尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

これは凄い!「謎の独立国家ソマリランド」

2017年08月13日 00時05分02秒 |  〃 (歴史・地理)
 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド」(2012)が6月に集英社文庫に入ったので読んでみた。2013年の講談社ノンフィクション賞受賞作で、いやあ、ビックリのことだらけ。かなり長いなあと思ったけど、これは読んでおくべき本だ。「国家」や「平和」という概念について、なるほどそうだったかという発見に満ちている。ソマリランド畏るべし、ソマリ人畏るべし。

 高野秀行(1966~)という人は早稲田大学探検部出身で、学生時代から世界の辺境を歩き回ってきた。「」「未知」を追い続けているが、大自然の辺境地帯よりもミャンマー奥地の少数民族とか、民族的、政治的な意味のある辺境が多い。その高野氏が目指したのは、アフリカ東北部、「アフリカの角」と呼ばれるソマリアである。このソマリアはもう中央政府が20年もなくて、イスラム過激派勢力が実力で支配しているような無政府地帯である。ある意味、世界で一番行けない国である。

 でもそんなソマリアの中で、北西部だけは「ソマリランド」という国として独立宣言をしている。そしてもう20年にわたって平和を保っている。ソマリア南部は戦国時代だけど、ソマリランドだけは平和。そんなことがホントにあるのか? もしホントだったら、もっと世界的に注目され、報道されてもいいんじゃないか。でも誰も知らないではないか? じゃあ、自分で見に行こう。

 でも、そもそもどうやって行けばいいんだ。「独立」しているというのなら、独自のヴィザはいるのか。どこで取れるのか。外国から入れるのだろうか。なんて調べて行ったら、結構連絡事務所がある国はあって、最初はエチオピアから行くことになった。そうしたら、そこは本当に「平和」そのもので、銃を持っている人などどこにもいない。「ソマリランド・シリング」なる独自通貨もちゃんと通用しているではないか。れっきとした「独立国」でも、通貨が安定しない国はたくさんあるのに。

 という驚きをいちいち書いていては終わらない。一回目はソマリランドを旅したが、それだけでは満足できず、高野氏はついにソマリアの他の地域にも出かけることにする。「海賊国家」プントランド、「戦国時代」のソマリア南部である。ソマリアは1991年に当時のバーレ政権が崩壊して以来、世界に認められた中央政府がない。アメリカが介入して大打撃を受けて以来、手を付けられない。

 そんな国、というか地域に果たして行けるのか。というと、ちゃんと飛行機も出ている。すごい飛行機もあるが。そして「首都」モガディショはちゃんと「都」で、人々がオシャレなのだ。どうして旅行が可能か、その内実もすごく面白いけど、ここでは「氏族社会」と「カート」のことだけ取り上げたい。

 高野氏はだんだんソマリ人社会に入り込み、独特なソマリ人になじんでいく。僕なんかとてもやってけないような、深い深い付き合いをする中で、ソマリ社会、ソマリランドのあり方を知っていくのである。そのためには「カート」宴会にもどんどん出る。カートって何かというと、日本名アラビアチャノキという植物の葉っぱで興奮性物質が含まれる。禁止されている国もあるけど、エチオピア、ソマリア、ジブチ、ケニア、イエメンなどでは、合法という以上に必須のし好品らしい。ソマリアやイエメンはほぼ全員がムスリムでアルコール厳禁だから、人々は「とりあえずカート」で宴会している。

 それを高野氏はムシャムシャ食べながら、(そう、葉っぱそのものを食べてしまうのである)、日本だったらビールや日本酒片手にホンネと聞きだすような取材を重ねる。だんだん取材の手段ではなく、ほぼ中毒化しているようで、副作用の便秘も激しくなる。それに「カートの二日酔い」もあるけど、そのために朝から「迎えカート」するぐらいカートに入れ込んでいる。そんな社会があるのか。というか「カート」なる物質をまったく知らなかったので驚くしかない。

 ソマリアというけど、ソマリ人と書いている。ソマリア南部はイタリアが支配し、そのイタリアの「ア」、ヴェネツィアの「ア」が土地という意味なんだという。一方、ソマリランドはイギリスが支配した。一時は別に独立したが、同じソマリ人ということで5日後に合併したという。言葉はほとんど同じ。ただ、イギリスは間接統治で現地の氏族社会が残った。イタリアは直接支配で現地の支配システムを壊してしまった。それが今に影響したという。(なお、イタリア統治の名残りで、ソマリア各地では美味しいスパゲティやピザが食べられるらしい。)

 「氏族社会」というのが判りにくい。そもそもわかりにくいけど、特にソマリアでは氏族の分家の分分家、分分分家、分分分分家…、いやもっともっと続くのだが、面倒だから止める。そういう一族意識が今も生きている。戦争をやって、仕返し、仕返しの仕返し…というのも氏族社会では起こり得る。だから、そういう場合は「賠償」で解決するルールができる。一族の誰かが何かをしでかすと、一族皆で賠償金支払いだから、非常に強い規制となる。だけど、それで本当に戦争をやめられたのか。

 その時に行われた長い長い時間をかけた「話し合い」の伝統、それにもビックリ。そのためにソマリランドは憲法のある民主主義国となり、選挙で政権交代が起こる国となった。これこそ驚き。アフリカでそんな国が他にいくつあるだろう。でも本当なんだとこの本で判る。

 だが、それでも「氏族」って判らないなあ。ということで、著者は奥の手を出してくる。ソマリランドの中心的氏族、「イサック」は思い切って「奥州藤原氏」と呼んでしまおう。バーレ元大統領を出した「ダロッド」は平氏。一時は絶大な権力をふるいながらも追い落とされたバーレは、「バーレ清盛」と呼んじゃおう。そののちのソマリア南部の中心、「ハウィエ」は、そうなると当然「源氏」である。そこにも「義経」と「頼朝」がいる。てな具合で叙述が進むのである。

 最初は何じゃい、これという感じの違和感も強いんだけど、そのうち「ハウィエ源氏」とか「バーレ清盛」に慣れてきてしまう。「イサック奥州藤原氏」と言われると、そうか北の方で事実上の独立をしているソマリランドのことかと判りやすくなってくる。ソマリランドそのものにもすごく驚いたけど、カートをムシャクシャかじりながら、ダロッド平氏とハウィエ源氏などと言ってる著者そのものにも驚く。そこまで入れ込むとどうなるか。他者は立ち入れないかと思われる氏族社会で、もう高野氏は氏族の一員扱いされるに至る。そうなればなったでまた大変という、続編が続く大変なノンフィクションなのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする