尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「名君」の恐ろしさー「幕末維新変革史」を読む②

2019年01月06日 22時48分58秒 |  〃 (歴史・地理)
 「封建的」(ほうけんてき)という言葉は、僕の若い頃には「古い考え」を否定する時に決めつける言葉だった。明治が古くなった頃で、江戸時代はさらに昔なんだから、もっと古いに違いない。何であれ古いものは「封建的」だからいけないとされていた。高度成長の時代で、日々新たな発展があるのが当然という時代で、「古い」というだけで否定の対象になる。

 じゃあ「封建時代」ってどんな時代なのか、きちんと理解していたわけではない。古代中国やヨーロッパの封建制と、日本の封建制はどこが同じでどう違うのか。僕もよく答えられないけど、とにかく江戸時代までは主君が臣従する武将に土地の領有権を保証する仕組みの社会だった。身分は基本的には固定され、職業は身分によって受け継がれる。

 僕にはそういう社会は、断固とした「悪」に思えた。近代になって、身分が「解放」されたのは、全く正しいことだと思ってきた。しかし、人々は「身分」によって生業も保証されていた。当時の人には国家が「国民」を個人として把握し、税負担や徴兵や子どもの通学などを強制する世の中は、全く理解不能だっただろう。「幕末維新変革」はペリー来航に伴う「ウェスタン・インパクト」(西洋文明の衝撃)から生じたもので、日本国内の内発的な発展によるものではない。

 当然のこととして、変革の推進者は支配階級内部から出て来た。領主レベルで「開明的」な君主も現れたが、上級武士どころか下級武士が藩論を動かすところも多かった。それらを見て行くと、やはり武士という存在は「主従意識」を超えられないと思う。なんとか超えゆける人はほんのわずかで、大体は最後まで主君への臣従意識で行動してしまう。身分の上下という意識を乗り越えるのが、いかに大変か。人はすべて時代の中で生きているということなのだ。

 具体的に見てみる。維新に功があった藩をよく「薩長土肥」という。薩摩藩(鹿児島藩、島津家)、長州藩(萩藩または山口藩、毛利家)、土佐藩(高知藩、山内家)、肥前藩(佐賀藩、鍋島家)である。ある程度歴史に詳しい人は、薩土肥の幕末期の藩主(前藩主、藩主の父)の名前を知ってるだろう。でも毛利家の当主を言えるだろうか。僕も調べないと判らない。長州藩では藩主が引っ張るのではなく、その時々の有力な藩論に従って動いた。最初が「航海遠略」、次に「尊王攘夷」、禁門の変に負ければ恭順、そして討幕へ。家臣は有名だけど、藩主は無名。

 反対なのは、幕末の「四賢候」と言われる人々、特に宇和島藩の伊達宗城(だて・むねなり)である。殿様の名前しか知らない。殿様が偉いから、臣下は脱藩して志士になったりしない。越前藩も似ている。肥前藩の鍋島直正(維新前は直斉、号は閑叟=かんそう)も同様。明治以後に多くの人材を輩出するが、幕末期の志士がいない。藩の統制が強く、勝手に脱藩できなかった。直正も勤皇、佐幕といった政局に関わらず、洋式軍備充実に力を注いだ。もともと長崎警備担当藩で、ナポレオン戦争が波及したフェートン号事件で佐賀藩が処罰された屈辱を晴らすため、大砲製造技術に力を注いだ。名君いるところ、臣下は有名になれない
 (鍋島直正)
 「名君の恐ろしさ」を最もよく示すのは、土佐藩の山内容堂(豊信=とよしげ)だろう。土佐藩は成り立ちが複雑で、外様大名ではあるものの、関ケ原で東軍に属した山内家が西軍に属した長宗我部盛親の後に入部した。山内家には徳川恩顧意識が強い。土佐藩では山内家に従って土佐入りした上級武士と、元からいた郷士層との差が激しい。坂本龍馬や中岡慎太郎は郷士クラスで、山内家への臣従意識が低く何度も脱藩する。土佐勤皇党を組織した武市半平太は、上級武士だが容堂に憎まれ切腹を申し付けられる。さっさと脱藩すればいいのにそれができない。藩主は藩内武士の成敗権があるから、裁判なしで命を奪える。殿様は恐ろしい。
 (山内容堂)
 薩摩藩の場合は事情が複雑だ。四賢候の一人とされる島津斉彬(なりあきら)が早く死んで、異母弟島津久光の子、忠義が養子となって藩主を継いだ。事実上、久光が藩主権を行使したが、タテマエ上は無位無官だった。その人物が兄に対抗するつもりか、兵を率いて上京して天皇の命令を得て江戸に下った。実に破天荒の出来事で、それが成功してしまった。ムッソリーニのローマ進軍みたいなものか。その帰りに生麦事件が起きる。僕もよく「英国人リチャードソンらが大名行列を横切り」と説明したが、よく考えたら久光は大名ではない。
 (島津久光)
 久光は「名君」ではない。斉彬が抜てきした西郷隆盛が何度も流刑にあうのも、久光が西郷を使いこなせないからだ。幕末史のある段階で、西郷や大久保は久光を見限っている。後は藩士レベルで藩論をまとめ、長州と組んで討幕に持ってゆく。久光が「名君」として藩を完全に掌握していたら、薩長同盟はできなかったと思う。その意味で、長州藩や薩摩藩、両者を結び付けた坂本龍馬などごくわずかの人々しか、藩と主君を超えた政治意識を持てなかった。「名君」などいない方が部下が活躍できる。これは今の学校や会社にも言えるんじゃないか。
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「水戸学」と「平田国学」ー「幕末維新変革史」を読む①

2019年01月05日 23時06分34秒 |  〃 (歴史・地理)
 年末は宮地正人幕末維新変革史」(上下、岩波現代文庫)をずっと読んでいた。何しろ上下2巻合わせれば、計1100頁にもなろうという研究書なので、全然進まない。2012年に原著が出て、その時から読みたいと思っていた。近所の図書館にもあるけれど、分厚いなあと思ってるうちに、「明治150年」の年に岩波現代文庫に入った。高いけど、思い切って買ってしまい、買った以上は読まないともったいないから読み始めた。

 この本は一般向きに勧めるには長すぎる。まあ読まなくてもいい、というか普通は見ただけで敬遠するだろう。でもたくさんの重要な指摘が詰まっている。近代史に関して深く考えたい人は是非読んでおくべきだ。史料もいっぱい入っているから、損はない。(読む時は史料は適宜飛ばしていい。)宮地氏の最初の著書は「日露戦後政治史の研究」だが、その後さかのぼっていって、幕末期の研究が主になった。ペリー来航から西南戦争まで、たった一人で全部書いちゃう人は今後出ないと思う。僕もずいぶん幕末維新期の本を読んできたけど、小説以外では一番長大な本だ。(小説を入れれば「龍馬がゆく」だろう。)

 何しろ幕末維新の全過程が論述されているから、いろんな問題が出てくる。全部書いてるヒマはないが、せっかく読んだからいくつか書いておきたい。この本では「巨視的」な観点と「微視的」な観点、政局史的な分析と地域史人物史的な分析が交互に織りなされている。そのような構成自体が重要だと思うが、特に「国際的な視点」を重視している。世界史の前提を押さえるための記述が長くて、200頁読んでもペリーが来ただけ。

 さて、ペリーに遅れること一カ月半後に、ロシアのプチャーチンが長崎に来る。そのことはどんな教科書にも出ているが、ちょうどその頃ロシアは英仏とのクリミア戦争が始まり、極東の海上でもし烈な争いが起こったことはこの本で初めて詳しく知った。ペリーが来た時に、そのことはあっという間に全国に広まった。武士に限らず、豪農、豪商層には藩単位を超えた「公論」ともいうべき言論空間が成立していた。そのことの重要性をことある度に史料で示してゆく。

 特に「水戸学」と「平田国学」の盛衰は非常に興味深かった。幕末政局の激動は、井伊大老による「勅許なしの(日米修好通商)条約調印」に対して、朝廷が水戸藩に「密勅」を下すことで始まる。その横紙破りの破天荒な事態に対し、幕府(井伊大老)側も苛烈な大弾圧(安政の大獄)で対抗した。この段階では「水戸藩」が政局の波乱要因であり、そのイデオロギー的背景が「水戸学」である。水戸藩で熟成された朱子学的名分論は、確かに「尊王論」ではあるけれど、御三家である水戸藩が反幕府であるわけがない。「水戸藩」はパンドラの箱を開ける役割を担って、その後壮絶な内戦を起こして人材が完全にいなくなってしまった。

 一方、平田篤胤(あつたね、1776~1943)の国学は幕末に大きな影響を与えた。近代日本文学の最高峰、島崎藤村「夜明け前」を読んだ人は、そのことを印象深く覚えているだろう。(この本でも折に触れて、「夜明け前」事情が語られている。)平田篤胤自体は天保時代に死亡しているが、私塾の「気吹舎」(いぶきのや)を養子の鐵胤(かねたね)が継いで、「没後の門人」を取っていた。しかし、平田国学はどうにも神がかり的すぎて、僕には理解不能だ。

 でもこの本の史料を見ると、人々がなぜ平田国学を求めたかが何となく判る気がした。水戸藩の勢威が衰え「水戸学」の威信も落ちる。「儒学」や「仏教」を否定する平田国学は、今から見るとあまりにも偏狭な気がしてしまう。しかし、儒仏の発祥地であるインドや中国はどうなっているか。イギリスに負けて植民地(半植民地)になっているではないか。儒教、仏教に頼っても「洋夷」に勝てるのか。今信じるべきは、元寇を打ち払った「神国」日本ではないのか。外国事情に詳しくない段階で、人々が国学に惹かれて行ったのも当然か。「偏狭なナショナリズム」と決めつけるだけでは、当時の人々の切なる思いに気付かなくなる。
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映画「恐怖の報酬」、原作とリメイクを見る

2019年01月04日 23時06分34秒 |  〃  (旧作外国映画)
 注意していると、ずいぶんたくさん昔の映画を見られるもんだ。池袋の新文芸座のクラシック映画特集で、フランスのアンリ=ジョルジュ・クルーゾー(Henri-Georges Clouzot、1907~1977)の「恐怖の報酬」と「悪魔のような女」の2本立て。ミステリー映画として有名な「悪魔のような女」は実は初めてなので、シモーヌ・シニョレとヴェラ・クルーゾー(監督夫人)の絡みを大いに楽しんだ。もう一本の「恐怖の報酬」は昔見ていて久しぶり。最近1977年にウィリアム・フリードキン監督によって作られたリメイク版が公開されているので、両方を比べて紹介することにしたい。
 (クルーゾー版)
 1953年に作られたクルーゾー監督版は、カンヌ映画祭グランプリ(男優賞も)とベルリン映画祭金熊賞を受賞している。昔は両方に出品することができたのか。(カンヌは今はパルムドールという最高賞ができたけど、当時はグランプリが一番上だった。)日本でも1954年のキネマ旬報ベストテンで2位になっている。世界中で大評判になった非常に有名な作品で、「南米奥地でニトログリセリンをトラックで運ぶ」というシチュエーションそのものが圧倒的な迫力である。僕らは「そういう映画だ」と知って見るからあまり感じないけど、最初に見た時は大興奮しただろう。

 53年版の主役はイヴ・モンタン(1921~1991)で、大スターの若き日を堪能できる。歌手としては「枯葉」などをヒットさせていたが、俳優としては活動初期にあたる。南米(ベネズエラの設定)の田舎町に流れ着いた男たちの過去は描かれない。スペイン語の現地民衆の中に、フランス語や英語を話す人もいる。アメリカの石油会社サザン・オイル(SOC)が事実上の支配者になっている。原油火災が発生し、爆破するしか手がないとなり、流れ者たちにニトログリセリンを運ばせる。2台×2人が選ばれ出発するが、さまざまな障害が連続する。

 そこらへんの基本構造はリメイク版も同じ。だけど、リメイクでは雨と泥の印象が強いのに対し、原作ではなんとトラックに幌もないのでビックリ。ロケした時点が乾季で、雨の心配はなかったんだろう。狭い道や障害物は同じだが、原作はパイプラインが破損していて「原油池」を渡らないといけない。一方、リメイクでは壊れかけた板のつり橋を渡り切れるかがアクションの見せ場になっている。どっちがどっちという比較はできないが、アクション映画としてはリメイク版も優れている。
 (フリードキン版)
 ウィリアム・フリードキン(1935~)は、「フレンチ・コネクション」(1971)でアカデミー作品賞、監督賞を受賞、続くホラー映画「エクソシスト」(1973)も世界的に大ヒットした。70年代初期に一番活躍していた監督だが、次の「恐怖の報酬」(1977)は金をかけた割りには興行も評価もいま一つだった。世界版は30分近くカットされ、日本でもそれが公開されたが、僕も見たかどうか覚えてない。監督自身が権利を獲得して4Kデジタルリマスター化したものが、今日本でも公開されている。
 
 男たちが吹き溜まりにやってくるには訳があるはずだ。それを律儀に描いているのがフリードキン版で、なかなか南米にならない。それらのシーンが必要かどうかは、僕は疑問。背景を不問にしてニトロ運びに集中する方がいいと思うが。過去を知ってると、理に落ちたり余計な同情をしてしまう。しかし、基本ベースは原作と同じ設定なので、どうなるかが観客には判っている。リメイク版の主演はロイ・シャイダーで、「フレンチ・コネクション」「オール・ザット・ジャズ」で2回アカデミー助演男優賞にノミネートされている。僕はけっこう好きな俳優だったけど、主演していたのか。

 全体的には、もとの脚本も担当したクルーゾーの功績が圧倒的に大きいと思う。アクション映画的にはフリードキン版も捨てがたいけど、映画そのものとしてはクルーゾー版の方が上だろう。映画内に余計なものがなく、ストレートに進行する。まあ、その後もう少し付け加えたくなってしまうのも理解できるけど。アンリ=ジョルジュ・クルーゾーは戦時中にデビューして、「密告」「犯罪河岸」など犯罪映画を作った。1949年の「情婦マノン」も有名。ヌーヴェルヴァーグ以後、フランスの文芸映画が否定されてしまい、ジェラール・フィリップ主演映画を除いてフランス文芸映画が忘れられていて残念な気がする。狭心症の薬でもあるニトログリセリン(C3N3H5O9)って何だろうということも昔から疑問だった。昔は爆発事故も多かったが、今は原液として出荷することはないそうだ。
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亀有で新春落語を聴く

2019年01月03日 21時25分25秒 | 落語(講談・浪曲)
 2018年後半は演劇や落語などにほとんど行ってない。健診でいろいろと引っかかるようになっちゃって、二次健診みたいなのが多かった。特にピロリ菌除去治療をしたときには、抗生物質の副作用がけっこう大変だった。医者にいくたびに何千円かかかって観劇代が飛んでいく。それと別に、紀伊国屋ホールや上野鈴本などは椅子席が狭いから、もうかなりつらいのである。

 まあそんなことばかり言ってても何だから、新春は夫婦で落語と決めて、亀有リリオホールの新春寿寄席を取ってあった。亀有というのは、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の亀有。北千住から地下鉄で2駅だけど、JRの駅である。駅前のイトーヨーカドーの上がホール。何回か行ってるけど、落語で行くのは初めてだと思う。寄席の正月初席にも今まで何回か行ってる。でも沢山の芸人が入れ代わり立ち代わり出てきて、本格的に落語をする余裕がない。新春のあいさつと小話程度で終わったりするから何だかなという感じ。最近の正月は近くのホール落語だ。

 今年の上野鈴本初席のトリは1部が柳亭市馬、2部が古今亭菊之丞(きくのじょう)、3部が柳家三三(さんざ)なんだけど、新春寿寄席では菊之丞、三三が出て、さらにトリが柳家権太楼というお得な豪華出演陣。その前に春風亭昇也(昇太の弟子の二つ目)、柳亭左龍の「鹿政談」。そして菊之丞の「幾代餅」。菊之丞は今年の大河ドラマ「いだてん」の古今亭志ん生(ビートたけし)の技術指南をやってると言ってた。仲入りをはさんで、三三の「転宅」。トンマな泥棒が妾宅に忍び入るがだまされる話。演じ分けが絶妙で僕は一番面白かった。

 トリの権太楼は今一番面白い落語家の一人だけど、今日も絶妙の大熱演。権太楼はマクラも面白いが、今日もつい聞き入ってしまった。噺は「笠碁」(かさご)で町内の碁仇どうしの争いごとで爆笑させる。近年寄席で聞くと、大体「代書屋」だった。「笠碁」も聴いてるけど久しぶり。権太楼は絶対に寄席で聴いておく噺家だと思う。菊之丞、三三、権太楼三人とも、今日もその後に上野鈴本がある。正月は駆け回って忙しいんだろうと思う。まあ次は寄席に行きたいな。ホールで聴くのと違って、寄席には伝統文化に触れているムードがあるのも確かだから。
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ブラッドリー・クーパー監督「アリー/スター誕生」

2019年01月02日 21時04分27秒 |  〃  (新作外国映画)
 年末年始の所感をまとめるつもりが、どうもその気になれいまま、ミステリー読みに集中していた。今年の初映画は近所の映画館で夫婦で見た「アリー/スター誕生」。日本では「ボヘミアン・ラプソディ」の大ヒットに隠れてしまった感じだが、アメリカでは賞レースでも有力視されている。僕の見るところ、年間ベストとまでは言えないけど、とてもよく出来た映画だった。特に主演のレディ・ガガ(1986~)が素晴らしくて必見。監督デビューのブラッドリー・クーパー(1975~)も大注目である。

 〝A Star Is Born”という映画は、今まで4回作られている。細かい話は後で書くけど、前の映画を知らなくても筋は定番だから事前に想定できる。実力はあるが売れていない歌手(女優)が、ふとしたきっかけで男性の大スターと知り合う。そこから思わぬ大成功への道が開けてゆき、二人の間には恋愛も始まるが、しかし成功には苦い代償も伴うのだった…。簡単に書いてしまえば、そういうことになる。それが「スター誕生」(あるいは「スタア誕生」)という物語である。

 ウィキペディアを見ると、この企画はもともとビヨンセ主演、クリント・イーストウッド監督で進められていたらしい。それも素晴らしい映画になったのではないかと思うが、相手役がなかなか決まらず、ビヨンセの都合も合わず、結局ブラッドリー・クーパーが製作、共同脚本、監督、主演(歌も)と全面的に大活躍することになった。主演女優はレディ・ガガに決まり、撮影がスタートする。しかし、この段階ではレディ・ガガの歌唱力しか確実なウリがない。

 だけど驚くべきことに、レディ・ガガの繊細な感情表現が素晴らしく、ゴールデングローブ賞の主演女優賞にノミネートされている。アカデミー賞ノミネートも有力だろう。ウェートレスが夜のバーで歌っている。そこで出会う大スター。自信のなさが高揚へと移りゆくさまを絶妙に演じて、女優開化である。一方、ブラッドリー・クーパーもゆれ動く心情をレディ・ガガに合わせて演じていて、確かな演出力を見せている。歌のシーンも自分でやっていて、現実の大スターとしか思えない存在感。クーパーは「アメリカン・スナイパー」などで3回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされているが、ロバート・レッドフォードみたいに監督賞でオスカーを取ってしまうかもしれない。

 最初の「スタア誕生」は1937年のアメリカ映画。この時はハリウッド女優の話で、主演はジャネット・ゲイナー。聞いてもすぐに思い出さないけど、無声映画の傑作「第七天国」「サンライズ」に主演していた人で、第一回アカデミー賞主演女優賞受賞者である。それをミュージカル風にしたのが、1954年の「スタア誕生」。ジョージ・キューカー監督、ジュディ・ガーランド主演。もちろん「オズの魔法使い」のドロシーだった女優だが、その後は波乱の人生を送った。「スタア誕生」で久しぶりに主演し大成功をおさめたが、オスカーを取れずに悲劇の人生を送る。

 女優の話を音楽業界に変えたのが3回目の「スター誕生」(1976年)で、バーブラ・ストライサンドが主演して、アカデミー賞歌曲賞を受賞した。相手役はクリス・クリストファーソンで、僕はこの映画は同時代に見ている。「スター誕生」というドラマは、ジュディ・ガーランドやバーブラ・ストライサンドなどがやることで作られてきたイメージがある。映画内で「鼻」でスター向きじゃないと言われているレディ・ガガが主演することで成功している。

 「レディ・ガガ」という芸名は、クイーンの「レディオ・ガ・ガ」から来ている。クイーンあるいはフレディ・マーキュリーの「親日家」ぶりは触れられているが、レディ・ガガも東日本大震災直後に来日してコンサートを行ったり日本への親近感を持っていることで知られる。日本では「アリー/スター誕生」が映画でも音楽でも出遅れているようだが、この映画ももっとヒットしていいと思う。映画の作り方は「ボヘミアン・ラプソディ」よりずっと現代風で、うまく作られている。
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