島尾ミホと夫の島尾敏雄のいくつかの短編をもとにした映画「海辺の生と死」が公開されている。25日までなので何とか時間を作って見に行った。(新宿のテアトル新宿)文学的知識を前提にするところもあるけど、なんといっても主演トエ役の満島ひかりが圧倒的で、それだけでも見る価値あり。
いま「文学的知識」と書いたのは、これは後に有名な作家となる島尾敏雄(1917~1986)の戦時中の実話だからである。彼は九州帝大の東洋史の学生だったが、召集されて鹿児島県奄美群島の加計呂麻(かけろま)島に、「震洋」特攻隊長として配属された。全く無意味な兵器による死を目前にし、彼は島の有力者の娘で国民学校の教師をしていたミホと知り合い、激しい恋愛に陥る。
以上のところが映画化された部分だけど、結局進撃命令が下る前に敗戦を迎え、敏雄は生き残った。奄美群島は米軍の占領下におかれ、その厳しい時代にミホは「密航」して本土に渡り、二人は結婚する。子どももできるが、新進作家として認められつつあった敏雄が「不倫」をしたことで、ミホは心を病んだ。その体験を敏雄は「死の棘」として作品化して作家として評価された。
「死の棘」連作は1977年に完結し、戦後文学の代表作と言われる。小栗康平監督が1990年に映画化し、カンヌ映画祭グランプリを獲得した。だから「海辺の生と死」は映画「死の棘」の前日譚ということになるけど、この映画を見るときにはそこまで知らないでも見られるだろう。でも原作を読んでる人は、以上のような道筋を承知してみることになる。
この映画は全編にわたって、戦時中であるという強い緊張感に満ちている。あまりカットを割ることなく、風景の中で展開されるドラマを静かに見ているシーンが多い。特にミホ(役名トエ=満島ひかり)と敏雄(役名朔中尉=永山絢斗)が二人で演じる場面が長く、見るものに深い印象を残す。(何やらこの二人には実際の交際もあるということだし。)朔中尉は軍人らしからぬ静かな読書家で、その優男ぶりをうまく演じている。本を借りに、島の有力者を訪れたことで二人は知りあう。
僕は満島ひかり(1985.11.30~)という女優は、多くの人がそうだったように「愛のむきだし」で覚えた。その後、映画、テレビ、舞台で大活躍が続いているが、特に大ファンということでもないので、ルーツなどの情報は知らなかった。この映画のパンフを見ると、鹿児島生まれ、沖縄育ちだが、奄美にルーツがあるという。映画の中で島唄を歌っているが、なにやら自然な感じがすると思ったら、キャスト・スタッフの中で唯一の奄美関係者だった。南島の自然の中で、自然信仰的な文化を生きているミホを全身で演じている。若い時期の集大成で、代表作になるのではないか。
撮影や音楽も印象的だが、素晴らしいのは風景そのもの。実際の話は加計呂麻島だが、もう当時の家は残ってなくて、奄美大島各地で撮った。現地で作ったセットもあるが、トエの家なども実際のものを使ってるという。加計呂麻島は奄美大島のすぐ南にある島だが、集落ごとに言葉も微妙に違うらしい。奄美大島でも南北でかなり違うと書いてある。そこで敏雄・ミホ夫妻の子どもである写真家島尾伸三氏が協力して伝授した独特なイントネーションを満島ひかりが自在に操っている。
僕は「死の棘」が出た時に単行本で読んだが、その時に戦争文学「出発は遂に訪れず」「島の果て」なども読んだ。鮮烈な印象を受けたが、その時点では島尾ミホ(1919~2007)の本は読んでない。(「海辺の生と死」は1974年に出ている。現在は中公文庫。)だから、男の立場からこの物語を読んだわけだが、そうすると「いつ死ぬとも判らない戦時中の愛の神話」に見える。だが、「隊長が島の有力者の娘を愛人にした」とみなされる面もあるだろう。島の側からすれば、圧倒的な権力を持って現れた「軍人」が島の娘を奪っていった物語である。そういう「読み直し」がこの映画でもある。
でも大平ミホは島に隠れ住む「箱入り娘」ではなく、もともと鹿児島で生まれ、実父の姉夫婦の養女になって加計呂麻島に住んだ。その後東京に出て、目黒の日出高等女学校を卒業し東京で勤めた。体調を崩して退職し、当時の婚約者のいた朝鮮に住み、やがて加計呂麻島に移った。養母が亡くなった後に1944年11月に国民学校の代用教員になり、12月になって島尾敏雄が駐屯してきた。ちょっとビックリするが、長年の教員でないばかりか、ずっと島にいたわけでもない。なんと東京の女学校卒業だったのである。このような経緯を知ると、軍人と一緒になって島を出るのも不思議ではない。
この映画を見ると、島で自然と共に生きる人々、彼らを翻弄する戦争という悲劇に、二度と戦争はいけないという思いになる。と同時に、戦争が終われば日常が戻る。戦時に芽生えた緊張感の中の「愛の神話」は、そのままでは生き延びられない。その時、もう一つの「病む妻を抱えて生きる」という「神話」が作られる。昨年、島尾ミホを描いた大部のノンフィクション、梯久美子の「狂うひと」が出た。この映画にも梯氏が関わって、監修をしている。
監督・脚本の越川道夫(1965~)は、どういう人だろうという感じだが、監督は「アレノ」(2016)に続く2作目。1997年に映画配給会社「スローラーナー」を設立、その後プロデューサーとして、「トニー滝谷」「海炭市叙景」「ゲゲゲの女房」「かぞくのくに」などの話題作を作ってきたという。独特の映像感覚と演出ぶりに注目。奄美の自然と唄が忘れられないが、人により好き好きもあると思う。そもそも原作の二人を知ってるかどうかにも影響されると思う。でもこういう映画は僕は好きだ。けっこう長いが、もう一回見たい映画。脇役としてはトエの父、津嘉山正種もいいけど、隊長とトエを結ぶ「イル・ポスティーノ」(郵便屋)の大坪を演じた井之脇海がとても良い。
いま「文学的知識」と書いたのは、これは後に有名な作家となる島尾敏雄(1917~1986)の戦時中の実話だからである。彼は九州帝大の東洋史の学生だったが、召集されて鹿児島県奄美群島の加計呂麻(かけろま)島に、「震洋」特攻隊長として配属された。全く無意味な兵器による死を目前にし、彼は島の有力者の娘で国民学校の教師をしていたミホと知り合い、激しい恋愛に陥る。
以上のところが映画化された部分だけど、結局進撃命令が下る前に敗戦を迎え、敏雄は生き残った。奄美群島は米軍の占領下におかれ、その厳しい時代にミホは「密航」して本土に渡り、二人は結婚する。子どももできるが、新進作家として認められつつあった敏雄が「不倫」をしたことで、ミホは心を病んだ。その体験を敏雄は「死の棘」として作品化して作家として評価された。
「死の棘」連作は1977年に完結し、戦後文学の代表作と言われる。小栗康平監督が1990年に映画化し、カンヌ映画祭グランプリを獲得した。だから「海辺の生と死」は映画「死の棘」の前日譚ということになるけど、この映画を見るときにはそこまで知らないでも見られるだろう。でも原作を読んでる人は、以上のような道筋を承知してみることになる。
この映画は全編にわたって、戦時中であるという強い緊張感に満ちている。あまりカットを割ることなく、風景の中で展開されるドラマを静かに見ているシーンが多い。特にミホ(役名トエ=満島ひかり)と敏雄(役名朔中尉=永山絢斗)が二人で演じる場面が長く、見るものに深い印象を残す。(何やらこの二人には実際の交際もあるということだし。)朔中尉は軍人らしからぬ静かな読書家で、その優男ぶりをうまく演じている。本を借りに、島の有力者を訪れたことで二人は知りあう。
僕は満島ひかり(1985.11.30~)という女優は、多くの人がそうだったように「愛のむきだし」で覚えた。その後、映画、テレビ、舞台で大活躍が続いているが、特に大ファンということでもないので、ルーツなどの情報は知らなかった。この映画のパンフを見ると、鹿児島生まれ、沖縄育ちだが、奄美にルーツがあるという。映画の中で島唄を歌っているが、なにやら自然な感じがすると思ったら、キャスト・スタッフの中で唯一の奄美関係者だった。南島の自然の中で、自然信仰的な文化を生きているミホを全身で演じている。若い時期の集大成で、代表作になるのではないか。
撮影や音楽も印象的だが、素晴らしいのは風景そのもの。実際の話は加計呂麻島だが、もう当時の家は残ってなくて、奄美大島各地で撮った。現地で作ったセットもあるが、トエの家なども実際のものを使ってるという。加計呂麻島は奄美大島のすぐ南にある島だが、集落ごとに言葉も微妙に違うらしい。奄美大島でも南北でかなり違うと書いてある。そこで敏雄・ミホ夫妻の子どもである写真家島尾伸三氏が協力して伝授した独特なイントネーションを満島ひかりが自在に操っている。
僕は「死の棘」が出た時に単行本で読んだが、その時に戦争文学「出発は遂に訪れず」「島の果て」なども読んだ。鮮烈な印象を受けたが、その時点では島尾ミホ(1919~2007)の本は読んでない。(「海辺の生と死」は1974年に出ている。現在は中公文庫。)だから、男の立場からこの物語を読んだわけだが、そうすると「いつ死ぬとも判らない戦時中の愛の神話」に見える。だが、「隊長が島の有力者の娘を愛人にした」とみなされる面もあるだろう。島の側からすれば、圧倒的な権力を持って現れた「軍人」が島の娘を奪っていった物語である。そういう「読み直し」がこの映画でもある。
でも大平ミホは島に隠れ住む「箱入り娘」ではなく、もともと鹿児島で生まれ、実父の姉夫婦の養女になって加計呂麻島に住んだ。その後東京に出て、目黒の日出高等女学校を卒業し東京で勤めた。体調を崩して退職し、当時の婚約者のいた朝鮮に住み、やがて加計呂麻島に移った。養母が亡くなった後に1944年11月に国民学校の代用教員になり、12月になって島尾敏雄が駐屯してきた。ちょっとビックリするが、長年の教員でないばかりか、ずっと島にいたわけでもない。なんと東京の女学校卒業だったのである。このような経緯を知ると、軍人と一緒になって島を出るのも不思議ではない。
この映画を見ると、島で自然と共に生きる人々、彼らを翻弄する戦争という悲劇に、二度と戦争はいけないという思いになる。と同時に、戦争が終われば日常が戻る。戦時に芽生えた緊張感の中の「愛の神話」は、そのままでは生き延びられない。その時、もう一つの「病む妻を抱えて生きる」という「神話」が作られる。昨年、島尾ミホを描いた大部のノンフィクション、梯久美子の「狂うひと」が出た。この映画にも梯氏が関わって、監修をしている。
監督・脚本の越川道夫(1965~)は、どういう人だろうという感じだが、監督は「アレノ」(2016)に続く2作目。1997年に映画配給会社「スローラーナー」を設立、その後プロデューサーとして、「トニー滝谷」「海炭市叙景」「ゲゲゲの女房」「かぞくのくに」などの話題作を作ってきたという。独特の映像感覚と演出ぶりに注目。奄美の自然と唄が忘れられないが、人により好き好きもあると思う。そもそも原作の二人を知ってるかどうかにも影響されると思う。でもこういう映画は僕は好きだ。けっこう長いが、もう一回見たい映画。脇役としてはトエの父、津嘉山正種もいいけど、隊長とトエを結ぶ「イル・ポスティーノ」(郵便屋)の大坪を演じた井之脇海がとても良い。