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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

革命なき日本史は誇りだろうか-麻生発言を考える②

2020年01月20日 21時04分03秒 | 政治
 「麻生発言」の続き。今度は天皇制認識の事実と価値観について。「2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝、126代の長きにわたって一つの王朝が続いているなんていう国」という点について。

 ちょっと「へえ」「ふーん」と思ってしまった。さすがに「2600年も続く」とは言わないんだ。麻生氏は1940年、まさに「皇紀2600年」の生まれだ。今年はもう2680年である。2700年の方が近いじゃないか。「126代」というから、神話上の神武天皇を認めているのである。それなのに、2000年って、どういう計算か? 無論のこと、2000年前、紀元前後はまだ弥生時代であって、国家成立以前である。
(講演会場の麻生氏)
 国家がないんだから天皇もいない。そもそも当初は「大王」(オホキミ)と呼ばれたが、その時代を含んでも到底2000年にはならない。どういう計算をしているのだろうか。
 その前後で歴史上確実とみなされている出来事は以下のようになる。
57  漢が奴国に金印を授ける
239 邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使いを送る
471 稲荷山古墳出土鉄剣の文字「辛亥」年
 最後の「稲荷山鉄剣」は、ワカタケル大王に仕えた「ヲワケの臣」が持ち帰った鉄剣に刻まれた銘文の年である。60年後の531年説もあるが、471年説が大勢だろう。熊本県の江田船山古墳出土の鉄刀の銘も「ワカタケル」と読めるとされる。「ワカタケル」は日本書紀の雄略天皇と考えられる。そこで、5世紀後半には「ヤマト政権」が関東から九州中部に支配を及ぼしていたとみなされる。

 当時の「ヤマト政権」がその後の「天皇制」と同じと見ていいのかは諸説ある。しかし、一応「ヤマト政権」の成立を以て「天皇の始まり」とするなら、一番長く取って「約1500年間」ぐらいとなるだろう。500年も違うと言えるが、それでも「四捨五入すれば2000年」とか言われてしまうか。「白髪三千丈」みたいな、長い時間の慣用句みたいなもんで、細かく歴史事実になんかこだわるなと言われると思う。しかし、それにしても当初の「ヤマト政権」は東北北部や南九州を支配していなかった

 では「長きにわたって一つの王朝」という方はどうだろうか。日本書紀の天皇系図では、確かに「男系」ですべてがつながっている。だが、特に初期の系図は相当に怪しい。特に「26代継体天皇」は日本書紀でも「応神天皇の5世の子孫」とされていて、それが本当だとしても「ほとんど他人」と言うべきだろう。当時の人々も「新王朝の始まり」と意識したはずだ。(天皇の代数は神話上の天皇を含んでいる数だが、他に数え方が存在しないので使うことにする。)

 さらにもっと前の「崇神王朝」「応神王朝」などが本当に「血縁関係でつながっているか」は不明と言うしかない。その後では、奈良時代末期に天武天皇系から天智天皇系への交替においては、特に桓武天皇は「新王朝」を意識していた可能性が高い。その後は「101代、称光天皇」から「102代、後花園天皇」、及び江戸時代の「118代、後桃園天皇」から「119代、光格天皇」は同じ皇族と言っても相当遠い相続である。前者は8親等、後者は7親等も違うので、現在ではほとんど親戚付き合いもないだろう。

 ところで「新王朝」とは何だろうか。中国あるいは朝鮮半島では、ある王朝が滅ぼされて、次の王朝が誕生する。そういう歴史が繰り返された。その意味では日本は天皇が続いたことになる。だがヨーロッパでは、フランスやイングランドの王権は「女系」で継いでいることがあり、そのような場合は「新王朝」と考えることがある。それに対し、日本では男系でつながっている場合はどんなに遠くても同じ系譜と考えることになっている。しかし、事実上相当遠い関係で継いで、自分でも新王朝の創始者と考えている場合は「新王朝」とみなすべきじゃないだろうか。

 ちょっと細かく歴史事実を書いてしまった。しかし、それ以上に重要なのは「価値判断」である。麻生氏は「一つの王朝が続いているなんていう国はここしかありませんから。いい国なんだなと。これに勝る証明があったら教えてくれと。ヨーロッパ人の人に言って誰一人反論する人はいません」と言う。なんで王朝が続いていると、それだけでいい国なんだろうか。ヨーロッパの人が反論しないのは、アホらしいから黙っているだけだろう。革命が起きて民主主義が発展して来た国に対して、「革命がないから素晴らしい」と言ってもバカにされるだけだ。

 確かにフランス革命は行き過ぎて流血の大惨事になった。だがその過程で「人権宣言」を生み出し、世界の歴史を変えた。日本人は天皇も将軍も、国民自らの手で打倒して民主主義を生み出した歴史を持たない。革命がなかったことは誇るべきことなんだろうか。天皇がずっと続いたからいい国だと言って、他の国には何の関係があるんだろうか。何も世界史に貢献してないじゃないか。自分の国しか見えてない「内向き史観」じゃないだろうか。「一つの王朝」を誇りにするのは「支配者史観」であって、民衆にはむしろ屈辱なんじゃないか。

 日本は確かに非ヨーロッパ世界で最初に産業革命に成功し、議会政治を取り入れた。それはもちろん評価すべきだが、残念なことにその「成功」を軍事力に向けて、無謀な侵略戦争を始めて自滅した。敗北の後に「国民主権」や「基本的人権の尊重」が実現した。日本にも民主主義や人権を求めて闘った人々は多数いる。そのことこそが誇るべきことであり、一つの王朝が続いたなどということは、むしろ残念というべきことだろう。
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