尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

多和田葉子の小説を読む

2019年12月15日 22時34分21秒 | 本 (日本文学)
 11月18日に多和田葉子、高瀬アキの「晩秋のカバレット2019」というのに行った話を前に書いた。『多和田葉子、高瀬アキの「晩秋のカバレット2019」』(2019.11.20)だが、その頃に多和田葉子の本も読んでみた。実は何冊か持っていたのである。聞きに行く前に片付けるつもりが案外時間が掛かった。パスしてもいいかなと思ったけど、あまりに不思議な世界だから紹介しておきたい。

 多和田葉子(1986~)は東京生まれで早稲田大学を出た時の専攻はロシア文学だった。その後ハンブルクの書籍取次会社に入社し、1986年からハンブルクに在住し、その間にハンブルク大学大学院の修士課程を終えた。2006年からベルリンへ移り、30年以上ドイツに住んでいる。永住権も持っていて、ドイツ語でも創作活動を行っている。日本人作家としては非常に珍しい存在だとと言える。

 1993年に「犬婿入り」で芥川賞を受賞。その後、泉鏡花賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞、読売文学賞など日本の主要な文学賞を次々と受賞。そればかりか、シャミッソー賞クライスト賞など、どういう賞か知らないけれどドイツの文学賞も受けた。その後「献灯使」が全米図書賞翻訳部門を受けるに至って世界的な名声を得ることになった。今最注目の作家の一人と目されている。

 今まで読んでいたのは「犬婿入り」(講談社文庫)だけだが、これが面白かったのでその後も何冊か文庫本を買っていた。でも内容をすっかり忘れているので、探し出して再読してみた。どうも不思議で変な話なんだけど、リズム的にスラスラ読めて面白い。普通のリアリズムみたいに始まって、奇譚になってゆく。芥川賞受賞者で多和田葉子の前後には、辻原登小川洋子辺見庸奥泉光笙野頼子保坂和志川上弘美目取真俊など現代日本文学を支える作家が集中している。僕もよく読む作家が多いが、新人賞である芥川賞受賞作の完成度ではベストレベルじゃないかと思う。
 
 今回は続いて「聖女伝説」(1996,ちくま文庫)、「尼僧とキューピッドの弓」(2010、講談社文庫、紫式部賞)、「雪の練習生」(2011、新潮文庫、野間文芸賞)、「献灯使」(2014、講談社文庫)と読んだ。前の2作は僕にはよく判らなかったので省略。というか後の2作もよく判らないんだけど、その判らなさがぶっ飛んでいるので、そこに関して書いておきたい。まず「献灯使」だけど、これは言うまでもなく大昔の「遣唐使」のもじりだ。多和田文学には「言葉遊び」が非常に多いが、単なるダジャレじゃなくてもっと切実な使われ方をしていることが多い。

 2011年の大震災に続き、数年後に日本は再び大地震に襲われ再び大規模な原発事故も起きる。日本はほとんど壊滅し、政府も「民営化」されてしまい、「鎖国」状態になる。日本から外国へ行く飛行機や船は途絶し、外国からも来れない状態が長い。東京も人が住めなくなり「23区」は無人状態。そんな「近未来」に生きる人々を描くのが「献灯使」で、その意味は小説内に説明がある。その世界では何故か生まれる子どもが虚弱化し、一方で老人が逆に元気になる。だから100歳を越えても死ねない老人が、弱っちいひ孫の面倒を見ている。家族は崩壊していて、娘は食料が豊富だという沖縄へ移住したが、その後沖縄とも交通が途絶しているから会えない。

 そんなバカなという感じだが、そういう「逆転世界」を描く「ディストピア(反ユートピア)小説」はかなり多い。この小説のアイディアは、放射性物質の特性に関しては無理筋だろう。放射性物質が大量に放出されて人々の体質を変えてしまうというわけだ。だが、それほどの大量被ばくがあっても、放射性物質の性格上、影響はアトランダムになるはずで、その影響は体力がすでに弱い老人から現れるだろう。子どもは弱くなり、老人は強くなるなんて、そんな放射線の影響は考えられないが、それを言ったら多くの小説は成り立たない。そんな「奇想」を思いっきり広げた小説で、ベースにある人間社会に対するペシミズム(悲観主義)が今は人々を引きつけるのだ。

 続いて「雪の練習生」だが、これは僕は今までに読んだ数多くの小説の中でも、飛び切り変テコな設定の小説だ。それでもスイスイ読ませる筆力は確かで、間違いない傑作。これは恐らくは世界に一つしかない「シロクマ」の3代にわたる自伝である。シロクマをめぐって人間が書いているんじゃなくて、シロクマ自身が書いている。まあシロクマ自身が書けるわけないから、多和田葉子が成り代わって書いてるわけだが、そんな変な小説がこの世にあったのか。

 最初はソ連にいたシロクマ「わたし」で、サーカスの花形から転じて作家となった。いや、シロクマが会議に出たり、文章を書くという世界なのである。そして娘の「トスカ」、その息子の「クヌート」と話は続いてゆく。これは何なんだ。ソ連や東ドイツの「社会主義体制」に対する風刺なんだろうか。そういう側面もあるだろうが、それ以上に「動物から見た人間社会」の風刺的面白さだろう。動物文学は多いけど、大体は人間が動物を書いている。動物が人間を書いているのは、この小説の他に読んだことがない。そして後書きを読んでビックリ。後書きには「後書きから読むな」と注意書きがある。この注意には是非従うべき。読んでみて、この不思議な感触の世界を思う存分楽しむべきだろう。
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