尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

2025年、香港はどうなるか-映画「十年」

2017年08月11日 22時56分51秒 |  〃  (新作外国映画)
 香港映画「十年」が公開されている。(新宿のケイズ・シネマで、25日まで。) 製作費750万円、たった1館から上映が始まり、興行収入9500万円、香港のアカデミー賞にあたる金像奨作品賞を受賞した。「十年」というのは、つまりは製作時から10年後の2025年の香港を指している。香港返還協定で約束された「50年間の高度の自治」が危うくなっている。そういう「予感」を正面から描いた映画。

 僕がこういう映画を見るのは、はっきり言って「テーマ主義」である。国際情勢、特に日本の近隣のアジア諸国の情勢には無関心ではいられない。特に「中国」をどのように考えるか、誰もが関心を持つべきテーマだと思う。だから、監督はほぼ無名、5話で作られたオムニバス映画をテーマの関心で見た。でも、映画として十分面白かった。単に香港人だけの映画ではない。だから紹介する。

 映画の作りは5つとも全部違っている。第1話「エキストラ」は香港政府をあやつる謀略による「テロ事件」を描く。第2話「冬のセミ」は失われゆく記憶を「標本」として残そうとする男女の物語。僕が思うに、これは小川洋子にインスピレーションを得ていると思われる。第3話「方言」は広東語が「方言」視され、「普通話」が幅を利かす様子を描いている。タクシー運転手には普通話試験があり、不合格だと「普」に斜線が引かれたマークを付けさせられ、は空港や港で客待ちを禁止される。

 第4話「焼身自殺者」は、焼身自殺者をめぐってドキュメンタリータッチで香港の状況を追求する。若い世代にイギリスに抗議する運動(中国は返還協定に違反しているから抗議せよという運動)が起こりリーダーの学生が獄中でハンストで死亡する。それ以後の状況を描くという形で、香港の政治状況を語る。第5話「地元産の卵」は、「地元」という言葉が禁止され、地元産の卵をウリにしていた養鶏場や商店が圧迫される。ヒトラー・ユーゲントか紅衛兵みたいな「少年団」の活動も恐ろしい。

 香港では陰に陽に中国政府の圧力が強まっていると言われる。2015年の銅鑼湾書店事件(書店主5人が謎の失踪をとげ、中国側に拉致されていた事件)などは日本でもかなり報道された。「香港の自治」といっても、中国の「主権」に抵触することは許さない。香港では次第に息苦しい感じが強まっているとよく言われる。2025年、ここで描かれたような状況になっているかどうかは判らないけど、少なくとも今はこのような映画が製作、上映できる「自由」はあるということも判る。

 ただ、見ているうちに、この映画に描かれる「息苦しさ」は決して他人ごとではないと感じてきた。日本だって、多くの人がだんだん「自由に物事を言えなくなってきている」と感じている。あるいは世界の多くの人々が、「フェイクニュース」に囲まれていることにいら立っている。描いていいことと触れてはいけないことの境目があいまいな社会。その中で、だんだん口をつぐむ人々。タクシー運転手を描く第3話では、同じタクシー運転手でも、もはや「仲間意識」が失われている様子が身に沁みる。

 こういう映画は娯楽的な面白さを求める人は見ない。監督や俳優もほぼ無名で、アート映画的な完成度というよりも、どうしてもジャーナリスティックな関心が先に立ってしまう。そういう映画なんだけど、この若い香港映画人の「暗い予測」は日本でも共有できる。僕はまるで2025年の日本を見ているかの気持ちにだんだんなってしまった。
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