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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

工芸館、東京最後の展覧会

2020年01月23日 22時20分15秒 | アート
 東京・北の丸公園にある「国立近代美術館工芸館」で移転前最後の展覧会をやっている。案外報道も少なくて知らない人もいるかと思うが、2020年夏までに金沢に「日本工芸館」(仮称)が新設され、工芸館所属作品はほぼ移転される。本館から400mほど離れて、レンガ建築の美しい建物が見えてくる。ここが有名な「旧近衛師団司令部庁舎」である。重要文化財指定。
   
 1910年に建てられた煉瓦作り2階建てで、設計は陸軍技師・田村鎮(やすし)という人である。この人を検索しても、この庁舎のことしか出て来ない。明治末期に最精鋭部隊の庁舎を設計するんだから、それなりの実績があると思うけど。「近衛(このえ)師団」とは、もちろん天皇と宮城(今の呼び方では皇居)を守備する軍隊である。1945年8月15日未明、「日本のいちばん長い日」で知られた近衛第一師団長の殺害事件が起こった場所である。陸軍軍務課員らが森赳中将にポツダム宣言受諾を拒否して決起を迫ったが拒絶され殺害した。その後、師団長命令を偽造して玉音盤を奪おうとした。
  
 重文指定後に修復されて、1977年から近代美術館の分館の工芸館として使用されてきた。建物は裏までグルッと見られる。屋根の上に八角形の塔が乗っているのも面白い。まあ建物が移転されるわけじゃないから、今後も見られると期待したい。建物内部や作品の中も撮影可能なものが多いが、ほとんど撮らなかった。僕にはどこまでが「工芸」なのかよく判らない。陶芸、彫金、漆芸、木工、人形などは当然だが、今行われている「所蔵作品展 パッション20 今みておきたい工芸の想い」を見ると、あまりにも多彩な表現に驚いてしまう。まあ移転前に一度訪れておきたい場所だろう。
(パッション20のチラシ)(2階に置かれた黒田辰秋の机)
 建物の隣に銅像があった。誰だろうと思うと「北白川宮能久親王」だった。幕末に最後の「輪王寺宮」として東北に赴き、その後プロシアに留学して陸軍中将まで行った。日清戦争後に「台湾征討」に派遣されマラリアで陣没した。(没後、大将に昇進。)数奇な人生を送った人である。
  
 本館の「窓展」は先に見ていたので、工芸館から九段下へ歩くことにした。林間を通り、武道館の前を通って田安門に出る。1636年に作られたとされ、重要文化財。江戸城の門の一つで、元々その辺りが田安と呼ばれていたという。後に徳川御三卿の田安家の敷地となった。
  
 門から外へ出るとお堀越しに建て替え中の九段会館が遠望できる。1934年に竣工した「軍人会館」で、壮麗な「帝冠様式」で知られた。戦後は「九段会館」と改称し、いろいろな集会で利用された。僕も何度も行ってるが、1997年の「らい予防法廃止一周年記念集会」では自分が責任者として集会を開いた思い出がある。日本遺族会が運営していたのは知っていたが、大きくて行きやすいホールが空いてなかった。「3・11」で天井が崩壊して死者が出て、以後使用できなくなった。東急不動産が複合ビルに建て直す予定だそうだ。(最初の写真、画面左が昭和館。右が九段会館のズーム。)
 
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