テレホンカード・コレクション紹介の続き。「建造物編」ということで、お城やお寺、遺跡などのテレカを中心に。お城はともかく、お寺や神社でテレカを売ってるのかと思うかもしれないが、観光で行くようなところには大体あった。前回「私製テレカ」と書いたけれど、もともとは電電公社(日本電信電話公社、1986年に民営化され、NTT東日本、NTT西日本などに分割された)が発行した無地の「官製テレカ」があったのである。(もう私製テレカ製作サービスは終了した。)
このテレカが必需品だったのは、当時の公衆電話は100円玉にお釣りが出なかったからだ。最初は10円玉しか使えなかった。その後、100円玉が使えるようになったけどお釣りが出ない。トンデモ製品である。現在ではそんな電話機は存在を許されないのではないか。遠くに掛ける場合も多いが、やはり電話の相手は家族や会社などが多い。10円玉がいくつかあれば足りるけど、仕事の出先で掛ける人は大変だ。お釣りが出なくても100円玉を使える方が便利でもあったのである。そこがテレカなら心配なく使える。残額が少なくても2枚入れられるから心配なかった。
そんな話は止めてテレカの紹介。まずお城。姫路城がないのは行ってないんだから当然。でも松本城や小田原城、熊本城などがないのは、行ったのがテレカ収集以前だったりテレカ時代終了後だったりしたからだ。天守閣が現存している城は全国で12城(国宝5城)だが、まずは彦根城。ここは伊吹山に登った時に行ったので、山シリーズを書いたときに触れた。美しい城というだけでなく、当時は庭園内に宿泊できたので思い出深い。
(夏の彦根城)(冬の彦根城)
次に愛知県の犬山城。家老の成瀬家の所有で、国語教科書の編者として名前を知っていた成瀬正勝氏が個人で持っていたと知った時は驚いた。さすがに今はもう無理で、2004年に財団法人に移管されている。島根県の松江城は割と最近国宝に指定された。弘前城のテレカも持ってるんだけど、実は行ってないので省略。愛媛県の松山城、香川県の丸亀城はかつて四国を旅した時に行くつもりだったんだけど、夏があまりにも暑くて断念した。お城は広いから気力が萎えた。
(犬山城) (松江城)
日本のお城の大半は再建である。空襲で焼けたところも多いが、それ以上に維新後に取り壊された城が多かった。今では全国各地で再建され、本来は存在しなかった天守閣が作られている城さえある。戦国の覇者を輩出した東海地域のお城もずいぶん行っている。名古屋城や岡崎城も行ったけどテレカは持ってない。岐阜城は信長が攻略して「天下布武」に踏み出した。浜松城は家康がいた城。掛川城は山内一豊が築いたが、1994年に木造で再建されて有名になった。
(岐阜城)(浜松城)(掛川城)
全国的にも有名で美しいのは会津若松の通称「鶴ヶ城」だが、仕事で行ったことしかないので正直お城の印象がほとんどない。最後に珍しいところで、宮崎県の飫肥(おび)城。日南市にあって、武家屋敷もあって名物も多い興味深いところ。伊東氏で戦国から幕末まで続いた。
(鶴ヶ城)(鶴ヶ城)(飫肥城)
新幹線から見える広島県東部の福山城は空襲で焼けたところだが、広くて美しい城だ。水野家が作ったが、途中で阿部家となった。幕末の老中阿部正弘は福山藩主である。福山には中世に栄えて、その後洪水で滅んだ草戸千軒という町があった。発掘され中世都市の様子が判る貴重な遺跡となっている。福山の南に景勝地で知られた「鞆の浦」(とものうら)がある。江戸時代には朝鮮通信使が立ち寄った。このあたりを旅したのは懐かしい思い出だ。
(福山城)(草戸千軒)(鞆の浦)
お寺では長野県の別所温泉にある安楽寺の国宝、全国唯一の八角三重塔は非常に美しく、何度見ても飽きない。そこから北へ行った青木村にも国宝がある。大宝寺の三重塔は「見返りの塔」と呼ばれる。足の悪い犬がいたんだけど、いつの間にか見なくなった。
(安楽寺)(大法寺)
近江(滋賀県)も大好きで何回も行った。東部に「湖東三山」と呼ばれる三つの寺には、信長時代の攻撃を生き延びた国宝、重要文化財が残っている。特に秋の紅葉が見事なことで有名だ。
(西明寺)(金剛輪寺)(百済寺)
ついでに近江のテレカを少しまとめて。順番に竹生島(ちくぶしま)、旧長浜駅舎鉄道資料館、国友鉄砲の里資料館、長浜城である。長浜城は秀吉の「出世城」と呼ばれた。
各地を旅行しながら、有名な遺跡には寄っていた。90年代には縄文遺跡の発掘が続き、縄文のイメージが一新された。特に青森県の三内丸山遺跡は全国的に知られた。知名度は落ちるけれど、鹿児島県国分市(現霧島市)の上野原遺跡は「縄文は東日本」の常識を揺るがした。
(三内丸山)(上野原)
日本の旧石器時代研究の先駆けとなった群馬県の岩宿遺跡。テレカは「笠懸野岩宿文化資料館」のものだが、今は岩宿博物館というらしい。戦後すぐに発掘され、日本を代表する弥生時代の稲作遺跡とされた静岡県の登呂遺跡。そして、出雲で是非行きたかったのが銅剣358本が見つかって衝撃を与えた荒神谷(こうじんだに)遺跡。結構遠かったな。
(岩宿)(登呂)(荒神谷)
まだまだテレカを持ってるけど、終わらないから、珍しいものを少し。福島県会津で宿場町が昔のまま残る大内宿。中山道の妻籠(つまご)などと並び、一度は泊まってみたい。次に九州旅行で行った宮崎県の秘境、椎葉村。行くのも大変だった。まだ焼き畑をやっている。3枚目は熊本県にある石橋の通潤橋(つうじゅんきょう)。行ったときも放水していた。
(大内宿)(椎葉村)(通潤橋)
博物館、記念館では群馬県榛東村の「耳飾り館」、山形県の「紅花資料館」、宮城県の「吉野作造記念館」、北海道十勝の「忠類ナウマン象記念館」である。世の中にはいろんなところがある。僕もずいぶんいろいろ行っていたものだと思う。
このテレカが必需品だったのは、当時の公衆電話は100円玉にお釣りが出なかったからだ。最初は10円玉しか使えなかった。その後、100円玉が使えるようになったけどお釣りが出ない。トンデモ製品である。現在ではそんな電話機は存在を許されないのではないか。遠くに掛ける場合も多いが、やはり電話の相手は家族や会社などが多い。10円玉がいくつかあれば足りるけど、仕事の出先で掛ける人は大変だ。お釣りが出なくても100円玉を使える方が便利でもあったのである。そこがテレカなら心配なく使える。残額が少なくても2枚入れられるから心配なかった。
そんな話は止めてテレカの紹介。まずお城。姫路城がないのは行ってないんだから当然。でも松本城や小田原城、熊本城などがないのは、行ったのがテレカ収集以前だったりテレカ時代終了後だったりしたからだ。天守閣が現存している城は全国で12城(国宝5城)だが、まずは彦根城。ここは伊吹山に登った時に行ったので、山シリーズを書いたときに触れた。美しい城というだけでなく、当時は庭園内に宿泊できたので思い出深い。
(夏の彦根城)(冬の彦根城)
次に愛知県の犬山城。家老の成瀬家の所有で、国語教科書の編者として名前を知っていた成瀬正勝氏が個人で持っていたと知った時は驚いた。さすがに今はもう無理で、2004年に財団法人に移管されている。島根県の松江城は割と最近国宝に指定された。弘前城のテレカも持ってるんだけど、実は行ってないので省略。愛媛県の松山城、香川県の丸亀城はかつて四国を旅した時に行くつもりだったんだけど、夏があまりにも暑くて断念した。お城は広いから気力が萎えた。
(犬山城) (松江城)
日本のお城の大半は再建である。空襲で焼けたところも多いが、それ以上に維新後に取り壊された城が多かった。今では全国各地で再建され、本来は存在しなかった天守閣が作られている城さえある。戦国の覇者を輩出した東海地域のお城もずいぶん行っている。名古屋城や岡崎城も行ったけどテレカは持ってない。岐阜城は信長が攻略して「天下布武」に踏み出した。浜松城は家康がいた城。掛川城は山内一豊が築いたが、1994年に木造で再建されて有名になった。
(岐阜城)(浜松城)(掛川城)
全国的にも有名で美しいのは会津若松の通称「鶴ヶ城」だが、仕事で行ったことしかないので正直お城の印象がほとんどない。最後に珍しいところで、宮崎県の飫肥(おび)城。日南市にあって、武家屋敷もあって名物も多い興味深いところ。伊東氏で戦国から幕末まで続いた。
(鶴ヶ城)(鶴ヶ城)(飫肥城)
新幹線から見える広島県東部の福山城は空襲で焼けたところだが、広くて美しい城だ。水野家が作ったが、途中で阿部家となった。幕末の老中阿部正弘は福山藩主である。福山には中世に栄えて、その後洪水で滅んだ草戸千軒という町があった。発掘され中世都市の様子が判る貴重な遺跡となっている。福山の南に景勝地で知られた「鞆の浦」(とものうら)がある。江戸時代には朝鮮通信使が立ち寄った。このあたりを旅したのは懐かしい思い出だ。
(福山城)(草戸千軒)(鞆の浦)
お寺では長野県の別所温泉にある安楽寺の国宝、全国唯一の八角三重塔は非常に美しく、何度見ても飽きない。そこから北へ行った青木村にも国宝がある。大宝寺の三重塔は「見返りの塔」と呼ばれる。足の悪い犬がいたんだけど、いつの間にか見なくなった。
(安楽寺)(大法寺)
近江(滋賀県)も大好きで何回も行った。東部に「湖東三山」と呼ばれる三つの寺には、信長時代の攻撃を生き延びた国宝、重要文化財が残っている。特に秋の紅葉が見事なことで有名だ。
(西明寺)(金剛輪寺)(百済寺)
ついでに近江のテレカを少しまとめて。順番に竹生島(ちくぶしま)、旧長浜駅舎鉄道資料館、国友鉄砲の里資料館、長浜城である。長浜城は秀吉の「出世城」と呼ばれた。
各地を旅行しながら、有名な遺跡には寄っていた。90年代には縄文遺跡の発掘が続き、縄文のイメージが一新された。特に青森県の三内丸山遺跡は全国的に知られた。知名度は落ちるけれど、鹿児島県国分市(現霧島市)の上野原遺跡は「縄文は東日本」の常識を揺るがした。
(三内丸山)(上野原)
日本の旧石器時代研究の先駆けとなった群馬県の岩宿遺跡。テレカは「笠懸野岩宿文化資料館」のものだが、今は岩宿博物館というらしい。戦後すぐに発掘され、日本を代表する弥生時代の稲作遺跡とされた静岡県の登呂遺跡。そして、出雲で是非行きたかったのが銅剣358本が見つかって衝撃を与えた荒神谷(こうじんだに)遺跡。結構遠かったな。
(岩宿)(登呂)(荒神谷)
まだまだテレカを持ってるけど、終わらないから、珍しいものを少し。福島県会津で宿場町が昔のまま残る大内宿。中山道の妻籠(つまご)などと並び、一度は泊まってみたい。次に九州旅行で行った宮崎県の秘境、椎葉村。行くのも大変だった。まだ焼き畑をやっている。3枚目は熊本県にある石橋の通潤橋(つうじゅんきょう)。行ったときも放水していた。
(大内宿)(椎葉村)(通潤橋)
博物館、記念館では群馬県榛東村の「耳飾り館」、山形県の「紅花資料館」、宮城県の「吉野作造記念館」、北海道十勝の「忠類ナウマン象記念館」である。世の中にはいろんなところがある。僕もずいぶんいろいろ行っていたものだと思う。