尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

カタルーニャ映画「悲しみに、こんにちは」

2018年08月15日 21時17分12秒 |  〃  (新作外国映画)
 8月15日に「沖縄スパイ戦史」というドキュメンタリー映画を見に行ったところ、いっぱいそうで諦めた。いろいろと調べて、渋谷のユーロスペースでやってる「悲しみに、こんにちは」なら時間も大丈夫そうなのでそれを見たので、その感想。この映画のことを最初に知った時、今頃サガンのリメイクか? と思ってしまったのだが、よく見ると「悲しみに、」だった。この映画はスペイン映画だけど、多分「カタルーニャ映画」なんだと思う。学校の「国語」はカタラン語(カタルーニャ語)というセリフがある。僕にはセリフの言語は聞き分けられないけど、舞台はカタルーニャ。

 1993年、バルセロナ。両親を共に亡くした6歳のフリダは叔母一家に引き取られて、カタルーニャでも田舎の農村に住むことになる。そこには叔父、叔母とともに4歳の従妹アナがいる。この両親の死因は明らかにエイズで、まだ治療法もない不治の病視されて怖れられていた時代である。ただし、細かな事情は説明されない。両親のことだけでなく、大人のさまざまな事情は一切語られず、ただひたすらフリダの視点で世界を捉えている。

 だから劇映画というより、実際の子どもたちのドキュメンタリ-を見ている感じがするほどだ。まあすぐれた子ども映画はみんなそうだ。子どもはまだ自我を持たず、演技力を発揮して誰かになり切っているわけじゃない。この映画は女性監督カルラ・シモン(1986~)の長編デビュー作で、実話に基づいているという。自分の体験に基づいているとするならば、「子どもの目」で世界を語りたいというのはよく判る。大人の目で見れば、叔母も叔父も親切で分け隔てなく接しているように思う。姉を失って、その子を引き取るのも大変だ。

 でも、フリダからすれば、突然田舎に追いやられ母はいない。小さなアナは慕ってくれるが、接し方もうまく判らない。都会と違う田舎の自然の中では遊び方も違う。時々祖父母が会いに来てくれると、どうしても甘く接してしまう。洋の東西を問わず、孫には甘くなる。フリダからすると、時には厳しくもある叔父叔母には嫌われていると思い込み、夜中に幼い「家出」するシーンは心に残る。フリダ目線で進行するから、最初はよく判らないけど、だんだんフリダに感情移入するのである。悲しみに出会っても、このように生きていくのだ。

 とにかくフリダを演じるライア・アルティガスが超絶的に可愛い。アナも可愛いけど、フリダのちょっとしたしぐさが素晴らしい。かつてヴィクトル・エリセの「ミツバチのささやき」に出たアナ・トレントも素晴らしかったけど、今度のライアはもっと可愛い。もうイングリッド・バーグマン並みだ。すごい美人女優になることを期待したい。監督の目論見から、案外社会性はなくて、ひたすら子どもの世界を描き出すことに専念している。ベルリン映画祭で新人監督賞などを受賞。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする