1974年に作られた東映(東撮)の映画「従軍慰安婦」がシネマヴェーラ渋谷で上映されている。26日には主演した女優、中島ゆたかのトークも行われ、立ち見の盛況だった。この映画は長年見ることができないものだった。ウィキペディアに項目があるが、東映にもフィルムがないと書いてある。今回はシネマヴェーラ渋谷側の尽力で、ニュープリントが作られた。大変貴重な機会で見逃せない。
東映はちょうど任侠映画から実録映画に移り変わった時期だったが、もともとなんでも企画する会社である。今回のシネマヴェーラ渋谷は「東映女優祭り」と銘打ち、男優の印象が強い東映で作られた女優の映画を発掘している。佐久間良子が主演する文芸名作映画は当時から評価されていたが、それ以外にもいろいろ上映されている。(僕は「四畳半物語 娼婦しの」などの初期の三田佳子が非常に素晴らしいと前から思っている。是非見て欲しい映画。)
ところで、「従軍慰安婦」だけど、石井輝男脚本、鷹森立一監督で作られた群像劇で、当時のプログラムピクチャーの実力をよく示す「なかなかよく作られた女性映画」だった。朝鮮人慰安婦(と明示されないけど、誰でも判る)は一人いるが、ほとんどは日本人娼婦の話で、戦前来何十本と作られてきた「娼婦映画」の定型を踏まえている。貧しさから親に売られ、女衒(ぜげん)を父さんと呼ぶようになる。娼家でだんだんなじんでいくが、親切な先輩もあれば、娼婦どうしのケンカもある。
というような構造は大体どの映画でも同様だけど、この映画は後半から「戦争映画」になる。時代は昭和13年(1938年)。日中戦争が泥沼化していき、徐州作戦から武漢攻撃と奥地へ「皇軍」が進むに連れ、女たちも前線に送られる。明日の命も知れない男たちを、国策として「慰安」する女たち。中島ゆたか演じる秋子は、故郷に好きな男がいたが家が貧乏で売られてきた。もう二度と会えないと思っていた男だが、軍隊が博多に来た時に見かける。先輩娼婦の親切で会って気持ちを確かめあう。
男も女も戦地に送られ、秋子はもう会えないだろうと思うが、そこは娯楽映画だから当然また会えると観客も判っている。激戦下に再会し、前回は結ばれなかった彼らも、今度は体でも結ばれるが、そこに敵襲が…。銃弾の不足する中、慰安婦たちも兵とともに戦い、そして倒れていく。まあ、そのような構成は田村泰次郎原作、鈴木清順監督の傑作「春婦伝」なんかと共通している。
この映画は同時公開予定だった映画が製作中止になって、正式な公開がほとんどなされなかったという。中島本人も、初号試写を見ていないかったので、浅草で母とともに見たと語っていた。併映は網走番外地かなんかで、ほとんど観客もいなかったという。1974年だったら、僕も当時から名前ぐらい知っていても良いはずだが、全然気づかなった。(その後、このテーマへの関心から、こういう映画があるということは知っていた。)そんなようにして、幻になってしまった映画なのである。
もともと脚本を書いた石井輝男が監督する予定だったらしい。監督した鷹森立一は「夜の歌謡」シリーズなどを手掛け、「キイハンター」「Gメン’75」などテレビもたくさん撮った人。映画は脚本通りだと言うが、顔ぶれで判るように、社会派問題作を作る気などはなからない。「戦争秘話」の娯楽映画ということになる。助演陣は達者で、三原葉子の恰幅のいい先輩娼婦、緑魔子の母を恨みながら病気を隠して働く姿など印象的。いい加減な性病検査をする軍医役の由利徹に場内爆笑。
ところで、この映画の題名「従軍慰安婦」だけど、この問題にくわしい人なら予想できるだろうが、1973年に出た作家、千田夏光(せんだ・かこう 1924~2000)の「従軍慰安婦」が原作となっている。映画では「当時の政府は彼女たちを『従軍慰安婦』と呼んだ」と冒頭すぐにナレーションされるが、「従軍慰安婦」という用語は千田氏の本で作られた造語である。まだ固定した歴史的用語は確立していないと思うが、今は「日本軍慰安婦」という表現が多いのではないかと思う。
「慰安婦」にも様々なタイプがあったことが判っていて、この映画のような「日本人娼婦主体で、軍とともに移動して前線の街に設置される」というのは、必ずしも普遍的なものではない。本来は中国戦線の軍紀弛緩による性犯罪の多発から発した問題だし、植民地女性(主に朝鮮人)が多かったことも当時から周知の事だ。だが、戦後の「慰安婦映画」では、そのことは触れられないことが多い。
侵略戦争を最底辺で支えた女性たちの姿は、ずっと正面から描かれなかった。ベトナム戦争を経て、70年代になったころから、日本人の植民地支配や女性差別が意識されはじめる。慰安婦へのまなざしも、そのような文脈で70年代半ばころから語られはじめた。しかし、千田氏の本も資料的な厳密さには多少問題があるし、原作も映画も全体としては時代的制約を逃れていない。(なお、70年代前半には山崎朋子「サンダカン八番娼館」や森崎和江「からゆきさん」など、南方に売られた日本人娼婦の問題が意識されていた。同じころに千田氏の本や金一勉「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」などが出た。70年代半ばには「慰安婦問題」は大きな問題と意識され始めていたのである。)
この映画を見る限りでは、確かに「従軍慰安婦」としか呼べないような「活躍」ぶりなんだけど、それも含めて時代性を感じる。しかし、日本のプログラム・ピクチャーがどのように戦争を(あるいは慰安婦を)描いてきたかは、それ自体が重要なテーマである。非常に貴重な機会だから、関心のある人は見ておくべきだ。
東映はちょうど任侠映画から実録映画に移り変わった時期だったが、もともとなんでも企画する会社である。今回のシネマヴェーラ渋谷は「東映女優祭り」と銘打ち、男優の印象が強い東映で作られた女優の映画を発掘している。佐久間良子が主演する文芸名作映画は当時から評価されていたが、それ以外にもいろいろ上映されている。(僕は「四畳半物語 娼婦しの」などの初期の三田佳子が非常に素晴らしいと前から思っている。是非見て欲しい映画。)
ところで、「従軍慰安婦」だけど、石井輝男脚本、鷹森立一監督で作られた群像劇で、当時のプログラムピクチャーの実力をよく示す「なかなかよく作られた女性映画」だった。朝鮮人慰安婦(と明示されないけど、誰でも判る)は一人いるが、ほとんどは日本人娼婦の話で、戦前来何十本と作られてきた「娼婦映画」の定型を踏まえている。貧しさから親に売られ、女衒(ぜげん)を父さんと呼ぶようになる。娼家でだんだんなじんでいくが、親切な先輩もあれば、娼婦どうしのケンカもある。
というような構造は大体どの映画でも同様だけど、この映画は後半から「戦争映画」になる。時代は昭和13年(1938年)。日中戦争が泥沼化していき、徐州作戦から武漢攻撃と奥地へ「皇軍」が進むに連れ、女たちも前線に送られる。明日の命も知れない男たちを、国策として「慰安」する女たち。中島ゆたか演じる秋子は、故郷に好きな男がいたが家が貧乏で売られてきた。もう二度と会えないと思っていた男だが、軍隊が博多に来た時に見かける。先輩娼婦の親切で会って気持ちを確かめあう。
男も女も戦地に送られ、秋子はもう会えないだろうと思うが、そこは娯楽映画だから当然また会えると観客も判っている。激戦下に再会し、前回は結ばれなかった彼らも、今度は体でも結ばれるが、そこに敵襲が…。銃弾の不足する中、慰安婦たちも兵とともに戦い、そして倒れていく。まあ、そのような構成は田村泰次郎原作、鈴木清順監督の傑作「春婦伝」なんかと共通している。
この映画は同時公開予定だった映画が製作中止になって、正式な公開がほとんどなされなかったという。中島本人も、初号試写を見ていないかったので、浅草で母とともに見たと語っていた。併映は網走番外地かなんかで、ほとんど観客もいなかったという。1974年だったら、僕も当時から名前ぐらい知っていても良いはずだが、全然気づかなった。(その後、このテーマへの関心から、こういう映画があるということは知っていた。)そんなようにして、幻になってしまった映画なのである。
もともと脚本を書いた石井輝男が監督する予定だったらしい。監督した鷹森立一は「夜の歌謡」シリーズなどを手掛け、「キイハンター」「Gメン’75」などテレビもたくさん撮った人。映画は脚本通りだと言うが、顔ぶれで判るように、社会派問題作を作る気などはなからない。「戦争秘話」の娯楽映画ということになる。助演陣は達者で、三原葉子の恰幅のいい先輩娼婦、緑魔子の母を恨みながら病気を隠して働く姿など印象的。いい加減な性病検査をする軍医役の由利徹に場内爆笑。
ところで、この映画の題名「従軍慰安婦」だけど、この問題にくわしい人なら予想できるだろうが、1973年に出た作家、千田夏光(せんだ・かこう 1924~2000)の「従軍慰安婦」が原作となっている。映画では「当時の政府は彼女たちを『従軍慰安婦』と呼んだ」と冒頭すぐにナレーションされるが、「従軍慰安婦」という用語は千田氏の本で作られた造語である。まだ固定した歴史的用語は確立していないと思うが、今は「日本軍慰安婦」という表現が多いのではないかと思う。
「慰安婦」にも様々なタイプがあったことが判っていて、この映画のような「日本人娼婦主体で、軍とともに移動して前線の街に設置される」というのは、必ずしも普遍的なものではない。本来は中国戦線の軍紀弛緩による性犯罪の多発から発した問題だし、植民地女性(主に朝鮮人)が多かったことも当時から周知の事だ。だが、戦後の「慰安婦映画」では、そのことは触れられないことが多い。
侵略戦争を最底辺で支えた女性たちの姿は、ずっと正面から描かれなかった。ベトナム戦争を経て、70年代になったころから、日本人の植民地支配や女性差別が意識されはじめる。慰安婦へのまなざしも、そのような文脈で70年代半ばころから語られはじめた。しかし、千田氏の本も資料的な厳密さには多少問題があるし、原作も映画も全体としては時代的制約を逃れていない。(なお、70年代前半には山崎朋子「サンダカン八番娼館」や森崎和江「からゆきさん」など、南方に売られた日本人娼婦の問題が意識されていた。同じころに千田氏の本や金一勉「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」などが出た。70年代半ばには「慰安婦問題」は大きな問題と意識され始めていたのである。)
この映画を見る限りでは、確かに「従軍慰安婦」としか呼べないような「活躍」ぶりなんだけど、それも含めて時代性を感じる。しかし、日本のプログラム・ピクチャーがどのように戦争を(あるいは慰安婦を)描いてきたかは、それ自体が重要なテーマである。非常に貴重な機会だから、関心のある人は見ておくべきだ。