最近、武田泰淳(たけだ・たいじゅん、1912~1976)をずっと読んでいる。誰だと言われるかもしれない。「戦後派」の代表的な作家の一人である。昔いろいろと読んで好きな作家だった。でも読み残しが結構ある。もう半世紀近く前に亡くなっていて、今年は生誕110年になる。今どき武田泰淳を読んでいる人がいるのかと思ったりするが、最近中公文庫で『司馬遷』『貴族の階段』が続けて刊行された。だから多分武田泰淳を読もうという人は今もいるんだろう。まず『貴族の階段』から。
『貴族の階段』は1959年に「中央公論」に連載され、同年に刊行された。同じ年に大映(吉村公三郎監督)で映画化されている。新潮文庫、岩波現代文庫に入っていたが、読んでなかった。中公文庫では奥泉光が解説を書いている。それは奥泉光『雪の階』(ゆきのきざはし)が『貴族の階段』にインスパイアされて書かれた続編的な作品だからである。僕はその『雪の階』も持っているけど、先に『貴族の階段』を読んでおきたいと思って、まだ手を付けていない。
物語は西の丸公爵家の階段から始まる。西の丸家は「天皇に最も近い」という家柄で、西の丸秀彦(森雅之)は貴族院議長を務めている。そこには政界お歴々が日々訪れて密談を行う。今日も陸軍大臣の猛田大将(滝沢修)が来ていたが、帰りがけに西の丸家の急な階段から転げ落ちる。この密談は娘の西の丸氷見子(金田一敦子)が裏で秘かに聞き取って書き残している。小説はこの氷見子の一人語りで描かれている。カッコ内で示したのは映画のキャスト。名優森雅之は高貴な家柄にして「色悪」な役に相応しい。金田一敦子は金田一家(岩手の財閥、言語学者金田一京助の親戚)の出で、当時若手女優として期待されたが早く引退した。田中絹代監督『流転の王妃』で「満州国」皇帝溥儀の皇后婉容を演じている。
(映画『貴族の階段』)
時代は陸軍青年将校のクーデタ直前。つまり「二・二六事件」だから1935~36年。西の丸家では老公爵(志村喬)は沼津の別荘に籠もっているが、折に触れ天皇の相談役となり首相を推薦している。昔から「リベラリスト」と言われ、軍の増長を嫌っている。一方、息子の秀彦は軍に近いような遠いような位置にいて、次期首相の有力候補と言われている。しかし、秀彦の長男義人(本郷功次郞)は軍人を目指し、反乱軍勢力に同調している。このような「政治」を巡る男たちの世界とは別に、氷見子は女たちのネットワーク世界も書き留めていく。面白いのはそっちの方である。
氷見子ら女子修学院に通う上流階級の女子たちは「さくら会」という集まりを持っている。風雅な趣味の会ながら、様々な裏話も飛び交う。政治の行く末は将来の婿候補たちの浮沈に関わるのである。猛田大将の娘節子(叶順子)も同級で、美女の節子は氷見子を姉のように慕っている。ある日、女子修学院では近衛師団の見学会があり、銃弾発射訓練も行われる。それを前にして節子は失神してしまう。実は兄の義人は節子を愛して、求愛の手紙を送ったのだが、節子はなかなか返事も寄こさない。実は彼女には秘密があったのである。一方、父の密談筆記で反乱が近いことを知った氷見子は、兄も参加するのではないかと心配している。
(映画『貴族の階段』)
そして、ついに「その日」がやって来て、西の丸家も攻撃を受ける。そして「大人」は生き延びるが、若者たちは大きな悲劇に見舞われる。昭和裏面史をテーマにした小説は山のようにあるが、『貴族の階段』のように上層華族を主人公にした小説は珍しい。映画を前に見ていて、筋は大体覚えていた。原作を読んでみると、ほぼ原作通りだった。そんなに複雑な筋ではないけれど、流れるように進行するストーリーは良くまとまっている。脚本は当然新藤兼人でさすがだなと思う。間野重雄の美術が素晴らしい。大映で『白い巨塔』『盲獣』などを担当し、その後増村保造『大地の子守歌』『曽根崎心中』などもやっている。キネマ旬報ベストテン19位。まあ、そんなに凄い映画でもないけれど、当時の映画の実力が判る出来映えだ。
(武田泰淳)
『貴族の階段』は昭和政治史的な観点から言えば、ちょっと無理な筋立てである。西の丸秀彦はどう見ても近衛文麿で、老公は明らかに西園寺公望。二人が家族なら、父は我が子を「大命降下」(天皇から首相候補として指名されること)に推薦することになる。また公爵家の長男(跡継ぎ)が陸軍反乱に加わるというのも想定出来ないと思う。しかし、全てを一家に集約したことで男たちのドラマが完結し、その裏にあった「女たちのドラマ」を際だてることになる。この頃武田泰淳は『政治家の文章』(岩波新書)を書いている。「政治」と真っ正面から取り組もうとしていたのだろう。
氷見子が通う学校はもちろん「女子学習院」になる。ウィキペディアを見ると、1989年には平民の女子も入学を許されたと出ている。だから猛田節子が通っていてもおかしくはない。猛田大将は若手に近く、反乱後の首相とも言われる。教育にも口を出しているという設定は、荒木貞夫を思わせる。荒木は1935年に男爵になっているから、「二・二六」当時は華族だった。「女子のつながり」というテーマは非常に面白い。まあどの程度現実を反映しているかは、僕にはよく判らないけど。「代表作」とか「第一級の悲劇」とまでは思わなかったが、まずは面白く読めた。(作者の武田泰淳については次回以後に。)
『貴族の階段』は1959年に「中央公論」に連載され、同年に刊行された。同じ年に大映(吉村公三郎監督)で映画化されている。新潮文庫、岩波現代文庫に入っていたが、読んでなかった。中公文庫では奥泉光が解説を書いている。それは奥泉光『雪の階』(ゆきのきざはし)が『貴族の階段』にインスパイアされて書かれた続編的な作品だからである。僕はその『雪の階』も持っているけど、先に『貴族の階段』を読んでおきたいと思って、まだ手を付けていない。
物語は西の丸公爵家の階段から始まる。西の丸家は「天皇に最も近い」という家柄で、西の丸秀彦(森雅之)は貴族院議長を務めている。そこには政界お歴々が日々訪れて密談を行う。今日も陸軍大臣の猛田大将(滝沢修)が来ていたが、帰りがけに西の丸家の急な階段から転げ落ちる。この密談は娘の西の丸氷見子(金田一敦子)が裏で秘かに聞き取って書き残している。小説はこの氷見子の一人語りで描かれている。カッコ内で示したのは映画のキャスト。名優森雅之は高貴な家柄にして「色悪」な役に相応しい。金田一敦子は金田一家(岩手の財閥、言語学者金田一京助の親戚)の出で、当時若手女優として期待されたが早く引退した。田中絹代監督『流転の王妃』で「満州国」皇帝溥儀の皇后婉容を演じている。
(映画『貴族の階段』)
時代は陸軍青年将校のクーデタ直前。つまり「二・二六事件」だから1935~36年。西の丸家では老公爵(志村喬)は沼津の別荘に籠もっているが、折に触れ天皇の相談役となり首相を推薦している。昔から「リベラリスト」と言われ、軍の増長を嫌っている。一方、息子の秀彦は軍に近いような遠いような位置にいて、次期首相の有力候補と言われている。しかし、秀彦の長男義人(本郷功次郞)は軍人を目指し、反乱軍勢力に同調している。このような「政治」を巡る男たちの世界とは別に、氷見子は女たちのネットワーク世界も書き留めていく。面白いのはそっちの方である。
氷見子ら女子修学院に通う上流階級の女子たちは「さくら会」という集まりを持っている。風雅な趣味の会ながら、様々な裏話も飛び交う。政治の行く末は将来の婿候補たちの浮沈に関わるのである。猛田大将の娘節子(叶順子)も同級で、美女の節子は氷見子を姉のように慕っている。ある日、女子修学院では近衛師団の見学会があり、銃弾発射訓練も行われる。それを前にして節子は失神してしまう。実は兄の義人は節子を愛して、求愛の手紙を送ったのだが、節子はなかなか返事も寄こさない。実は彼女には秘密があったのである。一方、父の密談筆記で反乱が近いことを知った氷見子は、兄も参加するのではないかと心配している。
(映画『貴族の階段』)
そして、ついに「その日」がやって来て、西の丸家も攻撃を受ける。そして「大人」は生き延びるが、若者たちは大きな悲劇に見舞われる。昭和裏面史をテーマにした小説は山のようにあるが、『貴族の階段』のように上層華族を主人公にした小説は珍しい。映画を前に見ていて、筋は大体覚えていた。原作を読んでみると、ほぼ原作通りだった。そんなに複雑な筋ではないけれど、流れるように進行するストーリーは良くまとまっている。脚本は当然新藤兼人でさすがだなと思う。間野重雄の美術が素晴らしい。大映で『白い巨塔』『盲獣』などを担当し、その後増村保造『大地の子守歌』『曽根崎心中』などもやっている。キネマ旬報ベストテン19位。まあ、そんなに凄い映画でもないけれど、当時の映画の実力が判る出来映えだ。
(武田泰淳)
『貴族の階段』は昭和政治史的な観点から言えば、ちょっと無理な筋立てである。西の丸秀彦はどう見ても近衛文麿で、老公は明らかに西園寺公望。二人が家族なら、父は我が子を「大命降下」(天皇から首相候補として指名されること)に推薦することになる。また公爵家の長男(跡継ぎ)が陸軍反乱に加わるというのも想定出来ないと思う。しかし、全てを一家に集約したことで男たちのドラマが完結し、その裏にあった「女たちのドラマ」を際だてることになる。この頃武田泰淳は『政治家の文章』(岩波新書)を書いている。「政治」と真っ正面から取り組もうとしていたのだろう。
氷見子が通う学校はもちろん「女子学習院」になる。ウィキペディアを見ると、1989年には平民の女子も入学を許されたと出ている。だから猛田節子が通っていてもおかしくはない。猛田大将は若手に近く、反乱後の首相とも言われる。教育にも口を出しているという設定は、荒木貞夫を思わせる。荒木は1935年に男爵になっているから、「二・二六」当時は華族だった。「女子のつながり」というテーマは非常に面白い。まあどの程度現実を反映しているかは、僕にはよく判らないけど。「代表作」とか「第一級の悲劇」とまでは思わなかったが、まずは面白く読めた。(作者の武田泰淳については次回以後に。)
結構、面白かったと記憶しています。
栗原小巻が出たかな。