尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

2018年08月02日 21時02分52秒 | 映画 (新作日本映画)
 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という映画は公開が少ないので見てない人が多いと思うけど、最近出色の青春映画だ。もともとは漫画家の押見修造がウェブマガジンに発表したマンガ作品だという。僕はそれは知らなかったけど、「吃音症」という映画ではほとんど描かれなかった障害を真っ向から描いている。「百円の恋」の足立紳による脚本を、撮影監督やミュージックビデオに携わってきた湯浅弘章監督が初めての長編商業映画として製作した。

 海辺にある高校の教室、入学式も終わってクラスメートの自己紹介が始まっている。大島志乃は朝から自己紹介の言葉を練習していたけれど、やはり自分の番になると言葉がうまく出て来ない。(入学式直後なのに出席番号順に座ってないのはおかしいし、中学時代から続いているらしいのに担任が事前に知らないようなのもおかしい。学校映画につきもののおかしさがやはりある。)授業でも答えられないし、休み時間も会話できないから、当然友だちもできない。

 そんな志乃が同じように一人でいる岡崎加代と話すようになる。加代の家にも付いていくが、加代はギターを持っていた。歌を作ったり、詩を書いているらしい。ぜひ聞かせてということになるが、ギターはいいけど歌が音痴だった。中学時代もそれでいじめられていたようだ。そんな加代は、自分がギターを弾くから志乃が歌ってという。志乃は歌なら大丈夫なのか? 初めは心配だったけど、案外歌ならちゃんと言葉が出てくるのだった。加代は「しのかよ」と名前を付けて文化祭に出ようという。夏は「路上ライブ」をしてみようという。

 そこに鈴木という浮きまくっている男子生徒も絡んできて、青春のドラマはどうなるのか。果たして文化祭には出られるの? そこらへんの展開は多少類型的だけど、ラストの文化祭シーンは感動的だ。何とか一歩を踏み出したい志乃なんだけど、一体どうなるんだろうか? 僕もいろんな生徒を見てきたけど、このような「吃音」は体験しなかった。調べてみても、原因も治療法もよく判らないようだ。そもそも「病気」なのか「障害」なのかもはっきりしない。でも志乃は家では話せているし、歌も歌えてるから、教室という空間に関わる問題である。

 最近の話かと思っていたら、誰もスマホを持ってなくて、街頭の電話を使ってる。挿入歌で見る限り、20世紀末頃の設定か。二人が歌う曲は「あの素晴しい愛をもう一度」(1971、加藤和彦・北山修)、「翼をください」(1971、赤い鳥)、「世界の終わり」(1996、thee michelle gun elephant)、「青空」(1989、THE BLUE HEARTS)の4つ。「翼をください」なんか、最初が「赤い鳥」なんて言われても今じゃ判らないかもしれない。最初の2曲は、僕には「思い出のヒット曲」だけど、作中の二人には「合唱コンクールで歌う歌」という感じだと思う。何にせよ気持ちよさそうに歌ってる。

 大島志乃役は南沙良で、誰だと思ったら三島由紀子監督「幼なわれらに生まれ」で、上の連れ子をやってた。どうも嫌な役で忘れていたけど、2002年生まれというまさに高校一年生の年齢で、難役に挑んでいる。岡崎加代役は蒔田彩珠で、読み方は「まきた・あじゅ」で「三度目の殺人」で福山雅治の娘役だったというけど覚えてない。2002年生まれ。男子の鈴木は萩原利久(りく)で、そう言えば「あゝ、荒野」他最近の映画で時々見ている。ホントの若手だけを使って、学校をうまく描いた。吃音の映画でもあるが、歌う喜びの映画でもある。東京では新宿武蔵野館のみで上映中。
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