イギリス・インド合作の映画「英国総督 最後の家」が公開されている。ちょっと内容が判らない邦題だが、1947年のインド・パキスタン分離独立を描く歴史メロドラマの秀作だ。日本ではあまり知られていないだろう、インドとパキスタン分離という歴史的出来事を描いていて貴重だ。英国支配下のインド総督は、こんなすごい邸宅に住んでたのかという映像も魅力。ヒンドゥー男性とムスリム女性の叶わぬ恋路もからませて、ウェルメイドな映画に仕上がっている。

最後のインド総督はマウントバッテン伯爵で、第二次世界大戦のビルマ戦線で日本軍との戦いで知られた。総督就任の際、正式な名前で呼ばれるが、ルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテンという恐ろしく長い名前なので驚いた。総督就任時には、すでにインド独立は決定事項となっていた。しかし、インド各地で宗教対立による暴動、虐殺が相次ぎ、マウントバッテンは統一インドの独立を使命として派遣されてきた。1900年生まれとまだ若く、従来の総督と違って妻や娘とともにインド人と親しむ姿勢も見せた。
そんなインド総督邸を舞台に、裏方で働くインド人たちがいる。ジート・クマールはラホールで警官をしていたが、デリーに出てきて総督邸に勤める。そこで総督令嬢の秘書をしているアーリアに再会する。アーリアの父が独立運動で捕らえられていた時、ジートが何くれとなく裏で助けていた。アーリアの父は獄中で失明し、デリーに出てくる。ジートはヒンドゥー教徒だが、ムスリムのアーリアにひそかに恋していた。彼女のいなくなったラホールを出てデリーに来たら、思いがけなく再会したのだった。アーリアには許婚者がいるが、二人の恋はどうなるのか。
(ジートとアーリア)
総督邸で働くインド人たちにも宗教対立が広がってゆく。マウンドバッテン総督もインド政界の有力者を相次いで招いて合意を探る。独立運動の父ガンディーはあくまでも全インドの統一を主張するが、初代インド首相となるネルーは今や分離独立やむなしとの立場に立っていた。全インドムスリム同盟の指導者、ムハンマド・アリ・ジンナーはイスラム教徒が少数派となると、アメリカの黒人と同じ運命になるという。イスラム教徒が多い地域がまとまって、「パキスタン」(清浄な国)を建国するという主張を変えない。マウンドバッテンもついに分離やむなしと決断する。
そんな情勢を英国側、インド国民会議派(ネルー)、ムスリム同盟(ジンナー)、ガンディなどの立場を描き分けてゆく。ジンナーらが強硬で分離に至ったが、一千万以上の難民を生み、多くの人々が虐殺された。映画はそのような視点で描くが、パキスタンには違う視点もあるだろう。パキスタンでは上映禁止になったということだ。また英国が大戦中にジンナーの協力を得るために独立を認めていたという解釈を提示している。独立後のインド国民会議派政権がソ連寄りになったとしても、カラチ港を英国陣営で確保する目的もあったとする。必ずしも定説ではないらしいが。
監督はグリンダ・チャーダ(1960~)という女性監督。ケニアでシーク教徒の家庭に生まれ、イギリスで学んだ。2002年の「ベッカムに恋して」で知られる。女の子だけどサッカーがやりたいというインド系女子を描いた快作で、世界でヒットした。マウンドバッテン卿は「ダウントン・アビー」などに出ていたヒュー・ボネヴィル。その他インド、イギリスの俳優が出演している。なぜか全員が英語を話している映画じゃないのがいい。リーダー層はKing's English だが民衆は違う。
「パリは燃えているか?」で知られるノンフィクション作家、ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピェールによる「今夜、自由を」などが原作となっている。この本は以前ハヤカワ文庫に入っていて読んだことがあるが、すごい本だった。インドとパキスタンが別の国だというのは、今や自明の前提になってしまったから、知らない人もいるかもしれない。でも、これがどんな大きな悲劇を生んだかはもっと知られるべきだろう。現時点で考えると、イスラム教と政治をめぐって考えることも多い。

最後のインド総督はマウントバッテン伯爵で、第二次世界大戦のビルマ戦線で日本軍との戦いで知られた。総督就任の際、正式な名前で呼ばれるが、ルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテンという恐ろしく長い名前なので驚いた。総督就任時には、すでにインド独立は決定事項となっていた。しかし、インド各地で宗教対立による暴動、虐殺が相次ぎ、マウントバッテンは統一インドの独立を使命として派遣されてきた。1900年生まれとまだ若く、従来の総督と違って妻や娘とともにインド人と親しむ姿勢も見せた。
そんなインド総督邸を舞台に、裏方で働くインド人たちがいる。ジート・クマールはラホールで警官をしていたが、デリーに出てきて総督邸に勤める。そこで総督令嬢の秘書をしているアーリアに再会する。アーリアの父が独立運動で捕らえられていた時、ジートが何くれとなく裏で助けていた。アーリアの父は獄中で失明し、デリーに出てくる。ジートはヒンドゥー教徒だが、ムスリムのアーリアにひそかに恋していた。彼女のいなくなったラホールを出てデリーに来たら、思いがけなく再会したのだった。アーリアには許婚者がいるが、二人の恋はどうなるのか。

総督邸で働くインド人たちにも宗教対立が広がってゆく。マウンドバッテン総督もインド政界の有力者を相次いで招いて合意を探る。独立運動の父ガンディーはあくまでも全インドの統一を主張するが、初代インド首相となるネルーは今や分離独立やむなしとの立場に立っていた。全インドムスリム同盟の指導者、ムハンマド・アリ・ジンナーはイスラム教徒が少数派となると、アメリカの黒人と同じ運命になるという。イスラム教徒が多い地域がまとまって、「パキスタン」(清浄な国)を建国するという主張を変えない。マウンドバッテンもついに分離やむなしと決断する。
そんな情勢を英国側、インド国民会議派(ネルー)、ムスリム同盟(ジンナー)、ガンディなどの立場を描き分けてゆく。ジンナーらが強硬で分離に至ったが、一千万以上の難民を生み、多くの人々が虐殺された。映画はそのような視点で描くが、パキスタンには違う視点もあるだろう。パキスタンでは上映禁止になったということだ。また英国が大戦中にジンナーの協力を得るために独立を認めていたという解釈を提示している。独立後のインド国民会議派政権がソ連寄りになったとしても、カラチ港を英国陣営で確保する目的もあったとする。必ずしも定説ではないらしいが。
監督はグリンダ・チャーダ(1960~)という女性監督。ケニアでシーク教徒の家庭に生まれ、イギリスで学んだ。2002年の「ベッカムに恋して」で知られる。女の子だけどサッカーがやりたいというインド系女子を描いた快作で、世界でヒットした。マウンドバッテン卿は「ダウントン・アビー」などに出ていたヒュー・ボネヴィル。その他インド、イギリスの俳優が出演している。なぜか全員が英語を話している映画じゃないのがいい。リーダー層はKing's English だが民衆は違う。
「パリは燃えているか?」で知られるノンフィクション作家、ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピェールによる「今夜、自由を」などが原作となっている。この本は以前ハヤカワ文庫に入っていて読んだことがあるが、すごい本だった。インドとパキスタンが別の国だというのは、今や自明の前提になってしまったから、知らない人もいるかもしれない。でも、これがどんな大きな悲劇を生んだかはもっと知られるべきだろう。現時点で考えると、イスラム教と政治をめぐって考えることも多い。