次に読んだ池澤夏樹の長編小説は「光の指で触れよ」。2005年から翌年にかけて読売新聞に連載され、2008年1月に中公公論新社から刊行された。(現在は中公文庫に収録。)この作品は「カデナ」の一つ前に書かれた長編小説である。2000年に刊行された「すばらしい新世界」の続編(今は同じく中公文庫)にあたる。内容的には独立して読めるけど、できれば前作から続けて読むべきだろう。

「すばらしい新世界」というのは、小型の風力発電機を開発したエンジニアが、ネパールの小さな村に取り付けに行く話である。技術的にはうまくいくのだが、彼は村から帰れなくなってしまう。「村の神々から愛されてしまった」ために、帰国しようとすると何か障害が起きる。彼が帰るためには家族が迎えに来なくてはならず、10歳になる彼の息子がネパールまで助けに行く。
というイマドキには珍しいぐらいの、「アウトドア」「自然エネルギー」「第三世界」「精神世界」といったテイストにあふれた大冒険小説だった。でもなあと僕は思わないでもなかった。風力発電だって、そんなにうまくいくことばかりじゃないんじゃないか。小規模だからいいのかもしれないが、大規模な風力発電には低周波被害などもあるし。それに主人公家族もうまく行ってて、子どもも助けに来られる。なんともうまくできてるなあという感じがしたのも事実である。
それから8年、案の定というべきか、「前作『すばらしい新世界』の幸福なあの一家に何が起きたのか」というのが、帯に書いてある紹介である。何が起きたのか。家族はもうバラバラである。前作の後で女の子が生まれ、可南子と名付けた。でも、父が天野林太郎、長男が森介ということで、森と林にちなんだ「キノコ」と家族は呼んでいる。そんな4人家族だった。だけど、森介はもう高校生となり、新潟にある全寮制の高校を自ら選んで入学して家を出た。
そして、林太郎に起こった「恋愛事件」。それをきっかけにして、妻のアユミはキノコを連れて家を飛び出してしまった。話し合いも何もなく、離婚したわけでもない。ただ、突然友人がいるオランダのアムステルダムに行ってしまったのである。そこで何となく居心地がいい暮らしが始まるが、さらに新しい出発をする。フランスの東にあるというが、そこにオランダ人による「コミュニティ」があるというのである。
町を離れて共同生活を送る「コミューン」のようなものだが、お金を払ってホテルのように利用してもいい。慣れてきて、農園や料理などの仕事を手伝うようになると、その分を滞在費にあてることもできる。自分の特技があれば、それを必要とする人に利用してもらって「交換」することもできる。アユミは「レイキ」(霊気から名付けられた民間療法のヒーリング)ができたので、ケガした調理人に施して、代わりに彼の本職のカウンセリングを受ける。そのことで自分の中にあった未整理の過去に気付いていく。
林太郎は森介とネパールを再訪するが、森介は高校でできた友人卓矢を連れて行く。卓矢の父は東京の仕事を辞め、妻の実家の岩手で有機農業を始めている。それは「パーマカルチャー」といい、持続可能な社会を設計する農業のあり方である。林太郎も関心を持って、岩手の風力発電を調べるときに、親子で訪ねてみる。東京でも有機農業に関心がある建築家の梶と知り合い行き来するようになる。梶家の娘、明日子は森介と親しくなっていく。
一方、アユミはさらに精神的な側面を重視するコミュニティがあると知り、スコットランドに赴く。アユミのスピリチュアルな彷徨はどこに行きつくか。それに対し、林太郎は風力エネルギーから、だんだん農業に引かれていく。林太郎の恋愛相手は、同僚で「恩師の娘」でもある美緒。彼らの関係はどうなる? 森介と明日子の関係はいかに? 一体この家族に再び一緒になる日は訪れるのか? と錯綜する人間関係のゆくえが気になりながらも、登場人物たちの会話はわれらの文明はどうなるのか、人はどう生きるべきかと問い続ける。これほど登場人物が思索し論じ合う小説は、漱石以来ではないだろうか。
世界をまたにかけて展開されるという点でも、この小説は日本の小説の限界を突破している。「恋愛小説のスパイスをかけた思考小説」といった趣だけど、これもまた本質的には冒険小説というべきだろう。そして、冒険というのは、単に身体的なものだけでなく、精神的な冒険、スピリチュアルな探求こそが真の冒険だと教えてくれる。登場人物たちは、のべつ幕なしに考え話し合うが、けっして難しい小説ではなく、読み始めたら止められない面白さに満ちている。
消費社会の行き着いた末のような、寸秒を争うような都会の暮らしの中で、「オルタナティブな人生」(もう一つの新しい生き方)を求めている人々は多いだろう。この小説はそんな人には、とても他人事では読めないと思う。若い人にはぜひ読んでもらいたい本だ。長いけど、全然問題ない。日本と世界のこれからを真剣に考える人にも必読。自然エネルギー、有機農業、シュタイナー教育、コミューンなどに関心がある人も。だけど、論だけの本ではもちろんない。美しい自然描写の中で、いくつかの愛が生まれ、壊れていく。その様子にドキドキしてしまう恋愛小説としても読めるのである。
ところで、この本の352頁に「大学入学資格検定という制度もあるけれど」という文章がある。今はもちろん「高等学校卒業程度認定試験」である。大検は2004年で廃止され、新聞に連載された2005年から「高認試験」である。池澤氏が誤記したのはやむを得ないが、2008年に単行本が刊行された時点で校正されるべきだったと思う。文庫で直っているかは確認してないけど。

「すばらしい新世界」というのは、小型の風力発電機を開発したエンジニアが、ネパールの小さな村に取り付けに行く話である。技術的にはうまくいくのだが、彼は村から帰れなくなってしまう。「村の神々から愛されてしまった」ために、帰国しようとすると何か障害が起きる。彼が帰るためには家族が迎えに来なくてはならず、10歳になる彼の息子がネパールまで助けに行く。
というイマドキには珍しいぐらいの、「アウトドア」「自然エネルギー」「第三世界」「精神世界」といったテイストにあふれた大冒険小説だった。でもなあと僕は思わないでもなかった。風力発電だって、そんなにうまくいくことばかりじゃないんじゃないか。小規模だからいいのかもしれないが、大規模な風力発電には低周波被害などもあるし。それに主人公家族もうまく行ってて、子どもも助けに来られる。なんともうまくできてるなあという感じがしたのも事実である。
それから8年、案の定というべきか、「前作『すばらしい新世界』の幸福なあの一家に何が起きたのか」というのが、帯に書いてある紹介である。何が起きたのか。家族はもうバラバラである。前作の後で女の子が生まれ、可南子と名付けた。でも、父が天野林太郎、長男が森介ということで、森と林にちなんだ「キノコ」と家族は呼んでいる。そんな4人家族だった。だけど、森介はもう高校生となり、新潟にある全寮制の高校を自ら選んで入学して家を出た。
そして、林太郎に起こった「恋愛事件」。それをきっかけにして、妻のアユミはキノコを連れて家を飛び出してしまった。話し合いも何もなく、離婚したわけでもない。ただ、突然友人がいるオランダのアムステルダムに行ってしまったのである。そこで何となく居心地がいい暮らしが始まるが、さらに新しい出発をする。フランスの東にあるというが、そこにオランダ人による「コミュニティ」があるというのである。
町を離れて共同生活を送る「コミューン」のようなものだが、お金を払ってホテルのように利用してもいい。慣れてきて、農園や料理などの仕事を手伝うようになると、その分を滞在費にあてることもできる。自分の特技があれば、それを必要とする人に利用してもらって「交換」することもできる。アユミは「レイキ」(霊気から名付けられた民間療法のヒーリング)ができたので、ケガした調理人に施して、代わりに彼の本職のカウンセリングを受ける。そのことで自分の中にあった未整理の過去に気付いていく。
林太郎は森介とネパールを再訪するが、森介は高校でできた友人卓矢を連れて行く。卓矢の父は東京の仕事を辞め、妻の実家の岩手で有機農業を始めている。それは「パーマカルチャー」といい、持続可能な社会を設計する農業のあり方である。林太郎も関心を持って、岩手の風力発電を調べるときに、親子で訪ねてみる。東京でも有機農業に関心がある建築家の梶と知り合い行き来するようになる。梶家の娘、明日子は森介と親しくなっていく。
一方、アユミはさらに精神的な側面を重視するコミュニティがあると知り、スコットランドに赴く。アユミのスピリチュアルな彷徨はどこに行きつくか。それに対し、林太郎は風力エネルギーから、だんだん農業に引かれていく。林太郎の恋愛相手は、同僚で「恩師の娘」でもある美緒。彼らの関係はどうなる? 森介と明日子の関係はいかに? 一体この家族に再び一緒になる日は訪れるのか? と錯綜する人間関係のゆくえが気になりながらも、登場人物たちの会話はわれらの文明はどうなるのか、人はどう生きるべきかと問い続ける。これほど登場人物が思索し論じ合う小説は、漱石以来ではないだろうか。
世界をまたにかけて展開されるという点でも、この小説は日本の小説の限界を突破している。「恋愛小説のスパイスをかけた思考小説」といった趣だけど、これもまた本質的には冒険小説というべきだろう。そして、冒険というのは、単に身体的なものだけでなく、精神的な冒険、スピリチュアルな探求こそが真の冒険だと教えてくれる。登場人物たちは、のべつ幕なしに考え話し合うが、けっして難しい小説ではなく、読み始めたら止められない面白さに満ちている。
消費社会の行き着いた末のような、寸秒を争うような都会の暮らしの中で、「オルタナティブな人生」(もう一つの新しい生き方)を求めている人々は多いだろう。この小説はそんな人には、とても他人事では読めないと思う。若い人にはぜひ読んでもらいたい本だ。長いけど、全然問題ない。日本と世界のこれからを真剣に考える人にも必読。自然エネルギー、有機農業、シュタイナー教育、コミューンなどに関心がある人も。だけど、論だけの本ではもちろんない。美しい自然描写の中で、いくつかの愛が生まれ、壊れていく。その様子にドキドキしてしまう恋愛小説としても読めるのである。
ところで、この本の352頁に「大学入学資格検定という制度もあるけれど」という文章がある。今はもちろん「高等学校卒業程度認定試験」である。大検は2004年で廃止され、新聞に連載された2005年から「高認試験」である。池澤氏が誤記したのはやむを得ないが、2008年に単行本が刊行された時点で校正されるべきだったと思う。文庫で直っているかは確認してないけど。