『翔んで埼玉』という映画が数年前にヒットして、今続編が作られているという。だが、その前に「トンデモ埼玉」とでも言える驚きの事態が埼玉県で起こっている。「県虐待防止条例の改正案」が議会に提出されて、自民党、公明党の賛成ですでに委員会を通過した。13日の県議会で採択される予定だという。その内容が凄すぎて、とても本当とは思えないレベルなのである。僕はテレビのニュース番組で知ったが、関東地方でもまだあまり報道されていないから、全国では知らない人も多いと思う。
「改正案」というから調べてみると、もともと埼玉県には「虐待防止条例」があった。それは児童に限定するものではなく、高齢者や障害者も含めて「虐待」を防止しようという条例である。特に問題はない感じだが、今回は自民党から「改正案」が出された。この夏も猛暑の中、車に幼児を置き去りにして熱中症で亡くなるというような出来事があった。そういうこと(児童放置)をなくさなくてはということらしいのだが、そのためには「放置」を定義しなければならない。
4日の本会議の質疑で提案者の自民党議員から説明があって、そこで上記画像にもある驚くべき「定義」が明らかになった。それによれば、「小学3年以下の子どもを自宅などに残して外出することを保護者などに禁じる」という。そして「子どもたちだけで公園で遊ばせたり、学校の登下校をさせたり、高校生のきょうだいに預けて出かけたりすること」が違反となると説明したという。小学4年から6年に関しては「努力義務」として、県民には放置されている子どもの通報義務を課すとした。(10.7東京新聞)
「子どもを自宅に残して外出すること」は諸外国では虐待とされ、法律で禁止している国も多いと思う。映画や小説では夫婦で外出するときに、ベビーシッターを頼んでいる。僕も自宅放置は良くないと思うけど、シングルマザーの厳しい状況ではなかなか難しい問題がある。夜間中学や夜間高校はあるけど、夜間小学校はない。だから、(この条例が通れば)小学生段階の子どもがいる親は、昼の仕事しかできなくなる。だが夜に仕事する人も必要である。何も飲み屋とか「風俗業」ではない。昼に仕事する人のために夜働く(販売、飲食、交通など)人がいなければ社会は回らない。そしてスーパーなど夜のシフトの方が時給が高いことが多いだろう。性別を問わず、単親家庭への厚い支援なくして不可能な条例だ。
もう一つの方、子どもだけで外で遊んだり登下校するのが「虐待」だというのは、全く理解出来ない。これでは日本人は全員虐待されて育ってきたことになる。自民党議員だって、子どもだけで登下校していたのではないか。これでは「外遊び禁止条例」である。もちろん幼児の場合は、親が見守るべきだろう。だが小学生にでもなれば、友だち同士で登校してきたと思う。途中に危険な交差点などがあれば、そこに大人がいれば良い。昔は「緑のおばさん」という人がいたものだが。外遊びも、大人がいくら禁止しても自分たちだけで出掛けてしまうだろう。またそういう子どもでなければ困る。
「通報義務」に至っては、自民党はどうなってしまったのかと思う。子どもだけで遊んでるのを見た大人は、警察に通報しないといけないのか。なんという恐るべき「警察国家」だろう。これを自民党は「社会全体で子どもを育てる」などと言ってるらしい。何を今さら、そんなことを言うのか。民主党政権がそんなことを言えば、「共産主義」「ポル・ポト派」などと悪罵を投げつけてきたのは自民党の方だ。今さら財源の保証もせずに、社会全体も何もないだろう。
さすがに「さいたま市PTA協議会」が署名運動を始めるとか、反対運動も急速に盛り上がっている。何で自民党がこんな改正案を出してきたのか。余計なおせっかいするなと「個人責任」にするのが、自民党なのでは? だが「児童虐待」を防ぐという大義名分のもと、自縄自縛に陥っているのではないか。最近は「原理主義的思考」が世にはびこっている。「放置」は「虐待」だとして、では「放置」とは何かと考えて行くとき、あれもこれもと決めつけてしまう。その時に「常識」という歯止めが掛からない。ネット上では、「埼玉では子育てが出来なくなる」とか「『はじめてのおつかい』は埼玉では放送禁止」とか言われている。
仮に条例が可決されたとき、知事には公布せず議会に再議に付し、3分の2以上で再可決しないと廃案になるという権限がある。ただ埼玉県議会の会派構成を調べてみると、定数93人のうち、自民党が58人、公明党が9人と自民単独では3分の2に届かないが、自公でまとまれば再可決が可能である。従って、反対の声を大きくして、こんなバカバカしい「改正案」を引っ込めさせるしかない。
*連休中に大問題となり、連休明けの10日に自民党県議団は条例改正案を取り下げることを決定した。このままでは国政にも影響を与えかねない状況になってしまったので。それにしても委員会を通過した事実は残る。自身がある政策なら、こんな簡単に引っ込めないはずだ。県民にしても、一党にこれほど多くの議席を与えていることを考えて欲しい。(10.10記)
「改正案」というから調べてみると、もともと埼玉県には「虐待防止条例」があった。それは児童に限定するものではなく、高齢者や障害者も含めて「虐待」を防止しようという条例である。特に問題はない感じだが、今回は自民党から「改正案」が出された。この夏も猛暑の中、車に幼児を置き去りにして熱中症で亡くなるというような出来事があった。そういうこと(児童放置)をなくさなくてはということらしいのだが、そのためには「放置」を定義しなければならない。
4日の本会議の質疑で提案者の自民党議員から説明があって、そこで上記画像にもある驚くべき「定義」が明らかになった。それによれば、「小学3年以下の子どもを自宅などに残して外出することを保護者などに禁じる」という。そして「子どもたちだけで公園で遊ばせたり、学校の登下校をさせたり、高校生のきょうだいに預けて出かけたりすること」が違反となると説明したという。小学4年から6年に関しては「努力義務」として、県民には放置されている子どもの通報義務を課すとした。(10.7東京新聞)
「子どもを自宅に残して外出すること」は諸外国では虐待とされ、法律で禁止している国も多いと思う。映画や小説では夫婦で外出するときに、ベビーシッターを頼んでいる。僕も自宅放置は良くないと思うけど、シングルマザーの厳しい状況ではなかなか難しい問題がある。夜間中学や夜間高校はあるけど、夜間小学校はない。だから、(この条例が通れば)小学生段階の子どもがいる親は、昼の仕事しかできなくなる。だが夜に仕事する人も必要である。何も飲み屋とか「風俗業」ではない。昼に仕事する人のために夜働く(販売、飲食、交通など)人がいなければ社会は回らない。そしてスーパーなど夜のシフトの方が時給が高いことが多いだろう。性別を問わず、単親家庭への厚い支援なくして不可能な条例だ。
もう一つの方、子どもだけで外で遊んだり登下校するのが「虐待」だというのは、全く理解出来ない。これでは日本人は全員虐待されて育ってきたことになる。自民党議員だって、子どもだけで登下校していたのではないか。これでは「外遊び禁止条例」である。もちろん幼児の場合は、親が見守るべきだろう。だが小学生にでもなれば、友だち同士で登校してきたと思う。途中に危険な交差点などがあれば、そこに大人がいれば良い。昔は「緑のおばさん」という人がいたものだが。外遊びも、大人がいくら禁止しても自分たちだけで出掛けてしまうだろう。またそういう子どもでなければ困る。
「通報義務」に至っては、自民党はどうなってしまったのかと思う。子どもだけで遊んでるのを見た大人は、警察に通報しないといけないのか。なんという恐るべき「警察国家」だろう。これを自民党は「社会全体で子どもを育てる」などと言ってるらしい。何を今さら、そんなことを言うのか。民主党政権がそんなことを言えば、「共産主義」「ポル・ポト派」などと悪罵を投げつけてきたのは自民党の方だ。今さら財源の保証もせずに、社会全体も何もないだろう。
さすがに「さいたま市PTA協議会」が署名運動を始めるとか、反対運動も急速に盛り上がっている。何で自民党がこんな改正案を出してきたのか。余計なおせっかいするなと「個人責任」にするのが、自民党なのでは? だが「児童虐待」を防ぐという大義名分のもと、自縄自縛に陥っているのではないか。最近は「原理主義的思考」が世にはびこっている。「放置」は「虐待」だとして、では「放置」とは何かと考えて行くとき、あれもこれもと決めつけてしまう。その時に「常識」という歯止めが掛からない。ネット上では、「埼玉では子育てが出来なくなる」とか「『はじめてのおつかい』は埼玉では放送禁止」とか言われている。
仮に条例が可決されたとき、知事には公布せず議会に再議に付し、3分の2以上で再可決しないと廃案になるという権限がある。ただ埼玉県議会の会派構成を調べてみると、定数93人のうち、自民党が58人、公明党が9人と自民単独では3分の2に届かないが、自公でまとまれば再可決が可能である。従って、反対の声を大きくして、こんなバカバカしい「改正案」を引っ込めさせるしかない。
*連休中に大問題となり、連休明けの10日に自民党県議団は条例改正案を取り下げることを決定した。このままでは国政にも影響を与えかねない状況になってしまったので。それにしても委員会を通過した事実は残る。自身がある政策なら、こんな簡単に引っ込めないはずだ。県民にしても、一党にこれほど多くの議席を与えていることを考えて欲しい。(10.10記)
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