戦争末期に日本の監獄で獄死した尹東柱(ユン・ドンチュ)は、今では韓国で国民詩人とみなされている。1917年に生まれたので、今年は生誕百年。(誕生日は12月30日、死亡は1945年2月16日。)その尹東柱の人生を描いた映画が公開されている。「空と風と星の詩人」というけど、公開が小規模だから知らない人が多いと思う。映画の完成度はともかく、韓国文化に関心のある人には必見。
映画は故郷にいる青年時代から始まる。場所は中国東北部、今は延辺朝鮮族自治州となっている「北間島」地方である。もともとは祖父がキリスト教徒で、朝鮮北部の咸鏡道からの移民した。周囲もキリスト教徒が多い地帯だった。1938年に京城(現ソウル)の延禧専門学校(現・延世大学校)文科に進む。そして1942年に日本に来て、立教大学、同志社大学に学ぶ。
その間の青春時代を、同郷のいとこ、宋夢奎と対照させながら描いている。彼は東柱と一緒にソウルに行き、日本にも行った。そしてともに雑誌を作ったりした。親族というより、友人であり同志でもある。だけど宋は東柱よりも政治的、直接行動的で、中国へ行って独立運動に参加して捕えられたりした。どこまで正確に描かれているのか、僕はよく判らないけど。2人はソウルで、京都で、文学を政治を、民族の運命を熱く語り合う。戦時下の植民地であっても、そこには「青春」がある。
東柱を演じるのは、カン・ハヌルという「韓流スター」で、甘いマスクで清冽な詩人をいかにもという感じで演じている。映画はモノクロの映像をうまく使って、植民地時代を再現した。ユン・ドンチュの詩を効果的にナレーションで使い、効果を挙げている。禁じられた母語で詩を書き続ける東柱の青春に見るものは同化し感動する。まあ、そういう映画である。
だけど、どうも史実無視のような点も多いように思えた。日本の特高刑事が「アウシュビッツを知っているか」なんて言うはずがない。ドイツを除いて、まだ世界中で誰も知らなかっただろう。いとこの夢圭は、単に独立運動を話し合っただけでなく、京都の朝鮮出身学生を組織して演説する。そこでは「ミッドウェーでは4隻の空母が撃沈され、ソ連の参戦も近い」なんて演説している。おいおい、それも誰も知らないだろう。臨時政府の組織した光復軍が30万もいるなどとも言っている。
韓国政府は、当時は上海から重慶に移っていた「臨時革命政府」の後継と自己規定している。そういう公式的歴史観に基づき、夢圭や東柱も臨政系の独立運動家のようになっているけど、それは誇張というもんだろう。彼はまだ認められていなかった詩人であり、学生だった。そのような脚本の問題点もあるけど、それも含めて「尹東柱はどう描かれているのか」も大事な見どころ。まあ、どうも「抵抗の民族詩人」という伝説に沿った映画作りなんじゃないかと思う。
そういう意味では映画としての完成度をうんぬんするよりも、尹東柱を見るための映画ということになる。それは見る価値のあるテーマだと思う。日本でもファンが多く、知名度も高いから見たい人も多いだろう。小さな映画館(シネマート新宿2=定員60)だから、今日は立ち見だった。しかも毎日上映時間が違う。インターネットで時間を確認し、チケットも買っていかないと入れないかもしれない。
今じゃ、尹東柱詩集は岩波文庫にも入ってる。金詩鐘編訳「空と風と星と詩」(2012)である。入手しやすいので持ってる人も多いだろう。日本では伊吹郷訳の影書房版(1984)が長く読まれていた。「序詩」では伊吹訳が「死ぬ日まで空を仰ぎ」となっているところ、金詩鐘訳では「天を仰ぎ」となった。
また「たやすく書かれた詩」の終わりごろの部分、伊吹訳は「灯火(あかり)をつけて 暗闇を少し追いやり 時代のように 訪れる朝を待つ最後の私たち」と訳されている。それが金詩鐘訳では「灯りをつよめて 暗がりを少し追いやり、時代のようにくるであろう朝を待つ 最後の私、」となっている。これは結構違う感じがする。どうもなんだか、前の訳になじんでいる感もあるんだけど。そこらの問題は僕には判断できないが、実はちゃんと読んでなかったので今回読んでみた。
実に素晴らしい詩だと思ったんだけど、それほどの詩人が日本の獄中で死んでしまったということの無念。最後に何か叫んだというが、それを日本人の看守は誰も理解できなかった。福岡の刑務所である。韓国も近いというのに。誰も判らなかった。日本では今も理不尽になくなる外国人が時々いる。もしかしたら、そういう人の中にも素晴らしい人がいたのかもしれない。そういう風に思えてくる。
映画は故郷にいる青年時代から始まる。場所は中国東北部、今は延辺朝鮮族自治州となっている「北間島」地方である。もともとは祖父がキリスト教徒で、朝鮮北部の咸鏡道からの移民した。周囲もキリスト教徒が多い地帯だった。1938年に京城(現ソウル)の延禧専門学校(現・延世大学校)文科に進む。そして1942年に日本に来て、立教大学、同志社大学に学ぶ。
その間の青春時代を、同郷のいとこ、宋夢奎と対照させながら描いている。彼は東柱と一緒にソウルに行き、日本にも行った。そしてともに雑誌を作ったりした。親族というより、友人であり同志でもある。だけど宋は東柱よりも政治的、直接行動的で、中国へ行って独立運動に参加して捕えられたりした。どこまで正確に描かれているのか、僕はよく判らないけど。2人はソウルで、京都で、文学を政治を、民族の運命を熱く語り合う。戦時下の植民地であっても、そこには「青春」がある。
東柱を演じるのは、カン・ハヌルという「韓流スター」で、甘いマスクで清冽な詩人をいかにもという感じで演じている。映画はモノクロの映像をうまく使って、植民地時代を再現した。ユン・ドンチュの詩を効果的にナレーションで使い、効果を挙げている。禁じられた母語で詩を書き続ける東柱の青春に見るものは同化し感動する。まあ、そういう映画である。
だけど、どうも史実無視のような点も多いように思えた。日本の特高刑事が「アウシュビッツを知っているか」なんて言うはずがない。ドイツを除いて、まだ世界中で誰も知らなかっただろう。いとこの夢圭は、単に独立運動を話し合っただけでなく、京都の朝鮮出身学生を組織して演説する。そこでは「ミッドウェーでは4隻の空母が撃沈され、ソ連の参戦も近い」なんて演説している。おいおい、それも誰も知らないだろう。臨時政府の組織した光復軍が30万もいるなどとも言っている。
韓国政府は、当時は上海から重慶に移っていた「臨時革命政府」の後継と自己規定している。そういう公式的歴史観に基づき、夢圭や東柱も臨政系の独立運動家のようになっているけど、それは誇張というもんだろう。彼はまだ認められていなかった詩人であり、学生だった。そのような脚本の問題点もあるけど、それも含めて「尹東柱はどう描かれているのか」も大事な見どころ。まあ、どうも「抵抗の民族詩人」という伝説に沿った映画作りなんじゃないかと思う。
そういう意味では映画としての完成度をうんぬんするよりも、尹東柱を見るための映画ということになる。それは見る価値のあるテーマだと思う。日本でもファンが多く、知名度も高いから見たい人も多いだろう。小さな映画館(シネマート新宿2=定員60)だから、今日は立ち見だった。しかも毎日上映時間が違う。インターネットで時間を確認し、チケットも買っていかないと入れないかもしれない。
今じゃ、尹東柱詩集は岩波文庫にも入ってる。金詩鐘編訳「空と風と星と詩」(2012)である。入手しやすいので持ってる人も多いだろう。日本では伊吹郷訳の影書房版(1984)が長く読まれていた。「序詩」では伊吹訳が「死ぬ日まで空を仰ぎ」となっているところ、金詩鐘訳では「天を仰ぎ」となった。
また「たやすく書かれた詩」の終わりごろの部分、伊吹訳は「灯火(あかり)をつけて 暗闇を少し追いやり 時代のように 訪れる朝を待つ最後の私たち」と訳されている。それが金詩鐘訳では「灯りをつよめて 暗がりを少し追いやり、時代のようにくるであろう朝を待つ 最後の私、」となっている。これは結構違う感じがする。どうもなんだか、前の訳になじんでいる感もあるんだけど。そこらの問題は僕には判断できないが、実はちゃんと読んでなかったので今回読んでみた。
実に素晴らしい詩だと思ったんだけど、それほどの詩人が日本の獄中で死んでしまったということの無念。最後に何か叫んだというが、それを日本人の看守は誰も理解できなかった。福岡の刑務所である。韓国も近いというのに。誰も判らなかった。日本では今も理不尽になくなる外国人が時々いる。もしかしたら、そういう人の中にも素晴らしい人がいたのかもしれない。そういう風に思えてくる。