昨年来、開高健(1930~1989)を読み直している。読み方は正式には「かいこう・たけし」だが、大方の人は「かいこう・けん」と読んでいた。2020年は開高健の生誕90年だった。あまりにも早過ぎた急逝にビックリしてから早くも30年以上経った。今もなお開高作品は新しく文庫に入ったりする。そうすると買ってしまうのである。開高健は存命中に大体の本を読んでいたから、そんなに読まなくてもいいはずなんだけど。今回少し読み直して感じたことを記録しておきたいと思う。
開高健は小説に加えて、ぼうだいなエッセイやルポを残した。早過ぎた晩年には「オーパ!」などの大評判になった海外フィッシング紀行を書いた。60年代にはヴェトナム戦争に従軍し、「ベトナム戦記」を書いた。1957年に「裸の王様」で芥川賞を取る前から、サントリー(寿屋)の宣伝部に勤めていた。その関係は以後もずっと続き、テレビでサントリーのCMに出ていたから、多くの人が開高の名前を知っていた。戦争や釣りで海外に出かける「行動派」の作家と当時は思われていたと思う。日本のヘミングウェイのように思われていたのである。
しかし、少し小説を読めば作家が深いウツ状態を繰り返す悩みが読み取れる。本人はそれを「滅形」(めつけい)と読んでいた。(もともとは梶井基次郎の言葉だという。)開高健はその中でも、自らを奮い立たせるように社会を見てルポを書き、外国へも出掛けた。まだ日本人が自由に海外旅行が出来ない時代(外貨管理の問題から、1964年まで日本人は自由に外国へ行けなかった)に、新聞社の特派員としてイスラエルのアイヒマン裁判を傍聴し、ヴェトナム戦争に従軍した。また作家の代表団の一員として「社会主義圏」の中国やソ連にも出掛け、ポーランドでアウシュヴィッツへも行った。これほど海外を駆け回った文学者は他にいないだろう。
(「魚の水(ニョクマム)はおいしい」)
2020年10月に「魚の水(ニョクマム)はおいしい」が河出文庫から刊行された。これは文庫オリジナルの「食と酒エッセイ厳選39篇」である。ニョクマムはヴェトナムの魚醤で、日本の「しょっつる」のような調味料だというのは、今では大体の人が知っているだろう。しかし、70年代は日本でようやく「ハンバーガー」や「ピザ」が食べられ始めた頃で、東南アジアの料理なんか知らなかった。(インドネシア料理の「インドネシア・ラヤ」という店はあったが。2008年閉店。)
日本人の多くはヴェトナムは戦争とクーデターばかりの国と思っていただろう。しかし、ヴェトナムは中国とフランスという世界2大美食民族に支配された歴史があるから、奥深い食文化を持っている。当時は多くの人がヴェトナムへ行って戦争のルポを書いたが(もちろん開高健もたくさん書いた)、ニョクマムはフークォック島産に限るなんて話は他の人は書かなかった。フークォック島というのは、ほとんどカンボジア領にはみ出ているような島で、後に傑作短編「貝塚をつくる」に出て来る。開高健の「食レポ」は「味覚」はもちろん「嗅覚」の世界を書き綴っている。争乱のサイゴンは美しくない面も多かったが、それでも開高健が魅せられた何かがあった。
開高健のエッセイが注目されたのは、2018年の小玉武編「開高健ベストエッセイ」(ちくま文庫)の力が大きいと思う。好評だったとみえて翌年に「葡萄酒色の夜明け (続)開高健ベストエッセイ」も出た。編者の小玉武氏はサントリー宣伝部で開高の後輩だった人で、その後もずっと関わりがあった。2017年には「評伝開高健」も書いている。「開高健ベストエッセイ」は満遍なく開高の世界が抽出されている。そうすると当たり前のことながら、開高健はヴェトナムと釣りと美食だけの作家ではないことがよく判る。
生まれ育った大阪のこと、焼け跡時代を生き抜いた苦難の青春時代、文学への目覚めなどを読むと、開高健が戦後日本を生きた作家だということがよく判る。社会派でもあるし、文学論議も多い。今になると少し読みにくいところも多い。話題が古くなってしまったものも多い。アルジェリア問題はもちろん、ヴェトナム戦争だって知らない人も多いだろう。開高健は大江健三郎とともにサルトルに会いに行き、その前日に反右翼デモ(当時はアルジェリア独立問題で右翼のOASがテロを起こしていた)に巻き込まれてもいる。時代を感じさせるところも多い。
続編の冒頭では、没後に見つかった若き日の手紙が収録されている。埴谷雄高、中村光夫、広津和郎の3人宛てで、こういう「何者でもなかった」日々をよく示している。エッセイというより「文芸評論」に近いもの、あるいは当時有名になった東京ルポなども入っている。池袋にあった「マンモス・プール」を読むと、いかにも「高度成長時代」を思い出させる。僕はそのプールを知らなかった(自宅の近くに「東京マリン」という大プールがあったから、他のプールは知らないのである。)池袋の大プールも1993年に閉鎖され、豊島清掃工場になっている。「ずばり東京」など当時人気があったルポだというが、そこには今はもう失われた東京が封印されている。
開高健を今どう評価するかは、今後書いていく。だがエッセイなんかすぐ読めると思って取り組んだ割には、けっこう長く掛かった。今の作家の文章はもっとライトで、サクサク読み進めるなと思った。僕は小説も好きだが、「オーパ!」などの写真付釣り紀行を愛読した思い出がある。とにかく豪快で面白いのである。そういう印象があったので、久しぶりに読んだ開高健はずいぶん昔の文学者だったのかと実感した。「今日から見ると不適切な表現」がずいぶんあったのもビックリ。特にハンセン病(らい病)を「悪いもののたとえ」に使う表現に何回か出会った。まだ問題意識が全くなかった時代だったのである。
開高健は小説に加えて、ぼうだいなエッセイやルポを残した。早過ぎた晩年には「オーパ!」などの大評判になった海外フィッシング紀行を書いた。60年代にはヴェトナム戦争に従軍し、「ベトナム戦記」を書いた。1957年に「裸の王様」で芥川賞を取る前から、サントリー(寿屋)の宣伝部に勤めていた。その関係は以後もずっと続き、テレビでサントリーのCMに出ていたから、多くの人が開高の名前を知っていた。戦争や釣りで海外に出かける「行動派」の作家と当時は思われていたと思う。日本のヘミングウェイのように思われていたのである。
しかし、少し小説を読めば作家が深いウツ状態を繰り返す悩みが読み取れる。本人はそれを「滅形」(めつけい)と読んでいた。(もともとは梶井基次郎の言葉だという。)開高健はその中でも、自らを奮い立たせるように社会を見てルポを書き、外国へも出掛けた。まだ日本人が自由に海外旅行が出来ない時代(外貨管理の問題から、1964年まで日本人は自由に外国へ行けなかった)に、新聞社の特派員としてイスラエルのアイヒマン裁判を傍聴し、ヴェトナム戦争に従軍した。また作家の代表団の一員として「社会主義圏」の中国やソ連にも出掛け、ポーランドでアウシュヴィッツへも行った。これほど海外を駆け回った文学者は他にいないだろう。
(「魚の水(ニョクマム)はおいしい」)
2020年10月に「魚の水(ニョクマム)はおいしい」が河出文庫から刊行された。これは文庫オリジナルの「食と酒エッセイ厳選39篇」である。ニョクマムはヴェトナムの魚醤で、日本の「しょっつる」のような調味料だというのは、今では大体の人が知っているだろう。しかし、70年代は日本でようやく「ハンバーガー」や「ピザ」が食べられ始めた頃で、東南アジアの料理なんか知らなかった。(インドネシア料理の「インドネシア・ラヤ」という店はあったが。2008年閉店。)
日本人の多くはヴェトナムは戦争とクーデターばかりの国と思っていただろう。しかし、ヴェトナムは中国とフランスという世界2大美食民族に支配された歴史があるから、奥深い食文化を持っている。当時は多くの人がヴェトナムへ行って戦争のルポを書いたが(もちろん開高健もたくさん書いた)、ニョクマムはフークォック島産に限るなんて話は他の人は書かなかった。フークォック島というのは、ほとんどカンボジア領にはみ出ているような島で、後に傑作短編「貝塚をつくる」に出て来る。開高健の「食レポ」は「味覚」はもちろん「嗅覚」の世界を書き綴っている。争乱のサイゴンは美しくない面も多かったが、それでも開高健が魅せられた何かがあった。
開高健のエッセイが注目されたのは、2018年の小玉武編「開高健ベストエッセイ」(ちくま文庫)の力が大きいと思う。好評だったとみえて翌年に「葡萄酒色の夜明け (続)開高健ベストエッセイ」も出た。編者の小玉武氏はサントリー宣伝部で開高の後輩だった人で、その後もずっと関わりがあった。2017年には「評伝開高健」も書いている。「開高健ベストエッセイ」は満遍なく開高の世界が抽出されている。そうすると当たり前のことながら、開高健はヴェトナムと釣りと美食だけの作家ではないことがよく判る。
生まれ育った大阪のこと、焼け跡時代を生き抜いた苦難の青春時代、文学への目覚めなどを読むと、開高健が戦後日本を生きた作家だということがよく判る。社会派でもあるし、文学論議も多い。今になると少し読みにくいところも多い。話題が古くなってしまったものも多い。アルジェリア問題はもちろん、ヴェトナム戦争だって知らない人も多いだろう。開高健は大江健三郎とともにサルトルに会いに行き、その前日に反右翼デモ(当時はアルジェリア独立問題で右翼のOASがテロを起こしていた)に巻き込まれてもいる。時代を感じさせるところも多い。
続編の冒頭では、没後に見つかった若き日の手紙が収録されている。埴谷雄高、中村光夫、広津和郎の3人宛てで、こういう「何者でもなかった」日々をよく示している。エッセイというより「文芸評論」に近いもの、あるいは当時有名になった東京ルポなども入っている。池袋にあった「マンモス・プール」を読むと、いかにも「高度成長時代」を思い出させる。僕はそのプールを知らなかった(自宅の近くに「東京マリン」という大プールがあったから、他のプールは知らないのである。)池袋の大プールも1993年に閉鎖され、豊島清掃工場になっている。「ずばり東京」など当時人気があったルポだというが、そこには今はもう失われた東京が封印されている。
開高健を今どう評価するかは、今後書いていく。だがエッセイなんかすぐ読めると思って取り組んだ割には、けっこう長く掛かった。今の作家の文章はもっとライトで、サクサク読み進めるなと思った。僕は小説も好きだが、「オーパ!」などの写真付釣り紀行を愛読した思い出がある。とにかく豪快で面白いのである。そういう印象があったので、久しぶりに読んだ開高健はずいぶん昔の文学者だったのかと実感した。「今日から見ると不適切な表現」がずいぶんあったのもビックリ。特にハンセン病(らい病)を「悪いもののたとえ」に使う表現に何回か出会った。まだ問題意識が全くなかった時代だったのである。