尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

藤原彰「餓死した英霊たち」を読む

2018年08月11日 22時56分25秒 |  〃 (歴史・地理)
 吉田裕「日本軍兵士」に続いて、藤原彰餓死(うえじに)した英霊たち」(ちくま学芸文庫)を読んだ。原著は2001年に青木書店から出版されて、大きな反響を呼んだ。これはさすがに当時読んだと思うが、例によって探し出せない。1100円もするけど、藤原先生だから買ってしまうかと思った。「日本軍兵士」の抜群の読みやすさに比べると、学術書と一般書の中間ぐらいでやっぱり時間はかかる。それでも「日本軍兵士」を読んだ人は是非こちらにもチャレンジして欲しい。

 この本の内容は書名の通りである。第二次世界大戦における日本の戦没者数は約310万とされる。これは日本政府の調査に基づく公式の数となっている。このうち、軍人軍属の死者が230万外地での民間人死者が30万内地での民間人死者が50万となっている。この軍人の戦没者のほとんどは、食糧が尽きたことによる餓死や栄養失調による戦病死(事実上の餓死)だった。そのことを多くの死者が出た戦場を検討して証明した。その合計はおおよそ140万人に達し全体の軍人戦死者の中で6割ともなる。さらに「日本軍兵士」によれば、海没死者が35万人もいた。戦死と言っても、敵軍の銃弾によって死んだ者は圧倒的に少ないのである。

 ガダルカナル島(餓島と呼ばれた)、ニューギニア戦、インパール作戦、フィリピン戦線、中国戦線の大陸打通作戦…。一つ一つの戦場における悲惨な様相は今までにも多くの本が書かれてきた。それらを読むと、確かに戦争は悲惨であり、かくも大きな犠牲が出たのかと厳粛な思いにかられる。だけど、それらの戦場での死者のありようを分析し、合算して示したのは初めてだったと思う。その結果、およそ軍隊と称するには異様なまでの「餓死した兵隊」という実態が浮かび上がった。この本の結論は大きな衝撃を与えたものだ。

 もちろん敵弾で死ねばいいというわけではない。ガダルカナル戦では米軍が上陸し制空権を完全に掌握した後で、何度も部隊を送り込んでは全滅した。最初の一木支隊に始まり数度に及ぶ。十分な火器を備えた米軍に銃剣で突撃する日本軍。そもそも米軍が制空権を持つ中で、重火器や食糧を運び込むことができない。そんな軍隊が準備十分な米軍に向かって行っても何の戦果も挙げられない。最初から判るだろうに、それを何度も繰り返す。読んでいて、あまりにも愚なる戦争指導に誰しも腹が立ってくるだろう。ポートモレスビー攻略戦インパール作戦などでも繰り返された愚挙の数々を書いてると終わらない。是非本書で確認して欲しい。

 そもそも著者の藤原彰氏は当時の中国戦線の経験者だった。1922年に生まれ、府立六中(現新宿高校)を経て、陸軍士官学校に入学。1941年に卒業後、陸軍少尉として「支那駐屯歩兵第三連隊」に配属された。中国では大陸打通作戦という壮大なる愚挙に参加している。普通の中学を出て士官学校へ行ったこと自体、軍内では出世コースではなかった。幼年学校からの純粋培養組でないと出世できない仕組みの意味は後半で考察されている。敗戦後に東大史学科に入りなおして近現代史を研究した。そのような体験を持つ著者ならではの本である。
 
 第二章「何が大量死をもたらしたか」で追及されるのは、「補給無視の作戦計画」「兵站無視の作戦指導」「作戦参謀の独善指導」である。兵站(へいたん)とは、前線部隊を支援する軍事物資や食糧などの補給、兵員の移動などの総称で、英語ではロジスティックス(Logistics)。これがなければ戦えないはずが、日本軍は「精神力」で勝てるとされたから、兵站は軽視された。補給を担当する「輜重兵」(しちょうへい)は、そもそも兵の最下等とされ差別された。

 さらに第三章「日本軍隊の特質」では「精神主義への過信」「兵士の人権」「兵站部門の軽視」「幹部教育の偏向」「降伏の禁止と玉砕の強制」が分析されている。米軍は日本軍がいたすべての島を攻略したわけではなかった。重要地点を確保したら、次の作戦に移るので飛ばされる島が出てくる。制海権が失われているから、そういう島へはもう食糧の補給ができない。サンゴ礁の島では自給もできず、降伏は禁止されているから餓死するしかなかった。

 現代史に関心がある人には知られていることだが、このような愚なる戦争指導には特定の人物が関わっている。特に田中新一服部卓四郎辻政信の作戦課コンビは、ノモンハン事件で大敗北を喫したのに、いつのまにか復権し何度も何度も馬鹿げた強硬策を押し付けて日本兵の大量死をもたらした。読んでいて、多くの人が義憤にかられるだろう。日本軍がこれほど愚劣な組織だったことを全国民が知るべきだ

 この本は読んだはずなのに、細かい中身を忘れていた。最近読んだ「武士の日本史」だって、細かいことはもう忘れているほどで、17年も前の本なら仕方ない。でも「後方を担った馬の犠牲」の箇所で読んだことを思い出した。欧米ではすでにトラック輸送が主になっていたのに、日本軍は馬による輸送に頼っていた。戦地に連れていかれた軍馬の数は100万頭にも及ぶという。そしてその馬たちは、兵と違ってただの一頭たりとも復員できなかった。これほどの馬を農村から挑発したことによる農村の疲弊も大きかった。馬の犠牲も忘れてはいけない。(なお、題名の「英霊」は明治の新興宗教「靖国神社」の特定用語だから、本来はカッコを付けるべきだ。)
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