尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『秋風秋雨人を愁殺す』、革命家秋瑾の人生ー武田泰淳を読む②

2022年11月24日 23時06分07秒 | 本 (日本文学)
 武田泰淳の本は何冊も持っているから、この際読んでしまおうと思って、次に「ちくま日本文学全集」の武田泰淳の巻を読んだ。これは全集と言っても文庫版なので読みやすい。全50巻で出て、その後全40巻になって今も出ている。もっとも、残念ながら武田泰淳は残っていない。僕が持っている本は1992年10月に刊行されて、ちょうど30年前の本なのかと驚いた。
(ちくま文学全集「武田泰淳」)
 「全集」だから幾つか入っている。中国史に材を取った『女賊の哲学』や戦後の青春を描く『もの喰う女』、間違いなく最高傑作の『ひかりごけ』などが入っている。1954年に発表された『ひかりごけ』は、戦時中の北海道で起こった船の遭難、そして「人肉食」を扱っている。非常に重いテーマだけに書き方が難しく、途中から戯曲形式になる。それが非常に効果を上げている。熊井啓監督によって映画化(1992年)されたが、映画は成功していたとは言えない。今も新潮文庫に残っているので必読。

 他に評論の『司馬遷伝』『滅亡について』もあるが、大部分(450頁中270頁ぐらい)を占めるのは、1967年に発表された『秋風秋雨人を愁殺す』である。1968年に刊行されて、1969年に芸術選奨文部大臣賞に選ばれたが固辞した。武田泰淳はその戦争体験もあって、国家からの賞は受けなかった。この作品は筑摩書房から出ていた雑誌「展望」に連載されたこともあるんだろうけど、他の文庫に入っていなかったのでありがたかった。その後、2014年にちくま学芸文庫に入ったが今は品切れのようだ。
(ちくま学芸文庫版)
 この本は辛亥革命に向かう時期の女性革命家、秋瑾(しゅう・きん、1875~1907)の評伝である。清朝を倒した辛亥革命、その指導者孫文は、公式的にはもちろん中華人民共和国でも高く評価されている。でも、それ以前に刑死した秋瑾のことは、本国でもちょっと忘れられていたらしい。武田泰淳は1967年に文化大革命さなかの中国を訪問して、その時に紹興(浙江省)を訪れた。「紹興酒」で名高いが、それとともに魯迅の生地として知られている。また秋瑾の故地でもあり、死刑が執行された町である。しかし、その当時はあまり秋瑾の記念物などはなかったらしい。
(秋瑾)
 その後2回も映画化されていて、現在は違うかもしれない。発表当時は文化大革命の真っ只中で、政治的に微妙な問題が多かった。作家などの評価もあっという間に転落したりした。この本でも微妙な書き方になっているところがあると思う。秋瑾という人は、僕は名前は知っていたが詳しくは知らなかった。ずいぶん「過激」で、死ななくても良い結果を自ら招いた気もした。だけど「死刑にされた女性革命家」だから、今も名を残している。そういう人がいて歴史は進むとも思う。

 秋瑾は名家に生まれ、子どもの時は纏足(てんそく)をさせられていた。纏足とは、女性の足を細くするために子どもの足に布を巻いて大きくならないようにすることである。小さい足を美しいとする当時の風習で、革命思想に目覚めると纏足を恥じるようになった。代わりに武芸に励み、刀剣(特に日本刀)を愛好したという。親の決めた結婚をして子どもも出来るが、酒浸りの夫に愛想を尽かし、やがて日本留学を志す。1904年に来日し嘉納治五郎が設立した弘文学院に入った。(その後実践女学院に通う。)そして来日していた多くの学生たちと会合を持ち、同郷あるいは女性だけなど多くの革命結社に加入した。
(映画『秋瑾~競雄女侠』)
 孫文も日本に来たわけだが、まさにその様子を見ると日本が中国革命の根拠地となっていた。清国も困って日本政府に取り締りを要請し、日本は1905年に留学生取締規定を設けた。これに反発した留学生たちは授業のボイコット運動を起こす。秋瑾は一斉帰国を主張するが、日本留学中の魯迅は批判的に見ていた。この人は熱く燃えあがると、もはや後戻りできないのである。そして帰国して「学校」(という名の反政府組織)を結成し、一斉蜂起へひた走る。そして早すぎた決起は失敗し囚われる。そこまでの様子をこの本は丁寧に追っていく。こういう人だったんだという感じ。

 僕がこの本を読んで感じたのは、辛亥革命前後の日本留学の重要性である。知ってはいたが、改めて重大な出来事だったと思う。今ではほとんど忘れられているだろう。知ってる人でも孫文や魯迅、あるいは共産党幹部の周恩来などが多いと思う。「日中連帯の歴史」を記憶しておくのは大切なことだ。ところで題名の「秋風秋雨人を愁殺す」だが、これは秋瑾が最後に残した言葉として伝わった。すごく心に残る言葉だと思ってきたが、実は違うという話がこの本に出ている。そもそも死刑執行は7月15日で秋ではなかった。まあ伝説として残して置いてもいい言葉かもしれない。
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