尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

追悼アッバス・キアロスタミ

2016年07月07日 21時10分00秒 |  〃 (世界の映画監督)
 イランの映画監督アッバス・キアロスタミ(1940~2016)が4日に亡くなった。76歳。パリでがん治療中だったという。アベノミクスなどを書いていて遅くなってしまったが、やっぱり書いておきたい。

 1970年代から活躍していたけれど、日本で公開された「友だちのうちはどこ?」(1987)でキアロスタミの名を知った。1993年のことで、その年のキネ旬8位に選ばれている。ロカルノ映画祭で評判になっていたことは聞いていたが、実際に初めて見て、その素朴で温かく、同時にたくらみに満ちた演出やカメラワークに感嘆した。イランの農村地帯の風景など、いわゆる「ジグザグ道」も興味深かった。今の日本の若者が見れば、なんでスマホないの? という感じかもしれないが。(その後のキアロスタミ、あるいは他の監督の映画を見ても、イランでもケータイの普及は進んでいるようだが。

 イランは、1979年のイスラム革命、それに続くイラン・イラク戦争で、芸術上の自由な活動が大きく制限される状況が続いた。そんな中で「児童映画」は比較的制限が少なく、だから児童映画の名作がたくさん作られたのだと言われる。確かにそういう側面はあるだろう。と同時に、戦時体制、宗教支配のもとで、人々の心も子どもが出てくる映画を望んだのではないだろうか。

 キアロスタミは最近まで活動していたが、21世紀になってからの作品には衰えが見られた。20世紀末に続々と日本公開された映画が、やはり素晴らしかったと思う。だから、若い人の中には、あまり知らない人もいるのではないか。だけど、間違いなく20世紀末の最も重要な映画作家の一人である。小津安二郎の影響を公言し、アキラ・クロサワとイニシャルが同じだと喜ぶキアロスタミは、日本映画界にとっても重要な映画作家だった。遺作となった「ライク・サムワン・イン・ラブ」は日本人俳優を使い、日本で撮影された映画だった。あまり評判にはならなかったが、結構面白かったと思う。

 「友だちのうちはどこ?」に続き、イランで起こった大地震を扱う「そして人生は続く」「オリーブの林をぬけて」「クローズアップ」と続々と公開され、93、94、95と3年連続でキネ旬ベストテンに入っている。そして、97年のカンヌ映画祭で(今村昌平の「うなぎ」とともに)パルムドールを受賞した「桜桃の味」が作られた。テヘラン近郊の砂漠地帯を舞台に、イスラム教ではタブーである「自殺」をテーマとする傑作である。その後、1999年にベネツィア映画祭審査員賞の「風が吹くまま」を作る。ここら辺までが重要な作品が連続した時代。

 もともとドキュメンタリー作品も多く、事実だか虚構だか判らないような作品が多い。劇映画で社会のありようを壮大に描くというような作家ではなかった。作品の中には、スケッチのような、シネマエッセイというような作品も多い。それが20世紀末のイラン社会を描くのに適した方法であり、同時に世界にも訴えたところである。何が真実で何がドラマだか、なんだか判らないような世界を日々生きているのだから。淡彩に過ぎると思うときもあったけど、「ハイク」という芸術形式に親しんでいる日本人には向いていた。監督も日本文化に親近感を持った。

 キアロスタミ映画が日本でも評価されたことから、モフセン・マフバルバフなど他のイラン監督作品も続々と公開された。欧米や東アジア以外の映画が、ベストテンに入選したのは、非常に珍しい。イランはこの間、特異な宗教国家として、人権や核開発など多くの問題を指摘されてきた。だけど、イランの民衆の多くは平和を愛好し、思いやりや温かさを持っていることを、僕は多くのイラン映画で知ることができた。同時に、イランで官僚主義や多くの理不尽が起きていることも、映画で垣間見ることができた。大体、キアロスタミやマフバルバフも、近年は外国でしか映画が撮れなかった。最後にイランで撮れなかったことは、心残りではなかったかと思う。今後追悼上映なども行われると思うが、ぜひ知ってほしい映画世界である。
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映画「日本で一番悪い奴ら」

2016年07月05日 22時35分48秒 | 映画 (新作日本映画)
 白石和彌監督、綾野剛主演の「日本で一番悪い奴ら」。とてつもなく面白い、すごい映画である。リアリズムというより、ピカレスクロマン(悪漢小説)風に、ひたすら面白いストーリイを語っていく。しかし、面白いだけでは済まない問題作でもある。何しろ「日本で一番悪い奴ら」というのは、北海道警察のお巡りさんなのである。警察批判というか、悪徳警官ものの最高傑作
 
 柔道に熱を挙げる青年、諸星(綾野剛)は北海道警からリクルートされ、道警はめでたく柔道で日本一となる。単に柔道要員だった諸星は、捜査の現場で苦労するが、先輩(ピエール瀧)から「エス」(スパイ)をたくさん持たないと点数を稼げないと教えられ、協力者作りに奔走する。チンピラやくざからの情報で、令状もなく一人でガサ入れした挙句、実績を上げることができた。そして、すすきのの美人ホステスと付き合い、道警のエースと言われるようにまでなる。

 その諸星がいかにして暴走し、違法なおとり捜査に翻弄されるか。90年代半ば、警察庁長官狙撃事件を頂点に、銃器犯罪が多発。警察は銃器摘発に血道を上げることになる。そこで知り合いのヤクザに頼み込んで、銃器重点月間に提出させるといった不正が起きることになる。やがては、覚せい剤の輸入をあえて見逃して、続いて予定されている大量の銃器輸入を摘発するという「作戦」が企画される。警察幹部の黙認のもとに、日本に大量の覚せい剤が持ち込まれたのである。諸星は幹部に迫る。シャブとチャカとどっちが大事なんですか?

 これが実話だというんだから驚く、と書ければいいんだけど、有名な事件だから細部はともかく話は知っていた。むしろ長いこと、北海道警の不正捜査や裏金事件、あるいは佐々木譲の「道警シリーズ」などを映像化する人はいないのかと思っていた。裏金問題を率先して報じた北海道新聞への道警の「仕返し」は、相当にえげつないものだった。やはり相当の覚悟がないと、映像化は不可能なのかと思っていたのである。まあ、それを言えば、この映画も「諸星のやり過ぎ」を面白く描くことに熱心で、警察組織の「権力犯罪」の全貌を描くことには向かわない。キャリア官僚の支配、点数至上主義、組織的な裏金作り、違法捜査の数々など、少しづつ触れられてはいるが、構造悪としては描かれない。

 でも、まあエンタメ映画だから、日本中で公開される。硬派の社会派では、多くの人に届かないだろう。それに諸星本人は、あくまでも北海道の治安を守るため、警察が目標とする銃器摘発に熱心なだけなのである。エスを作るのも、違法捜査に何の疑問も持たないのも、すべて本気でやってるのである。それが怖い。その「思い込み」の本気度が恐ろしいのである。悪徳警官ものは、映画にも小説にもかなりあるが、情報を取るために組織犯罪と癒着していく構造は同じである。深作欣二の「県警対組織暴力」は菅原文太と松方弘樹。こっちの映画は、綾野剛と中村獅童。中村獅童はかつての成田三樹男を思わせる役者になってきた。

 白石監督は2013年の「凶悪」で注目された。死刑囚が別の殺人を告発したノンフィクションを映像化したものだが、リリー・フランキーやピエール瀧らの「凶悪さ」が強く印象に残る映画だった。僕はあまり好きにはなれなかったが、流れるように見られるリズムは今度の映画と共通している。原作があり、主人公のモデルが服役後に書いた、稲葉圭昭「恥さらし 北海道警 悪徳警官の告白」という本である。講談社文庫に入ってるというが読んではいない。簡単に知るためには、ウィキペディアに「稲葉事件」がある。製作関係者は、今後しばらくは、身辺に気を付けてください。微罪で逮捕されても映画ぐるみアンタッチャブル視されかねないので。
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結局何だったのか-「アベノミクス」を考える④

2016年07月04日 23時52分25秒 |  〃  (安倍政権論)
 「アベノミクス」を考える特集も4回目。3回程度を考えていたので、今日でお終いにしたい。頑張って書いてしまおう。今まで「アベノミクス」について、ほとんど触れてこなかった。自分の不得意分野だし、数字がたくさん出てきて面倒くさい。それもあるけど、僕は安倍首相の世界観や政治姿勢に大反対の立場だが、日本経済がうまくいくのは大賛成である。「リフレ派」と呼ばれる経済政策が僕にはよく判らず、一体どうなるんだかはっきりしなかったからである。

 今は「アベノミクス」そのものは、前提になってしまった。そのうえで、成功だ失敗だと議論し、アベノミクスで格差が広がったから、再分配に力を入れるべきだというのが、主に野党側の主張になっている。だけど、今まで僕が見たところでは、アベノミクスが成功したという割には、第一次安倍政権時代に届いていない指標が多い。リーマンショックや東日本大震災で沈滞した時期を担った民主党政権期と比べて、うまく行ったうまく行ったと大宣伝しているが、自分が担当した第一次安倍政権時代と比べないとおかしい。10年前と比べてすごく良くなっているというなら、それは成功と言ってもいい。

 つまり、成功していないのである。再分配を進めるも何も、ようやく昔に戻って、そこでほとんど停滞している。消費増税前の駆け込み需要があった時期や外国人観光客の「爆買い」を除き、あまり「アベノミクス」による発展そのものが見られないというべきではないか。もともと日本経済はいま程度の潜在力があり、そこへ戻って、その後の展望が見えない。それが実情ではないか。

 そもそも「リフレ派」というのは何だろうか。デフレから回復したがインフレにはなっていな時期、その時期を「リフレーション」(通貨再膨張)と言うらしい。あまり聞いたことがなかったが、それを言えば「デフレ」そのものがあり得ないことだった。「リフレ派」は金融政策や財政政策を通して、デフレ脱却を目指す。1~2%のインフレ目標を掲げる「インフレ・ターゲット」政策を取ることが多い。日銀の黒田総裁は「異次元の金融緩和」を進めたし、岩田副総裁は2年で2%の物価上昇が実現しなければ辞任すると2012年に宣言した。実現しないまますでに4年たったが、いろいろ理由をつけて辞めていない。

 では、現在のマネタリーベース(通貨供給量)を見てみよう。(日本のマネタリベース=日本銀行券発行高+貨幣流通高+日銀当座預金残高のことである。)2016年6月現在のマネタリーベースは、392兆7千億円。内訳は、日銀券が95.2兆、貨幣が4.7兆、当座預金残高が292.8兆である。ところで、詳しくは僕には説明不能なのだが、マネタリーベースには「季節調整」というものがある。季節調整値では、386兆8千億円となっている。6月末を見たから、順次一年ごとにさかのぼってみたい。
 2015年6月=308兆4千億
 2014年6月=229兆9千億
 2013年6月=161兆1千億
 2012年6月=119兆3千億
 2011年6月=113兆1千億

 もういいだろう。それより前は100兆以下である。日銀券発行高も増えてはいるが微増で、この間の大規模な増加は、「日銀当座預金残高」の異常なまでの増加によるものである。この間、地方も含めた公債残高は1千兆円を超えてしまった。前から高いわけだが、ますます増えている。

 この「異次元緩和」と「公債残高」は、誰が政府を担おうが背負っていかざるを得ない。出口はあるのか? 正直言って誰にもないだろう。「アベノミクスをやめる」と言っても、急激な金融引き締めを行うわけにもいかない。それは恐るべき信用収縮をもたらし、かつてない円高になることは避けられない。円高になれば良いこともあるが、急激な為替変動は経済に悪影響を与える。

 だけど、これほど「ヘリコプターマネー」と言ってもいいような政策を行ったのに、なぜインフレにならない?(ヘリコプターマネーとは、紙幣をどんどん刷って空からばらまけば、みんなが金持ちになってお金を使いまくり、物価上昇になるという考えである。)だけど、空から降ってきたお金を皆が貯め込んで使わなければ、経済に何の影響も起こさない。今の状況はそれに近いのではないか。今までの経済政策は、およそ経済成長過程を前提にしていたのではないか。日本のように、人口減になり始めた社会では、リフレ政策が無効だったのではないか。今後は経済が収縮すると皆が思っている社会では、期待した物価上昇が起こらないのも、思えば当然ではないか。

 このように言うと、日本経済はすぐにも崩壊すると思うかもしれない。そんなことはない。人口が1億2千万人を数え、歴史的、社会的な文化蓄積も大きい。日本の会社も、史上最高ではないとしても、また不祥事も相次ぐとしても、基本的にはそれなりの利潤を出し続ける。国民皆保険、皆年金という社会保障の基本も、細部ではいろいろとあっても、当面崩れない。ただ、無限の経済成長がやりようによっては実現するというのは、多分幻想に過ぎない。基本的には、ゼロ成長が基調となると思った方がいい。それを前提に、世代、性別、地域、職業、学歴等で大きな格差が生じないような制度設計をしていくしかない。

 だけど、今のところ、莫大な借金が残されている。いうならば、「親が何億円も借金してしまった」状況である。必ずもうかると言われて、自宅を高層ビルにしてしまったが、そしてそこそこ流行ってもいるが、借金を返せるメドが立たない。1千万とか2千万なら頑張れば返せても、何億もあってはとても無理。個人だったら、「自己破産」して親の借金を引き継がないと言うやり方ができる。だが、国家は破産できないし、国民をリストラすることもできない。最近は政治家に「経営能力」を求め、会社経営の経歴が有利になることがある。だけど、会社は社員の親の介護にも、社員の子どもの教育にも、責任を負わない。利潤追求をするための組織である。経営という言葉を使ってもいいけど、「国家経営」と「会社経営」は次元が違う。

 かくして、「アベノミクス」は、「成功」しないで「借金」を残す政策だったということに、将来になってみれば言われるだろう。「成功」とカギかっこを付けたのは、「ある程度の成長」はするわけで(基準年の取り方で、いくつもの「成功」は見込める)、安倍政権としては「成功している」と言い続けるだろうということである。だけど、もっと厳しく言えば、安倍政権の下で「急激な円安」が進み、外国人投資家の買いによって「株高」が進んだわけで、それを売り抜けることで「国富の流出」を招いた。「日本を取り戻す」の名のもとに「日本を売り飛ばす」事態が起こった。

 では「失敗」だと言えば、そう言えるかもと思うが、誰がやっても引き下がることができない。「アベノミクス」は既成事実になってしまった。だから、単に失敗とはもう言えないのである。普通は失敗なら、やり直すとか次に頑張るという選択肢があるが、「アベノミクス」にはそれがない。結局は、アベノミクスをきっかけにして、日本の長期的没落が決定的になったという歴史的評価になるのではないか。それじゃ困ると言っても、政権は国論分裂に熱心で、日本の危機に真に向き合う気がない。ちょっと面倒な結論とも言えないような終わり方になってしまったが、要するに「単に失敗したから見直せ」」では済まない問題なんだと思う。
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GDPの推移を見る-「アベノミクス」を考える③

2016年07月03日 22時58分44秒 |  〃  (安倍政権論)
 7月に入り、関東地方も猛暑が続いている。今日(3日)なんぞ、35度である。いやはや、これが2カ月も続いたらたまらない。参院選の次に都知事選までやるってことだけど、やっぱり秋まで延期してれば良かったんじゃないか。それはともかく、昨日はとても書く気にならなかった。数字を見る気にならない日々だけど、始めてしまったので「アベノミクス」をもう少し考えてしまいたい。

 さて、2回目は「円安になった割には輸出が増えてない」という話だった。しかし、そこで見たデータは、「ドル」で計算されていた。衰えたといえど、米ドルは世界の基軸通貨ではあるから、ドルで考えると輸出量はむしろ減っているというのは、日本経済が小さくなっているということである。でも、円ベースで計算したらどうなんだろうか。前回書いてないので、そこから書いておきたい。

 「財務省貿易統計」で見ると、今までに円計算で一番輸出額が多かった年は、2007年である。「83,931,437,612」(千円)である。これでは単位がなんだか判らないから、もっと簡単に言えば「83兆9千億円」ということになる。翌2008年も、81兆円を記録している。当時の円相場は、「1ドル=117円」(2007年の一年間の平均)だった。第一次安倍政権時代である。

 それが2009年にリーマンショックで大幅に落ち込み、54兆円となった。(それでも2004年と同じぐらいである。)2010年には67兆円に回復するが、2011年には65兆2012年には63兆と減退する。これは東日本大震災による影響だろう。以後、69兆、73兆、75兆と増加している。だから、確かに円ベースでは第二次政権で増えているわけである。しかし、これが「円安による急激な輸出増」と言えるだろうか。まだまだ、第一次政権時代の輸出額には大きな違いがある。

 そのような傾向は、経済におけるもっとも基本的な統計数値である、GDP(国内総生産)の推移を見ても言えると思う。(GDPを正式に英語で言うと、というのは授業でよく取りあげたが、Gross Domestic Product ですね、念のため。)GDPには「名目」と「実質」がある。GDPとは、一定の期間内に国内で生産された財やサービスの生産だけど、市場で取引されたものだけを積みあげる。それが「名目GDP]だが、物価上昇(下落)の影響を加味して再計算されたものが「実質GDP」ということになる。一年間のGDPの推移が「経済成長率」である。

 名目GDPが一番大きかったのは、実は1997年の523兆円である。その後2001年まで500兆円台を記録するが、その後失速。2002年に底を打ち、次第に盛り返して2007年に約513兆円。2009年にリーマンショックで471兆円と落ち込み、少しづつ回復していくが、2015年はまだ499兆円。第一次安倍政権時代は、けっこう経済が好調だったのである。それは小泉改革が成功したからではなく、20世紀末の消費税アップやITバブル崩壊による不景気から、自然な経済回復をしていく過程だということだろう。

 実質GDPも見ておきたい。(なお、両方とも出展は「世界経済のネタ帳」。)名目では90年代のGDPが高かったが、実質に直すと400兆円台が続いている。初めて実質GDPが500兆円に届いたのは、2005年。2006年がゼロ年代では一番大きくて、523兆円である。それが他の指標と同じく、2009年に489兆円に落ち込む。その年が民主党政権に代わった年である。そこから回復していって、512、510、519と推移して、自民党が政権に復帰する。その後、526、526と来て、2015年は528兆円である。だから、実質GDPに関しては第一次安倍政権を超えている。実質GDPでは、第3次安倍政権で至上最高値を記録している。

 では、もっと宣伝しそうなものだが、民主党政権時代はリーマンショックで大幅に下落した時期に政権を引き継いだから、途中で東日本大震災が起こったものの、成長率は高かった。2009年から2012年までは、6%の成長となっている。一方、すでに民主党政権時に回復基調にあったためか、安倍政権復帰以後の成長率は、1.8%である。そこに話が行くことになるから、実質GDPが史上最高値を記録したと宣伝しないのかと思う。これらの数値を見るにつけ、要するに民主党であれ、自民党であれ、リーマンショックや大震災による経済的危機からの回復過程にあるだけなのではないかと思われるのだが。

 「アベノミクス」は道半ばというけど、どこまで行っても道半ば。虹を追いかけ続けても、実はもうこれ以上ないのかもしれない。なぜなら、労働力人口がすでに減少過程に入っているからである。人が少なければ、生産性がいくら向上できたとしても、生産額が減るのも当然である。もっとも、僕はこのまま永遠にGDPが上がらないと思っているわけではない。GDPとは市場経済で認知できる付加価値だけを足したものである。そして、戦後直後に生まれた「団塊の世代」は、60歳あるいは65歳になり、いったん市場経済での存在感が薄まった。もちろん食べなきゃいけないし、旅行も行くし、子どもや孫にお金を使う。でも、やっぱり「老後に備える」意識がある。

 まだまだ元気なこの世代が、2020年以後に「後期高齢者」に入ってくる。医療や介護のサービスを大量に消費し始めるだろう。医者にかかるのも、GDPアップである。だから、その意味では少子化、高齢化にあった社会設計をしていけば、まだ経済発展の余地はあるだろう。そのためには社会のありようを大きく変えて、外国移民の受け入れなども検討する必要がある。しかし、それは安倍政権ではできないし、2020年以後に「アベノミクス」による経済停滞がはっきりしてくるだろう。五輪を開いたギリシャ、中国の経済がその後どうなったか。英国ではEU離脱、ブラジルでは開会前から政局大混乱で、経済的にも大変である。つまり、巨額の東京五輪支出を何とかしない限り、「五輪後危機の20年代」が訪れることを覚悟しないければいけない。
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輸出は増えたのか-「アベノミクス」をどう考えるか②

2016年07月01日 23時55分05秒 |  〃  (安倍政権論)
 僕には前から不思議に思っていることがある。安倍首相は「日本を取り戻す」と呼号して政権復帰した。その後日銀総裁に黒田東彦(はるひこ)アジア開発銀行総裁を抜擢し、「異次元の金融緩和」を行い続けている。その結果、どんどん円安になったわけだが、その魔法的効果も薄れつつあるように思う。それはそれとして、世界の普通の感覚では、「国家主義的思想」を持つものは「自国通貨が強い」ことを望むものではないか。円安から円高になる方が、「日本を取り戻した」と言えるはずである。自国通貨の購買力が高まるわけだし、日本企業は海外に進出しやすい。

 しかし、今のところ、多くの人はそう思っていない。円高になれば株価が下がり、円安になれば株価が上がる。それは何故か?「日本は輸出国だから」と多くの人は思いこんだままだと思う。日本は資源がない。だから、国民が働いて「加工貿易」で生きていくしかない、なんて聞いた覚えはないだろうか。学校ではよくそうして、「日本は国民がマジメに働くしかない国だから、みんなもしっかり勉強するんだよ」と大体そこに結び付いたわけである。実際の歴史を見ると、資源が豊富な国は資源にたよるモノカルチャーになり、資源安になると経済が破たんする。一方、自国に資源がない国は、世界から安い資源を探して輸入できるから、むしろ有利なことも多かったんだと思う。

 さて、円高になれば輸入に有利となり、円安になれば輸出に有利となる。これは「現代社会」の授業などで何度も繰り返して説明しテストにも出すわけだが、やっぱり間違える人はいつもいるものだ。今はもうその説明はしないけど、「日本は輸出国」だという通念で言えば、あれだけ激しく円安になったんだから、輸出は急増して、日本の貿易収支は大幅黒字になったはずだ。実際はどうだろう。

 「世界経済のネタ帳」というホームページがあって、大変便利なので今日はこれを利用させてもらうことにする。1980年から2014年までの輸出入額をそこで見てみたいと思う。毎年見ても面倒なので、最初の年の1980、10年後で税収が一番多かった1990、さらに10年後の2000、安倍政権だった2006以後は毎年見ておきたい。単位は輸出入とも、10億USドル最初が輸出、次が輸入
 1980  130.44  141.30
 1990  287.51  235.37
 2000  479.30  379.51
 2006  646.73  579.06
 2007  714.33  622.24
 2008  781.41  762.53
 2009  580.72  551.98
 2010  769.77  694.06
 2011  823.18  855.38
 2012  798.57  885.84
 2013  715.10  833.17
 2014  683.85  822.25

 細かい数字が並んでるので、見にくいと思うけど、これはまた「衝撃的な数字」ではないか。リーマンショックで大幅に縮小した日本の輸出は、民主党政権下で順調に回復したけれど、安倍政権になって減ってしまっているのである。じゃあ、この統計にない2015年はどうだろうか。統計はもう発表されていて、輸出は74兆1173億円。前年度に比べて0.7%減。輸入は75兆1964億円。10.3%減。単位が違うが、減少率が出ているから比較はできる。輸出はさらに減ってしまった。

 これは多分、多くの人が何となく思い込んでいる「常識」に反することだろう。そう言えば、安倍政権でも円安で輸出が増え、それが国民に還元されるなどと主張していない。何でだろうか。それは今は輸出企業も海外進出しているのだから当然だろう。部品から完成品まで日本で作って輸出するなんて、そんな工業製品はまずない。あったら人件費や地代などが高い日本では、ものすごく高い製品になってしまう。だから、完成品は日本で作っても部品は輸入するとか、工場ごと海外に出てしまうとかするわけだ。じゃあ、なんで企業の業績が好調だったかというと、その海外で得た利潤が円安で膨れ上がったということである。 

 その分、大企業は自ら額に汗して稼いだのではなく、為替変動による「追い風参考記録」を得たのである。そうすると、地道に研究して新製品を開発しようと努力する気風が失われる。この間、「日本の大企業は一体どうなってしまったのか」といった会計不正やお家騒動が相次いでいる。ぬるま湯につかっている間に、日本企業の「統治能力」が壊れてしまったのではないか。

 もう一つ、輸出するには相手国が必要である。買ってくれなきゃ、売り様がない。そして、21世紀になってずっと日本の大きな貿易相手先だった「中国」の経済が失速し始めた。安倍政権も、就任後に靖国参拝をして、中国との関係悪化を招いた。第一次政権の時は、参拝の有無を明らかにせず、すぐに中国訪問に踏み切った。小泉首相時代に長く首脳外交が閉ざされていた対中関係の修復を行ったわけである。しかし、第二次政権では早々と参拝し、この結果中国との関係悪化を招いた。そういう環境下では、日中の経済関係が好転するとは考えられない。

 この間の円安で、輸入に頼る食料品の値上げが相次いだ。たまたま原油価格が暴落したので、その分エネルギーや輸送費が安く抑えられている。もし原油高のままだったら、食料品の価格上昇はもっとトンデモナイものとなり、その怒りが選挙に向かったはずである。だから、安倍政権には「運」があった。こうしてみると、円安は国民生活に大きなマイナスをもたらし、その一方輸出も増えず、では一体何の効果があったのかというのが実際のところだと思う。続いて、GDPを考えてみるつもりだったけど、時間が遅くなってしまったので、今日はこれで終わり、さらに続けていくことにしたい。
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