秋にアンソニー・ホロヴィッツの新作ミステリーを読むのも、今年で6年目。これほどレベルの高いミステリーを世に送り出し続けるホロヴィッツの才能に改めて驚く。今回の『ナイフをひねれば』(The Twist of a Knife、2022)は、ホーソーン&ホロヴィッツ シリーズの4作目だが、驚くべき趣向でミステリー史に残る作品だろう。
シリーズの趣向を簡単に紹介すると、作者自身のアンソニー・ホロヴィッツが、元警官の凄腕探偵ダニエル・ホーソーンの捜査過程を記録していくミステリーである。つまり、自分自身(と同じ名前の人物)がワトソン役となり、ホームズ役のホーソーンの推理を語るわけである。その際ついアンソニーも自ら推理してしまい、それが全く外れてしまうのがお約束になっている。作中のアンソニー・ホロヴィッツはまさに実在の作家本人を思わせる楽屋オチ満載で、それも楽しい。
だが今作ではその趣向が「楽屋オチ」では済まないレベルになっている。最初に語られるのは、ホロヴィッツの演劇への情熱である。若い頃から舞台に憧れ、自ら戯曲も書いてきた。そして『マインド・ゲーム』という台本を認めてくれる製作者が出て来て、地方だけど公演も行われた。そして、ついにロンドン公演も実現することになる。たった3人だけの舞台で、二人は今までと同じだが、もう一人若い男優は降りてしまい、代わりに売り出し中の若手が入る。彼はこの後クリストファー・ノーラン監督の『テネット』に出演が決まったとか。そんなこんなで初日が近づき、舞台の裏話が語られる。
(原書と作家)
初日の客はなかなか楽しそうに観劇していたと思うのだが…。初日の打ち上げパーティでは、製作者が前に失敗した『マクベス』(野外劇が雨で大コケ)で作ったナイフを出演者や作家、演出家に記念に配った。ところがそこに、酷評することで嫌われている女性劇評家が現れ、皆に毒づき帰って行く。気分が沈んだ面々はもう一回劇場に戻って飲み直そうということになる。ところがその最中に、スマホを離さぬ若い女優が、早くも劇評が出たと知らせる。これがもうとんでもない酷評で、特にホロヴィッツの台本が大失敗の原因と決めつけるのだった。主演俳優も怒り出し、「殺してやる」とわめく始末。
もちろんその劇評家が翌朝殺害されるのだが、何と警察当局が逮捕したのはアンソニー・ホロヴィッツその人だった。何も酷評されたからという理由ではない。凶器は当日配布のナイフで、他の人はすべてナイフを持っていたがアンソニーだけはナイフをどこに置いたか記憶がない。凶器のナイフからはアンソニーの指紋も検出される。ということで、作者本人と思われる人物を逮捕させてしまうという、ミステリー史上類例のない荒れた展開となる。アンソニーはホーソーンに助けを求め、「何故か」科捜研(にあたる部署)のコンピュータが故障して証拠を示せなくなり、一端仮釈放されるが…。
(舞台となったロンドンのヴォードヴィル劇場)
今作は「謎解き」としては少々弱いと思う。まず凶器の問題から、容疑者が絞られている。今までのホロヴィッツ作品を思い出しても、殺人にまで至るのは単に劇評だけが動機とは思えない。となると、僕でも展開は予想可能なのである。もちろんミステリー小説はすべてを疑って読まなくてはいけない。語り手が実は真犯人だったという小説もある。だがこのシリーズはホロヴィッツが犯人か、無実でも裁判で有罪になってしまえば、それで終わりである。英国ではすでに第5作の刊行が予定されているという。今後もアンソニー・ホロヴィッツは書き続けるのである。これは「ミッション・インポッシブル」と同じだ。ミッションが不可能なら生還出来ないはずが、シリーズ化されている以上、「ミッション・ポッシブル」になるわけである。
しかし、では何故ホロヴィッツのナイフが使われたのか。疑わしき証拠の数々は何故相次いでホロヴィッツを指し示すのか。「犯人当て」以上にそっちの「いかに」の解明に鋭さがある。実に見事なもので、ミステリーの読みどころである。また作中で語られる様々な社会問題への感想も興味深い。特に少年犯罪の裁判には驚いた。小学生の年齢に当たる被告人が、普通の刑事裁判を受けている。またその事件に関して実名が出ている本が刊行された。ちょっと日本の感覚では信じられない。この小説には様々な子どもをめぐる問題が出て来るが、現実のアンソニー・ホロヴィッツも子どもを守る活動で知られているという。
(現実の『マインド・ゲーム』舞台)
この小説に出て来る戯曲『マインド・ゲーム』は実際にホロヴィッツが書いている。舞台公演も行われていて、その画像が上記のもの。日本ではまだ上演されてないようだ。そういうホロヴィッツが語るロンドンの演劇事情も興味深い。さすがに小説内に出て来るほど、ひどい劇評家が日本には(イギリスにも)いないと思う。これでは書いても新聞では掲載不可になるだろう。イングランドの風景美もいつもながら印象的な小説だった。日本の桜がちょっと使われているのも面白い。
シリーズの趣向を簡単に紹介すると、作者自身のアンソニー・ホロヴィッツが、元警官の凄腕探偵ダニエル・ホーソーンの捜査過程を記録していくミステリーである。つまり、自分自身(と同じ名前の人物)がワトソン役となり、ホームズ役のホーソーンの推理を語るわけである。その際ついアンソニーも自ら推理してしまい、それが全く外れてしまうのがお約束になっている。作中のアンソニー・ホロヴィッツはまさに実在の作家本人を思わせる楽屋オチ満載で、それも楽しい。
だが今作ではその趣向が「楽屋オチ」では済まないレベルになっている。最初に語られるのは、ホロヴィッツの演劇への情熱である。若い頃から舞台に憧れ、自ら戯曲も書いてきた。そして『マインド・ゲーム』という台本を認めてくれる製作者が出て来て、地方だけど公演も行われた。そして、ついにロンドン公演も実現することになる。たった3人だけの舞台で、二人は今までと同じだが、もう一人若い男優は降りてしまい、代わりに売り出し中の若手が入る。彼はこの後クリストファー・ノーラン監督の『テネット』に出演が決まったとか。そんなこんなで初日が近づき、舞台の裏話が語られる。
(原書と作家)
初日の客はなかなか楽しそうに観劇していたと思うのだが…。初日の打ち上げパーティでは、製作者が前に失敗した『マクベス』(野外劇が雨で大コケ)で作ったナイフを出演者や作家、演出家に記念に配った。ところがそこに、酷評することで嫌われている女性劇評家が現れ、皆に毒づき帰って行く。気分が沈んだ面々はもう一回劇場に戻って飲み直そうということになる。ところがその最中に、スマホを離さぬ若い女優が、早くも劇評が出たと知らせる。これがもうとんでもない酷評で、特にホロヴィッツの台本が大失敗の原因と決めつけるのだった。主演俳優も怒り出し、「殺してやる」とわめく始末。
もちろんその劇評家が翌朝殺害されるのだが、何と警察当局が逮捕したのはアンソニー・ホロヴィッツその人だった。何も酷評されたからという理由ではない。凶器は当日配布のナイフで、他の人はすべてナイフを持っていたがアンソニーだけはナイフをどこに置いたか記憶がない。凶器のナイフからはアンソニーの指紋も検出される。ということで、作者本人と思われる人物を逮捕させてしまうという、ミステリー史上類例のない荒れた展開となる。アンソニーはホーソーンに助けを求め、「何故か」科捜研(にあたる部署)のコンピュータが故障して証拠を示せなくなり、一端仮釈放されるが…。
(舞台となったロンドンのヴォードヴィル劇場)
今作は「謎解き」としては少々弱いと思う。まず凶器の問題から、容疑者が絞られている。今までのホロヴィッツ作品を思い出しても、殺人にまで至るのは単に劇評だけが動機とは思えない。となると、僕でも展開は予想可能なのである。もちろんミステリー小説はすべてを疑って読まなくてはいけない。語り手が実は真犯人だったという小説もある。だがこのシリーズはホロヴィッツが犯人か、無実でも裁判で有罪になってしまえば、それで終わりである。英国ではすでに第5作の刊行が予定されているという。今後もアンソニー・ホロヴィッツは書き続けるのである。これは「ミッション・インポッシブル」と同じだ。ミッションが不可能なら生還出来ないはずが、シリーズ化されている以上、「ミッション・ポッシブル」になるわけである。
しかし、では何故ホロヴィッツのナイフが使われたのか。疑わしき証拠の数々は何故相次いでホロヴィッツを指し示すのか。「犯人当て」以上にそっちの「いかに」の解明に鋭さがある。実に見事なもので、ミステリーの読みどころである。また作中で語られる様々な社会問題への感想も興味深い。特に少年犯罪の裁判には驚いた。小学生の年齢に当たる被告人が、普通の刑事裁判を受けている。またその事件に関して実名が出ている本が刊行された。ちょっと日本の感覚では信じられない。この小説には様々な子どもをめぐる問題が出て来るが、現実のアンソニー・ホロヴィッツも子どもを守る活動で知られているという。
(現実の『マインド・ゲーム』舞台)
この小説に出て来る戯曲『マインド・ゲーム』は実際にホロヴィッツが書いている。舞台公演も行われていて、その画像が上記のもの。日本ではまだ上演されてないようだ。そういうホロヴィッツが語るロンドンの演劇事情も興味深い。さすがに小説内に出て来るほど、ひどい劇評家が日本には(イギリスにも)いないと思う。これでは書いても新聞では掲載不可になるだろう。イングランドの風景美もいつもながら印象的な小説だった。日本の桜がちょっと使われているのも面白い。
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