尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

オウム真理教事件、世界初の都市型宗教テロー「現在史」の起点1995年④

2025年01月05日 22時39分58秒 | 社会(世の中の出来事)

 1995年を考えるシリーズは切りがないが、今のところ6回書こうかと思っている。4回目にやはり「オウム真理教事件」を書いておきたい。東京在住者としては、1995年は阪神・淡路大震災以上に、まず地下鉄サリン事件の年だった。1995年3月20日に東京の営団地下鉄(現東京メトロ)の丸ノ内線(2)、日比谷線(2)、千代田線の5本の列車内で毒ガスサリンが散布され、死者12人、負傷者約6300人を出す大惨事となった。その実行犯はその後の捜査で解明されている。それがオウム真理教教団だったわけだが、この事件を知らない世代が出て来ているらしい。検索すると警察が作った「知っていますか?」というチラシが複数出てくるから驚き。大地震は時々起こっているが、これほどのテロ事件はその後日本では起きていないからだろうか?

 (地下鉄サリン事件)

 「坂本弁護士事件」「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」を「オウム三大事件」と呼ぶが、いま詳しいことは書かない。調べればすぐに概要はつかめる。オウム真理教については、教団死刑囚の刑が執行された2018年を中心に何度も書いている。95年以前から怪しい気配を漂わせていて、それは1990年の『オウム真理教が選挙に出たころ』や『オカルトと神秘体験』で詳しく書いた。1994年に松本サリン事件(死者7人、負傷者約600人)が起き、当初は近所に住んでいたK氏が犯人視され報道被害を受けた。しかし、1995年元旦の読売新聞が山梨県上九一色(かみくいっしき)村(現甲府市、河口湖町)にあったオウム真理教の本拠地付近からサリンが検出されたと報道した。これを受けて、新年から何かただならぬ雰囲気に包まれることになった。

(松本サリン事件30年)

 2月28日に目黒公証役場事務長が白昼に拉致・誘拐される(その後死亡)事件が起き、妹がオウム教団にいて揉めていたためオウム真理教の犯行ではないかと疑われた。警察は確証をつかみオウム真理教への捜索を計画し、自衛隊で化学戦訓練を受けていた。だから、地下鉄サリン事件が起きた時、大部分の人は「オウムだ」と直感したはずだ。そして3月22日に、目黒事件に関してオウム関連施設への捜索が開始されたのである。それまで阪神・淡路大震災一色だった東京のテレビは、以後教祖麻原彰晃(あさはら・しょうこう、本名松本智津夫)が逮捕された5月18日を頂点に、ほぼオウム関連報道ばかりになった。

 サリンはまだ残っているという噂が根強く流れ、都庁がある新宿でテロがあるという流言で新宿の駅ビルが閉鎖された日もあった。東京の繁華街では人出がグッと減ってしまったが、そういう「恐怖の日々」はその後2回経験することになった。2011年の東日本大震災福島第一原発事故後に「計画停電」が行われ、放射能被害を恐れて人々は家に留まった。そして2020年の新型コロナウィルスパンデミックにより「緊急事態宣言」が出された日々である。もう4回目は懲り懲りだ。

 過激な宗教教団がテロ事件を起こすこと自体は今までもあった。特にアメリカの「人民寺院」事件(1978年に南米ガイアナのコミューンで918人の信者が集団自殺または大量殺人した)は有名だ。「世界滅亡」などの教義で集団自殺したり、教団脱退をめぐって信者が殺害される事件はそれまでもあった。しかし、このような「都市型無差別テロ」が起きるとは誰も思ってなかっただろう。その意味で世界に大きな衝撃を与え、社会のあり方を大きく変えてしまった。街からごみ箱が撤去され、防犯カメラが設置された。電車の網棚に新聞雑誌を置き去りにする人はいなくなった。

 それ以上に大きかったのは、オウム信者なら何でも逮捕(微罪逮捕)するのが当然という風潮が定着し、社会を「過罰感情」が覆ったことである。それがこの年ぐらいから普及する「ネット社会」で加速した。人々はクレームを恐れて口をつぐみ、言うべきことを言わず闘うべき時に闘わなくなった。(まあ、それ以前からだけど。)当初は確かにオウム教団の内情が不明だったため、「オウムにはやむを得ない」と思った人が多いのである。そして、裁判では地下鉄サリン事件だったら、実行役は死刑運転役は無期懲役と同じ判決が出された。死者が出なかった車両もあったが、「共謀共同正犯」ととらえて実行者は全員死刑判決だった。

(麻原彰晃ら死刑執行)

 麻原ら主要幹部クラス7人の死刑は2018年7月6日に執行された。その後、残された死刑囚6人が7月26日に執行された。麻原は法律で死刑が執行できない「心神喪失」だった可能性がある。13人中10人が再審請求中だった。当時『オウム死刑囚、執行してはならない4つの理由①』『オウム死刑囚、執行してはならない4つの理由②』を事前に書いたが、もちろん僕が書いたからと言って変わるわけもない。執行後は『オウム死刑囚、刑執行の問題点を考える』『オウム「B級戦犯」の死刑執行』を書いた。

 記録に留めるためだが、今さら読む必要もないだろう。僕が死刑執行に反対した理由は上記記事に書いた通りだが、別にオウム幹部が冤罪だとか同情すべき点がある(一部死刑囚に関しては重すぎたと思うが)というわけではない。社会から「排除」することで、人々は事件を忘れてしまう。やはりそうなりつつあるので、麻原教祖の処遇はどうあるべきだったか、皆が考え続けるような刑罰が望ましいと思うのである。「排除して終わったことにして刑罰感情を満足させる」という死刑制度そのものに反対だということである。それはオウム真理教事件でも変わらない。(変えてはならないと思っているということだ。)

(周辺住民が法相に申し入れ=2024年12月13日)

 僕は事件が起きた日比谷線は、自宅から都心に出る手段なので、毎日ではないけれどいつも使っている。六本木に勤務していたときは大きな被害を出した築地駅、霞ヶ関駅を通って通勤していた。しかし、事件当時に関しては人生でただ一回「同じ区内に勤務する」時期だったので、自分が事件にあう恐れはなかった。しかし、オウム後継団体の「アレフ」「ひかりの輪」の施設がある地区なので、今も住民協議会があって「組織解散」などを求めている。12月13日には足立区長を中心に鈴木法務大臣に要望書を提出したというニュースがあった。(足立区の会長は中学の同級生。)オウム真理教事件の風化を防ぐ運動は今も続いている。

 なお、『オウム事件の「真相究明」とは』に書いたが、両サリン事件は神奈川県警が1989年の坂本弁護士一家殺害事件に適切に対処していれば防げた可能性がある。坂本事件現場にオウムのバッジが落ちていたとされるが、何故かオウムへの捜査が行われなかった。宗教団体の殺人事件を想定できなかったと言えばそれまでだが、坂本弁護士は「横浜法律事務所」に所属していた。ここは神奈川県警による日本共産党緒方靖夫国際部長(当時)への違法盗聴事件を追及していた。

 神奈川県警は後に様々な不祥事が頻発し、警察官による覚醒剤使用事件が起きた時には、「不祥事隠ぺいマニュアル」があったことが発覚した。県警本部長が逮捕、起訴、有罪となった前代未聞の事件である。神奈川県警の坂本弁護士事件対応を国家的に検証する必要があったと思うが、それはなされなかった。明らかに問題を抱えた組織だったのである。


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