて、そして深い。やはり、最後の「深い」ということは大事だと思う。魂の奥に呼びかけてくるような物語に触れることは、人間にとって大切だろう。絶対に面白いからお勧め。
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