2020年8月25日、WHO(世界保健機関)はポリオをアフリカで「根絶」したと発表した。後で触れるようにアジアにまだ2ヶ国が残っている。しかし、WHOが提唱し継続して取り組んできた「ポリオ根絶計画」は、時間は掛かりながらも成果を挙げつつある。ちょうどその頃は、アメリカのトランプ政権が「WHOは中国寄り」だとして脱退を通告していた時期だった。しかし、WHOは新型コロナウイルスだけではなく、世界で大切な取り組みをいくつも行っている。大国が勝手に抜けてしまうなど許されることではない。バイデン政権になって、脱退が中止されて良かった。

「ポリオ」と書いたけれど、日本では「小児麻痺」(しょうにまひ)として知っている人が多いだろう。病名としては「急性灰白髄炎」というらしい。ウィルス性感染症で、英語名のpoliomyelitisから「ポリオ」と呼ばれている。子どもだけでなく大人もかかるし、症状も多様であるようだ。必ず「麻痺」が起こるわけではなく、むしろ麻痺性のものはほんのわずかだという。しかし、後遺症が残って治らないので怖い病気だった。かつては時々流行する病気で、日本では1960年に大流行があった。同級生に下肢の麻痺した友人がいたので、僕にとっても忘れられない病気である。
(ポリオ根絶に向けた歩み)
今までに根絶された感染症としては「天然痘」(てんねんとう)がある。人類初の予防接種である「種痘」(しゅとう)は天然痘に対するものだった。天然痘は致死率が高く(ウィキペディアには20~50%と出ている)、非常に恐れられてきた。生き残っても顔にあばたが残るなどの後遺症がある。日本では奈良時代に藤原不比等の息子4兄弟が立て続けに死んだ大流行があった。また「独眼竜」伊達政宗が片目を失ったのも天然痘だと言われる。僕は子どもの頃に種痘を打った世代(1970年代初期に終わった)だが、もう天然痘という病気は歴史の中でしか知らない。
この恐るべき病気に対して、WHOを中心にして根絶計画が進められ、1980年に「天然痘根絶宣言」が出されたことをどれだけの人が知っているだろうか。70年代初期に西アフリカや南米で根絶され、1975年のバングラデシュでの発症がアジア最後となった。アフリカのエチオピアとソマリアが残ったが、1977年にソマリア人青年が発病したものが自然感染の最後である。3年経過して、他に発病が見られなかったので「根絶宣言」となった。しかし、現在でも生物兵器に使われた場合などを想定し、実験室レベルでは天然痘ウイルスを多くの国が保管していると言われる。
この天然痘根絶は人類史上に残る画期的な成果だ。それに続いて、今はポリオ根絶が近づいている。日本では1981年以後に自然感染が報告されておらず、2000年に根絶宣言をした。しかし、生ワクチン接種による発病はわずかだが起こってきた。1960年の大流行時には政治的にも大問題となり、ソ連製の生ワクチンを緊急輸入することになった。これは当時NHK記者だった上田哲(後に参議院議員、衆議院議員となった)を中心としたキャンペーン報道の影響が大きかった。松山善三監督による映画「われ一粒の麦なれど」(1964)はこの問題をテーマにしている。映画でも生ワクチンによる発病可能性を厳しく問う患者が描かれている。

アフリカ最後のポリオ感染国だったのはナイジェリアだった。これでアジアでパキスタン、アフガニスタンの2ヶ国だけに「自然感染」が残ることになった。では根絶間近かと言えば、この2ヶ国の状況を考えれば難しさを感じる。特にアフガニスタンは政府の統治が行き渡っているとは言いがたい。それにタリバンなどのイスラム教保守派はワクチン接種に否定的な場合も多いのではないか。医師団などが村々を回ることさえ出来ないかもしれない。それでも日本政府もパキスタンへの協力を行っている。ポリオ根絶に成果があれば、パキスタン政府に代わってビル&メリンダ・ゲイツ財団が日本への債務返済を肩代わりするというものらしい。なかなか面白い発想だなと思う。一日も早い根絶に向けてもう一段の努力が望まれる。

「ポリオ」と書いたけれど、日本では「小児麻痺」(しょうにまひ)として知っている人が多いだろう。病名としては「急性灰白髄炎」というらしい。ウィルス性感染症で、英語名のpoliomyelitisから「ポリオ」と呼ばれている。子どもだけでなく大人もかかるし、症状も多様であるようだ。必ず「麻痺」が起こるわけではなく、むしろ麻痺性のものはほんのわずかだという。しかし、後遺症が残って治らないので怖い病気だった。かつては時々流行する病気で、日本では1960年に大流行があった。同級生に下肢の麻痺した友人がいたので、僕にとっても忘れられない病気である。

今までに根絶された感染症としては「天然痘」(てんねんとう)がある。人類初の予防接種である「種痘」(しゅとう)は天然痘に対するものだった。天然痘は致死率が高く(ウィキペディアには20~50%と出ている)、非常に恐れられてきた。生き残っても顔にあばたが残るなどの後遺症がある。日本では奈良時代に藤原不比等の息子4兄弟が立て続けに死んだ大流行があった。また「独眼竜」伊達政宗が片目を失ったのも天然痘だと言われる。僕は子どもの頃に種痘を打った世代(1970年代初期に終わった)だが、もう天然痘という病気は歴史の中でしか知らない。
この恐るべき病気に対して、WHOを中心にして根絶計画が進められ、1980年に「天然痘根絶宣言」が出されたことをどれだけの人が知っているだろうか。70年代初期に西アフリカや南米で根絶され、1975年のバングラデシュでの発症がアジア最後となった。アフリカのエチオピアとソマリアが残ったが、1977年にソマリア人青年が発病したものが自然感染の最後である。3年経過して、他に発病が見られなかったので「根絶宣言」となった。しかし、現在でも生物兵器に使われた場合などを想定し、実験室レベルでは天然痘ウイルスを多くの国が保管していると言われる。
この天然痘根絶は人類史上に残る画期的な成果だ。それに続いて、今はポリオ根絶が近づいている。日本では1981年以後に自然感染が報告されておらず、2000年に根絶宣言をした。しかし、生ワクチン接種による発病はわずかだが起こってきた。1960年の大流行時には政治的にも大問題となり、ソ連製の生ワクチンを緊急輸入することになった。これは当時NHK記者だった上田哲(後に参議院議員、衆議院議員となった)を中心としたキャンペーン報道の影響が大きかった。松山善三監督による映画「われ一粒の麦なれど」(1964)はこの問題をテーマにしている。映画でも生ワクチンによる発病可能性を厳しく問う患者が描かれている。

アフリカ最後のポリオ感染国だったのはナイジェリアだった。これでアジアでパキスタン、アフガニスタンの2ヶ国だけに「自然感染」が残ることになった。では根絶間近かと言えば、この2ヶ国の状況を考えれば難しさを感じる。特にアフガニスタンは政府の統治が行き渡っているとは言いがたい。それにタリバンなどのイスラム教保守派はワクチン接種に否定的な場合も多いのではないか。医師団などが村々を回ることさえ出来ないかもしれない。それでも日本政府もパキスタンへの協力を行っている。ポリオ根絶に成果があれば、パキスタン政府に代わってビル&メリンダ・ゲイツ財団が日本への債務返済を肩代わりするというものらしい。なかなか面白い発想だなと思う。一日も早い根絶に向けてもう一段の努力が望まれる。