時代小説作家、澤田瞳子(さわだ・とうこ)の「火定」(かじょう)を読んだ。2017年に刊行され、第158回の直木賞候補に選ばれた。その当時に評判だったので、前から読みたいと思っていた。2020年11月にPHP文芸文庫に収録されたので、この機会に読んでみることにした。これは天平(奈良時代)に日本を襲った有名な天然痘大流行に材を取った小説である。まさか著者も刊行数年後に世界をリアルな感染症大流行が襲うとは思いもしなかったに違いない。

時は天平9年、西暦737年に平城京で天然痘が大流行した。729年の「長屋王の変」の後、政界の中心にいた藤原四兄弟、藤原不比等の子どもの武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂が相次いで亡くなったことで知られる。「火定」はこの大災厄をめぐる大混乱と悲劇をあますところなく描き尽くしている。尽くしすぎて気持ち悪い箇所も多いけれど、今の世界を考えるヒントとしても書いておきたいと思う。
聖武天皇の皇后である光明皇后は藤原不比等の娘で、皇族以外で初めて皇后になった。730年に皇后の願によって、都には「悲田院」「施薬院」という福祉施設が作られた。「悲田院」は貧困者や孤児の救済施設、「施薬院」は貧しい病者のための医療施設である。主人公は施薬院で働く若い下級官僚の蜂田名代(はちだのなしろ)という架空の人物で、21歳の彼は医者に関心は無い。もっと重要な中央官庁に配属されたいと不満たらたらである。皇后による設立と言っても、律令に書かれていない「令外官」(りょうげのかん)なので何かと冷遇されているのだ。
もう一人の主人公と言えるのが、猪名部師男(いなべのもろお)という元・侍医。身分は高くないものの真面目に勤めて、天皇の診療にあたる侍医の一人にまでなっている。しかし、ある日全く思いもよらぬ罪に落とされて、終身徒刑を宣告され監獄に入れられる。ここの描写もすごくて、奈良時代の監獄に「人権尊重」があるわけないけれど、いくら何でも読んでて気持ち悪いぐらい。そんな先行きのない諸男だったが、ある日突然恩赦で赦免される。その後、いろんな人材を求めてる藤原房前に何故か召し抱えられている。
(澤田瞳子)
小説はこの二人を交互に描いていく。冒頭は「遣新羅使」の持ち帰った品の払い下げの場である。ここで名代と諸男は相知らぬままに出会っている。そして二人のその後を追うことで、この大災厄の実情が明かされていく。どうしようもない(当時としては)状況の中で、人々は怪しげな呪いに頼り、また疫病をもたらした外国への憎悪が広がる。実際にこの大流行は「遣新羅使」がもたらしたものと思われている。半島との交流は日常的にあり、九州では早く流行していたと言われるが、それが都に入り込んだのは使節の往来が関係していたのかもしれない。
澤田瞳子は「火定」以前に「若冲」、以後に「落花」という小説が直木賞候補に選ばれているが、まだ受賞していない。「火定」の時は、藤崎沙織「ふたご」が話題になっていたが、受賞は門井慶喜「銀河鉄道の父」だった。僕も「火定」のラスト近くの展開はありきたりで、人間描写に弱さは感じた。多分こうなるだろうなあという風に「予定調和」してしまうのはどうなのか。しかし、それは別にして、大流行を利用して儲けようとする人、憎しみを外部に向ける人々、民衆の苦しみに無関心な上層部、ひたすら目の前の出来事に対応する「現場」の人々など、いかにも現代世界を見る思いがする。グロテスクなホラー描写もすさまじい。

時は天平9年、西暦737年に平城京で天然痘が大流行した。729年の「長屋王の変」の後、政界の中心にいた藤原四兄弟、藤原不比等の子どもの武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂が相次いで亡くなったことで知られる。「火定」はこの大災厄をめぐる大混乱と悲劇をあますところなく描き尽くしている。尽くしすぎて気持ち悪い箇所も多いけれど、今の世界を考えるヒントとしても書いておきたいと思う。
聖武天皇の皇后である光明皇后は藤原不比等の娘で、皇族以外で初めて皇后になった。730年に皇后の願によって、都には「悲田院」「施薬院」という福祉施設が作られた。「悲田院」は貧困者や孤児の救済施設、「施薬院」は貧しい病者のための医療施設である。主人公は施薬院で働く若い下級官僚の蜂田名代(はちだのなしろ)という架空の人物で、21歳の彼は医者に関心は無い。もっと重要な中央官庁に配属されたいと不満たらたらである。皇后による設立と言っても、律令に書かれていない「令外官」(りょうげのかん)なので何かと冷遇されているのだ。
もう一人の主人公と言えるのが、猪名部師男(いなべのもろお)という元・侍医。身分は高くないものの真面目に勤めて、天皇の診療にあたる侍医の一人にまでなっている。しかし、ある日全く思いもよらぬ罪に落とされて、終身徒刑を宣告され監獄に入れられる。ここの描写もすごくて、奈良時代の監獄に「人権尊重」があるわけないけれど、いくら何でも読んでて気持ち悪いぐらい。そんな先行きのない諸男だったが、ある日突然恩赦で赦免される。その後、いろんな人材を求めてる藤原房前に何故か召し抱えられている。

小説はこの二人を交互に描いていく。冒頭は「遣新羅使」の持ち帰った品の払い下げの場である。ここで名代と諸男は相知らぬままに出会っている。そして二人のその後を追うことで、この大災厄の実情が明かされていく。どうしようもない(当時としては)状況の中で、人々は怪しげな呪いに頼り、また疫病をもたらした外国への憎悪が広がる。実際にこの大流行は「遣新羅使」がもたらしたものと思われている。半島との交流は日常的にあり、九州では早く流行していたと言われるが、それが都に入り込んだのは使節の往来が関係していたのかもしれない。
澤田瞳子は「火定」以前に「若冲」、以後に「落花」という小説が直木賞候補に選ばれているが、まだ受賞していない。「火定」の時は、藤崎沙織「ふたご」が話題になっていたが、受賞は門井慶喜「銀河鉄道の父」だった。僕も「火定」のラスト近くの展開はありきたりで、人間描写に弱さは感じた。多分こうなるだろうなあという風に「予定調和」してしまうのはどうなのか。しかし、それは別にして、大流行を利用して儲けようとする人、憎しみを外部に向ける人々、民衆の苦しみに無関心な上層部、ひたすら目の前の出来事に対応する「現場」の人々など、いかにも現代世界を見る思いがする。グロテスクなホラー描写もすさまじい。