オウム真理教を生み出した時代とはどんなものだったか。それを「オカルト」と「神秘体験」という視点から考えてみたい。オウム真理教に入信した人には、オウム真理教の「神秘体験」を語る人が多かったと思う。70年代後半から80年代にかけては、世の中にオカルトブームが起こったり、「精神世界」への関心が強かった。今振り返って、そのことをどう考えればいいのだろうか。
60年代末から70年代初めは、世界的に「政治の季節」だった。日本でも若い世代が「革命」をめざして街頭に出て行った。デモが過激化し機動隊と衝突するのは日常の風景だった。それがあっという間にしぼんでしまう。僕の印象では連合赤軍の「山岳ベース事件」(多くの同志を「総括」と称して殺害した)の衝撃が大きかった。また「革マル派」と「中核派」の「内ゲバ」(という名の殺し合い)が続いていたことも大きい。その時代の冷え冷えとした空気はよく覚えている。
60年代の革命運動は観念的な「言語重視」で「身体性軽視」の傾向が強かった。だから運動がどんどん過激化すると、多くのメンバーがついていけなくなる。革命の季節が去ってみると、自分たちが社会の現実を何も判ってなかったと気づく。「頭」で理解しようとしていただけだったと感じる。だから70年代中ごろから、「身体性」や「精神性」に関心が高まるのは当然だった。柳田国男の民俗学に関心を持ったり、有機農業を始めたり、「第三世界」に関心を寄せたり、ヨガや太極拳を極めたり…。僕の身近なところでもあった80年代の心象風景だ。
そんな中に「オカルトブーム」や「新宗教」も地続きに存在していたと思う。「オカルトブーム」は近代史の中で時々起きたが、この時は「ユリ・ゲラー」なる「超能力者」がテレビで人気になったり、「ノストラダムスの大予言」を本気で信じて1999年で世界は滅びると思い込んだりした。今になってみると、テレビ番組で「超能力でスプーンを曲げる」実演をやったりしたのは信じられない。今なら放送倫理上問題ではないのかと言われるだろう。今じゃ、多くのスプーン曲げ少年も「トリック」だったとされるている。でもその頃はマトモに信じた子どもたちが翌日の教室で話題にしたりした。
今思えば、「超能力があるか、ないか」を議論しても意味がなかった。スプーンを念力で曲げても、世界は変わらない。だから「念力」があったとしても、スプーンを曲げる程度にしか働かない弱い力だと言えばよかった。本当に超能力があるならば、暴走する自動車を停めるぐらいできないと。麻原彰晃の名前を初めて聞いたのは、多分80年代後半に「空中浮遊」ができるという話だったと思う。奇跡だと思った人もいたらしいが、人間が空中に浮くわけがない。だから、この写真もトリックでなければ、座禅でいう「結跏趺坐」、ヨガでいう「アーサナ」(蓮華坐)の修行をしていて、身体が揺れ動く運動が起こったのだろう。つまり野口整体でいう「活元運動」だと当時思った。
(画像検索で出てきた空中浮遊)
僕も若いころは「身体の解放」に関心があった。野口体操(野口整体ではない)には夫婦で2年ぐらい行った。皆で太極拳をやったり、演出家の竹内敏晴さんのレッスンもした。田中泯の主宰していた身体気象研究所に行ったことも確かあった。だから「活元」という身体の自動運動という概念を知っていた。(僕は観念や言語の支配力が強いからか、あまり活元が出ないけど。)
70年代以後のもう一つのブームは「新宗教」だった。オウム以前に一番問題化していたのは、「統一協会」(世界基督教統一神霊協会)だ。霊感商法が問題化していたが、1992年には信者どうしの「合同結婚式」に桜田淳子が参加して話題となった。(桜田淳子は、森昌子、山口百恵とともに70年代に「中三トリオ」と言われ人気を集めた。)「カルト宗教」「マインド・コントロール」「脱洗脳」などの言葉は、オウム事件以前に統一協会に関して使われていた。統一協会の教祖は韓国人の文鮮明で、勝共連合という反共組織と同根で、自民党右派の政治家と深いつながりがあった。
あるいは仏教の法華系新宗教「霊友会」はその名も「いんなあとりっぷ」と題する雑誌を大量に発行し、有名人が多く寄稿して若い世代にも読まれていた。石原慎太郎と深いつながりがあった。キリスト教系の「エホバの証人」も輸血拒否などで問題化していたし、ヒンドゥー教系の「ハレ・クリシュナ」は独特の原色の衣装でパンフを配布していた。だから、オウム真理教だけが特に怪しい存在ではなかった。いかがわしい、うさん臭い宗教は山のようにあったし、今もある。
だが特に「高度成長からバブル経済とその破綻」の時代には「神秘体験」や「奇跡」のようなものを求める心があったのではないか。それらの宗教の多くは「陰謀論」や「反共意識」を強く持っていた。オウム真理教や統一協会もそうだが、当時の「生長の家」メンバーは、今の日本会議の主要メンバーだ。オウムとほぼ同時に出発した「幸福の科学」(1986年結成)が作った「幸福実現党」も極右的な主張を掲げている。
オウム事件後に「身体性の解放」をめざす試みが消えてしまった時に、「陰謀論」にまみれた精神の荒野が出現した。その理由はオウム真理教の「違法」な面だけが摘発され、「陰謀論的世界観」の方は残ったからだろう。今は「身体性」という課題自体が見えなくなった。皆が一人ひとり孤立化してしまう。あるいは高いお金をかけて習うものとしてのヨガになった。どうすればいいのかは判らないけど、もう少しこの問題を続ける。
60年代末から70年代初めは、世界的に「政治の季節」だった。日本でも若い世代が「革命」をめざして街頭に出て行った。デモが過激化し機動隊と衝突するのは日常の風景だった。それがあっという間にしぼんでしまう。僕の印象では連合赤軍の「山岳ベース事件」(多くの同志を「総括」と称して殺害した)の衝撃が大きかった。また「革マル派」と「中核派」の「内ゲバ」(という名の殺し合い)が続いていたことも大きい。その時代の冷え冷えとした空気はよく覚えている。
60年代の革命運動は観念的な「言語重視」で「身体性軽視」の傾向が強かった。だから運動がどんどん過激化すると、多くのメンバーがついていけなくなる。革命の季節が去ってみると、自分たちが社会の現実を何も判ってなかったと気づく。「頭」で理解しようとしていただけだったと感じる。だから70年代中ごろから、「身体性」や「精神性」に関心が高まるのは当然だった。柳田国男の民俗学に関心を持ったり、有機農業を始めたり、「第三世界」に関心を寄せたり、ヨガや太極拳を極めたり…。僕の身近なところでもあった80年代の心象風景だ。
そんな中に「オカルトブーム」や「新宗教」も地続きに存在していたと思う。「オカルトブーム」は近代史の中で時々起きたが、この時は「ユリ・ゲラー」なる「超能力者」がテレビで人気になったり、「ノストラダムスの大予言」を本気で信じて1999年で世界は滅びると思い込んだりした。今になってみると、テレビ番組で「超能力でスプーンを曲げる」実演をやったりしたのは信じられない。今なら放送倫理上問題ではないのかと言われるだろう。今じゃ、多くのスプーン曲げ少年も「トリック」だったとされるている。でもその頃はマトモに信じた子どもたちが翌日の教室で話題にしたりした。
今思えば、「超能力があるか、ないか」を議論しても意味がなかった。スプーンを念力で曲げても、世界は変わらない。だから「念力」があったとしても、スプーンを曲げる程度にしか働かない弱い力だと言えばよかった。本当に超能力があるならば、暴走する自動車を停めるぐらいできないと。麻原彰晃の名前を初めて聞いたのは、多分80年代後半に「空中浮遊」ができるという話だったと思う。奇跡だと思った人もいたらしいが、人間が空中に浮くわけがない。だから、この写真もトリックでなければ、座禅でいう「結跏趺坐」、ヨガでいう「アーサナ」(蓮華坐)の修行をしていて、身体が揺れ動く運動が起こったのだろう。つまり野口整体でいう「活元運動」だと当時思った。
(画像検索で出てきた空中浮遊)
僕も若いころは「身体の解放」に関心があった。野口体操(野口整体ではない)には夫婦で2年ぐらい行った。皆で太極拳をやったり、演出家の竹内敏晴さんのレッスンもした。田中泯の主宰していた身体気象研究所に行ったことも確かあった。だから「活元」という身体の自動運動という概念を知っていた。(僕は観念や言語の支配力が強いからか、あまり活元が出ないけど。)
70年代以後のもう一つのブームは「新宗教」だった。オウム以前に一番問題化していたのは、「統一協会」(世界基督教統一神霊協会)だ。霊感商法が問題化していたが、1992年には信者どうしの「合同結婚式」に桜田淳子が参加して話題となった。(桜田淳子は、森昌子、山口百恵とともに70年代に「中三トリオ」と言われ人気を集めた。)「カルト宗教」「マインド・コントロール」「脱洗脳」などの言葉は、オウム事件以前に統一協会に関して使われていた。統一協会の教祖は韓国人の文鮮明で、勝共連合という反共組織と同根で、自民党右派の政治家と深いつながりがあった。
あるいは仏教の法華系新宗教「霊友会」はその名も「いんなあとりっぷ」と題する雑誌を大量に発行し、有名人が多く寄稿して若い世代にも読まれていた。石原慎太郎と深いつながりがあった。キリスト教系の「エホバの証人」も輸血拒否などで問題化していたし、ヒンドゥー教系の「ハレ・クリシュナ」は独特の原色の衣装でパンフを配布していた。だから、オウム真理教だけが特に怪しい存在ではなかった。いかがわしい、うさん臭い宗教は山のようにあったし、今もある。
だが特に「高度成長からバブル経済とその破綻」の時代には「神秘体験」や「奇跡」のようなものを求める心があったのではないか。それらの宗教の多くは「陰謀論」や「反共意識」を強く持っていた。オウム真理教や統一協会もそうだが、当時の「生長の家」メンバーは、今の日本会議の主要メンバーだ。オウムとほぼ同時に出発した「幸福の科学」(1986年結成)が作った「幸福実現党」も極右的な主張を掲げている。
オウム事件後に「身体性の解放」をめざす試みが消えてしまった時に、「陰謀論」にまみれた精神の荒野が出現した。その理由はオウム真理教の「違法」な面だけが摘発され、「陰謀論的世界観」の方は残ったからだろう。今は「身体性」という課題自体が見えなくなった。皆が一人ひとり孤立化してしまう。あるいは高いお金をかけて習うものとしてのヨガになった。どうすればいいのかは判らないけど、もう少しこの問題を続ける。