辺見庸と目取真俊の対談「沖縄と国家」(角川新書)が出た。2017年3月に共同通信の配信用記事のために対談したものをまとめた本。最近読んだ記憶がないぐらいに、苛烈にして奥深い感じの対談になっている。題名通り、「沖縄」と「国家」に関して縦横に語りあっている。注も丁寧につけられているから誰でも読めるけど、「本土」に住むわれわれ問うまなざしは厳しい。覚悟して読むべし。

ところで、この二人を知らない人もいると思うから簡単に。辺見庸(へんみ・よう 1944~)も目取真俊(1960~)も、どちらも芥川賞を取った小説家である。辺見庸は共同通信の記者だったが、1991年7月に「自動起床装置」で105回芥川賞を受賞した。その後、「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞を受賞。詩でも中原中也賞、高見順賞を受けているなど活躍している。だけど、近年は右傾化する日本社会への根底的な批判を行う評論作品が多い。
目取真俊は、1997年7月に「水滴」で117回芥川賞を受けた。沖縄出身で沖縄を主題にした作品で受賞したのは、大城立裕、東峰夫、又吉栄喜に次いで4人目。一貫して沖縄戦や沖縄の風土を背景にした作品を発表してきたが、近年は辺野古や高江の基地反対運動に直接関わって、ブログ「海鳴りの島から」で日々の様子を発信している。これは毎日必見のブログ。
僕は芥川賞作品ぐらいは読みたいと思っているので、「自動起床装置」も「水滴」も読んでいる。辺見庸はなんだかノンフィクションや評論の印象の方が強いんだけど、目取真俊の作品は本当に独特で「日本語文学」を豊かにする可能性を持ったものだと思う。本人も貴重な50代を反対運動に取られるのは苦痛だと言っているけど、目の前にある国家権力の横暴を見過ごせない。そういう日々の大変さを押して発信されているブログは心して読まないといけない。
しかし、まあこんな対談者紹介なんかいらない本なんだと思う。表紙にはこうある。「沖縄という傷口から噴き出す、むき出しの国家暴力」「基地問題の根底に横たわるこの国の欺瞞を、戦う二人の作家が仮借ない言葉で告発する」。裏表紙には「だれも傍観者、忘却者であってはならぬ」ともある。このような言葉に接して、目をつぶって見なかったことにするか、それともこういう言説は敵だと思うか。いや、これは是非読まなければいけない本だろうと考えるのか。
そこに人として問われる瞬間がある。目取真氏はこういう。「本土」で「憲法を守れ」という集会をやってるよりも、辺野古に来てトイレ送迎の運転手をして欲しいと。具体的にいま、日本の国家家力の暴力的意思が辺野古で発動されている。それを止めたいと思う人々が集まって権力と対峙している。「平和運動」をしている人なら、そこに来るべきなのではないか。確かに仮借ない言葉である。
沖縄の歴史、今までの経過も語られている。基地問題、天皇制の問題、沖縄戦の記憶、非常に重大なことが語られている。むしろ「無関心だった人」や「右派的な人」こそが、読んでどう感じるかはともかくとして接してみるべき本だと思う。いや、「左派」や「リベラル」も同じなんだけど、僕は「感度のいい人」「感度の鈍い人」は、そういう政治的な立場とあまり関係ないと思っている。
読んで楽しいという本ではないけど、娯楽のためじゃない読書もしないといけない。確かにこういう本ばかり続けて読むのは大変だ。でも年に何回かはこういう本を自覚的に読んだ方がいい。4回にわたる対談をまとめた本だから、文章としては読みやすくて何の問題もない。それより、今の日本の中で非常に孤絶した場所から発せられた言葉には、人を引き付ける強い魅力がある。僕はその魅力に、イマドキの軽い言葉にはない磁場を感じて引き付けられるのである。

ところで、この二人を知らない人もいると思うから簡単に。辺見庸(へんみ・よう 1944~)も目取真俊(1960~)も、どちらも芥川賞を取った小説家である。辺見庸は共同通信の記者だったが、1991年7月に「自動起床装置」で105回芥川賞を受賞した。その後、「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞を受賞。詩でも中原中也賞、高見順賞を受けているなど活躍している。だけど、近年は右傾化する日本社会への根底的な批判を行う評論作品が多い。
目取真俊は、1997年7月に「水滴」で117回芥川賞を受けた。沖縄出身で沖縄を主題にした作品で受賞したのは、大城立裕、東峰夫、又吉栄喜に次いで4人目。一貫して沖縄戦や沖縄の風土を背景にした作品を発表してきたが、近年は辺野古や高江の基地反対運動に直接関わって、ブログ「海鳴りの島から」で日々の様子を発信している。これは毎日必見のブログ。
僕は芥川賞作品ぐらいは読みたいと思っているので、「自動起床装置」も「水滴」も読んでいる。辺見庸はなんだかノンフィクションや評論の印象の方が強いんだけど、目取真俊の作品は本当に独特で「日本語文学」を豊かにする可能性を持ったものだと思う。本人も貴重な50代を反対運動に取られるのは苦痛だと言っているけど、目の前にある国家権力の横暴を見過ごせない。そういう日々の大変さを押して発信されているブログは心して読まないといけない。
しかし、まあこんな対談者紹介なんかいらない本なんだと思う。表紙にはこうある。「沖縄という傷口から噴き出す、むき出しの国家暴力」「基地問題の根底に横たわるこの国の欺瞞を、戦う二人の作家が仮借ない言葉で告発する」。裏表紙には「だれも傍観者、忘却者であってはならぬ」ともある。このような言葉に接して、目をつぶって見なかったことにするか、それともこういう言説は敵だと思うか。いや、これは是非読まなければいけない本だろうと考えるのか。
そこに人として問われる瞬間がある。目取真氏はこういう。「本土」で「憲法を守れ」という集会をやってるよりも、辺野古に来てトイレ送迎の運転手をして欲しいと。具体的にいま、日本の国家家力の暴力的意思が辺野古で発動されている。それを止めたいと思う人々が集まって権力と対峙している。「平和運動」をしている人なら、そこに来るべきなのではないか。確かに仮借ない言葉である。
沖縄の歴史、今までの経過も語られている。基地問題、天皇制の問題、沖縄戦の記憶、非常に重大なことが語られている。むしろ「無関心だった人」や「右派的な人」こそが、読んでどう感じるかはともかくとして接してみるべき本だと思う。いや、「左派」や「リベラル」も同じなんだけど、僕は「感度のいい人」「感度の鈍い人」は、そういう政治的な立場とあまり関係ないと思っている。
読んで楽しいという本ではないけど、娯楽のためじゃない読書もしないといけない。確かにこういう本ばかり続けて読むのは大変だ。でも年に何回かはこういう本を自覚的に読んだ方がいい。4回にわたる対談をまとめた本だから、文章としては読みやすくて何の問題もない。それより、今の日本の中で非常に孤絶した場所から発せられた言葉には、人を引き付ける強い魅力がある。僕はその魅力に、イマドキの軽い言葉にはない磁場を感じて引き付けられるのである。