尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

カザルス・トリオ「大公トリオ」-「定番CD」の話②

2018年08月29日 22時34分10秒 | アート
 パブロ・カザルスの続き。カザルスに関しては、前に個人的なメールマガジンを書いていた時に取り上げたことがあった。何を書いたのかなあとふと思い出して、読み返してみた。そうしたら、カザルスの素晴らしい言葉を自分で引用していた。これは今も輝いている言葉じゃないだろうか。今こそ多くの子どもたちに読んでもらいたい言葉じゃないだろうか。

 子供たち一人ひとりに言わねばならない。
 君はなんであるか、知っているか?
 君は驚異なのだ。二人といない存在なのだ。
 世界中どこをさがしたって君にそっくりな子はいない。
 過ぎ去った何百万年の昔から君と同じ子供はいたことがないのだ。
 ほら、君のからだを見てごらん。実に不思議ではないか。
 足、腕、器用に動く指、君のからだの動き方!
 君はシェイクスピア、ミケランジェロ、ベートーヴェンのような人物になれるのだ。
 どんな人にもなれるのだ。
 そうだ、君は奇跡なのだ。
 だから、大人になったとき、君と同じように奇跡である他人を傷つけることができるだろうか。
 君たちは互いに大切にし合いなさい。
 君たちは-われわれも皆-この世界を、子供たちが住むにふさわしい場所にするために働かねばならないのだ。

 原文は詩ではなく散文なのだが、中身は詩みたいなので行分けしてみた。出典はアルバート・E・カーン編「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」という本(268頁)。原著は1970年に出て、1973年に新潮社から翻訳が出た。その後朝日選書で再刊された。(カザルスのこの言葉は、下嶋哲朗「沖縄・チビチリガマの“集団自決”」(岩波ブックレット)で知った。)

 事実上の自伝と言えるこの本には、興味深い言葉がいろいろ出ている。
 「過去八十年間、私は、一日を、全く同じやり方で始めてきた。それは無意識な惰性でなく、私の日常生活に不可欠なものだ。ピアノに向かい、バッハの「前奏曲とフーガ」を二曲弾く。ほかのことをすることなど、思いも寄らぬ。それはわが家を潔める祝祷なのだ。だが、それだけではない。バッハを弾くことによってこの世に生を享けた歓びを私はあらたに認識する。人間であるという信じ難い驚きとともに、人生の驚異を知らされて胸がいっぱいになる。」

 「私の記憶の糸をたどっていくと海に行き着く。私がほんの幼児だったときに、もう海を見つけていたと言ってもよい。あのときの海は、私が生まれたベンドレルの町の近くのカタロニアの海岸沿いの地中海だった。」
 
 若きカザルスは、ヨーロッパ各国の王室に招かれて演奏をする。スペインの王家にも庇護をうけるのだが、それでも彼は「共和派」であることを隠さない。スペイン共和制が実現し、カタルーニャに自治が認められた時代に、彼はカタルーニャの音楽文化運動の中心にいた。そして、スペイン内戦で祖国を離れた後、ついに帰国することはなかった。内戦から第二次大戦中(フランス領カタルーニャの寒村にいた)の劇的な話も熟読する価値がある。パブロ・カザルスは、20世紀を代表する音楽家の一人だが、それに止まらず、20世紀を代表する平和と民主主義の闘士だった。

 カザルスの名演はいろいろあるが、何といってもカザルストリオ(カザルス三重奏団)が素晴らしいと思う。これは、ピアノのアルフレッド・コルトー、ヴァイオリンのジャック・ティボーという3人で組んだ室内楽トリオである。クラシックにそれほど詳しくない僕でも、コルトーとかティボーという名はどこかで聞いたような気がする。そんな3人が組んだのだから、音楽史の奇跡と言われるのも当然だろう。1903年頃から、個人的な場で共演を始め、1905年に観客の前で演奏した。皆20代の少壮音楽家で、新しい試みに意気軒昂たる時代である。

 このトリオはその後30年ほど続き、1930年代初めに共演が終わった。もともと皆独自で活躍しつつ、時々室内楽を演奏していたわけで、正式に解散したわけではない。それぞれが大家となり別々の道を歩む時期になったとも言えるし、カザルスがスペイン共和制支援の活動に時間を取られたことも大きい。(コルトーがナチスに宥和的だったことにカザルスが反発したとも言われる。)とにかく、今はこのトリオがレコード録音に間に合うまで活動していたことを喜ぶのみである。

 村上春樹の「海辺のカフカ」を読んだときに、ベートーヴェンの「大公トリオ」を聞きたくなった。そういう人は多いと思うけど、そんなにクラシックに詳しくない僕は「大公トリオ」と言われても全く知らなかった。カザルスが弾いている廉価版のCDを買ってみたが、あまりピンと来なかった。ピアノがホルショフスキ、ヴァイオリンがヴェーグという人で、全く知らない。カザルスといったらカザルス・トリオだと知るようになって、カザルス・トリオ盤の「大公トリオ」も買ってみた。

 これはすごい。すごくいいではないか。優雅にして、心弾むような抒情。もう、紛れもない名演で、クラシックに詳しくなくても、聞けばすぐ判ると思う。やはり、カザルス・トリオはすごい。「大公トリオ」というのは、ベートーヴェンが1811年に作曲したピアノ三重奏曲。(ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 作品97)ハプスブルク家のルドルフ大公に献呈されたので、「大公トリオ」と通称されている。ルドルフ大公はベートーヴェンのパトロンとして有名だった。

 僕の買ったカザルスのCDセットには、他にシューマンの「ピアノ三重奏曲」、メンデルスゾーンの「ピアノ三重奏曲」、ハイドンの「ピアノ三重奏曲」なども入っている。いずれも名演だなと思わせる録音で、大昔のモノラル録音だということを感じさせない奇跡の演奏だと思う。
(パブロ・カザルス)
 カザルスは音楽的には保守的な感性の持ち主で、20世紀の作曲家は認めなかった。シェーンベルクとかエリック・サティならまだしも、ストラヴィンスキーとかラヴェルも認めなかったらしい。何よりバッハ、そしてベートーヴェンという人で、それでいて政治的には熱狂的な共和派。だけどヨーロッパ各国の王室と親しいという人だった。しかし、何十年も立つと、とにかく名盤だけが残る。
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