今まで新年に「年頭所感」のようなものを書く年が多かった。今年は書いてないので、ここで「このブログについて」をテーマにして簡単に書いてみたい。2011年2月にブログを開設した時は「尾形修一の教員免許更新制反対日記」だった。5年経ったころに「紫陽花通信」に変更した。「紫陽花通信」の由来は、年末に書いた「見田宗介『現代社会はどこに向かうか』を読む」に書いたので、今回はその前の名前部分について書いておきたいなと思う。
ブログを始めた時は、まさか一カ月後に東日本大震災が起こるとは全く予想もしてなかった。この大震災は僕の人生も大きく変えたけれど、ともかくそれ以来ほとんど7年間毎日のように何か書いてきた。昔は勢いに任せて一日に2回書いたりする日もあった。今読み返すと、なんでこんなに長く書いてるんだろうと思う記事が多い。時たま見直して校正することもある。昔の記事でもう賞味期限が切れたものは「下書き」にして読めなくすることもある。(いまさら民主党政権時の内閣改造とか、その後の衆院選、参院選の情勢分析なんて関心がある人もいないだろう。)
どうしても時事問題で書くと、時間が経つと何が問題なのかも自分でつかめなくなる。日々のニュースを見て、いろいろと感じ考えているんだけど、今はいちいち反応しないようになってきた。(国内ニュースに比べて国際ニュースは賞味期限が長い気がする。)この間いろんな記事を書いてきたので、一日二日記事を書かなくても、昔の記事が読まれることが多い。最近ではベラ・チャスラフスカの記事が突然読まれれていたけど、これは池上彰氏のテレビ番組があったからだろう。最近西加奈子「サラバ!」の記事が読まれているけど、そのきっかけは判らない。
最初は誰も知らないから、当然ブログの順位なんてものも出ていなかった。身近な人が見つけやすいようにと言う意味で、「尾形修一」と実名を付けたのである。教員免許更新講習を受けずに、2011年度をもって退職してしまったので、その後の自分が何を考え何をしているのかを示すのは一種の義務だとも思っていた。かつての生徒がこのブログを探すには、名前を付けておくのが最善だろう。実名で書かない限り、探しようもない。長く教員をしていたから、自分の名前で検索されるのは予想できる。最近は趣味的だったり、歴史の話をけっこう難しく書くようになってきた。でも当初は昔の生徒に向けて書いている意識が強かった。
ネット上で匿名、あるいはペンネームなどで発言するのはもちろん構わない。誹謗中傷的な発言が許されないのは、匿名だろうが実名だろうが同じである。でも、きちんとした批判なら、匿名でも構わないだろう。だから、僕が実名を付けているのは、「発言に責任を示す」という意味じゃない。もともと僕は何回か、自分が責任者となって集会を開いたことも何度もある。だから実名は前から社会に公開しているようなものだ。今さら選挙に出るじゃなし、名前を売るつもりもないけど。
僕がやってるgooのブログは全部で285万ぐらいあるらしい。ちょっと前は300万を超えていたので、ブログのブームも落ちついているんだろう。でもツイッターは短すぎるし、インスタグラムで写真を投稿するのもめんどくさい。だから僕は今のところ、Facebookとブログである。Facebookに連動した「いいね」なんて、自分が頑張って書いた記事には少ないことが多い。今では大体千番以内、最近は500番以内の順位の日が多いから、もう僕の知らない人が読んでくれているんだと思う。
その意味では名前を取ってしまってもいいんだけど、去年だけでもずいぶん昔の生徒から連絡をもらった。最近はブログ経由より、FacebookのMessenger経由が多いけど。(ちなみに僕は自分が知っている人からの友達リクエストはすぐにOKしている。知らない人からリクエストは、相手を調べてからにしているけれど。)何をしているのかなと思っている昔の生徒はまだまだいるので、しばらくはこの名前のままで行こうかなと思っている。
ブログを始めた時は、まさか一カ月後に東日本大震災が起こるとは全く予想もしてなかった。この大震災は僕の人生も大きく変えたけれど、ともかくそれ以来ほとんど7年間毎日のように何か書いてきた。昔は勢いに任せて一日に2回書いたりする日もあった。今読み返すと、なんでこんなに長く書いてるんだろうと思う記事が多い。時たま見直して校正することもある。昔の記事でもう賞味期限が切れたものは「下書き」にして読めなくすることもある。(いまさら民主党政権時の内閣改造とか、その後の衆院選、参院選の情勢分析なんて関心がある人もいないだろう。)
どうしても時事問題で書くと、時間が経つと何が問題なのかも自分でつかめなくなる。日々のニュースを見て、いろいろと感じ考えているんだけど、今はいちいち反応しないようになってきた。(国内ニュースに比べて国際ニュースは賞味期限が長い気がする。)この間いろんな記事を書いてきたので、一日二日記事を書かなくても、昔の記事が読まれることが多い。最近ではベラ・チャスラフスカの記事が突然読まれれていたけど、これは池上彰氏のテレビ番組があったからだろう。最近西加奈子「サラバ!」の記事が読まれているけど、そのきっかけは判らない。
最初は誰も知らないから、当然ブログの順位なんてものも出ていなかった。身近な人が見つけやすいようにと言う意味で、「尾形修一」と実名を付けたのである。教員免許更新講習を受けずに、2011年度をもって退職してしまったので、その後の自分が何を考え何をしているのかを示すのは一種の義務だとも思っていた。かつての生徒がこのブログを探すには、名前を付けておくのが最善だろう。実名で書かない限り、探しようもない。長く教員をしていたから、自分の名前で検索されるのは予想できる。最近は趣味的だったり、歴史の話をけっこう難しく書くようになってきた。でも当初は昔の生徒に向けて書いている意識が強かった。
ネット上で匿名、あるいはペンネームなどで発言するのはもちろん構わない。誹謗中傷的な発言が許されないのは、匿名だろうが実名だろうが同じである。でも、きちんとした批判なら、匿名でも構わないだろう。だから、僕が実名を付けているのは、「発言に責任を示す」という意味じゃない。もともと僕は何回か、自分が責任者となって集会を開いたことも何度もある。だから実名は前から社会に公開しているようなものだ。今さら選挙に出るじゃなし、名前を売るつもりもないけど。
僕がやってるgooのブログは全部で285万ぐらいあるらしい。ちょっと前は300万を超えていたので、ブログのブームも落ちついているんだろう。でもツイッターは短すぎるし、インスタグラムで写真を投稿するのもめんどくさい。だから僕は今のところ、Facebookとブログである。Facebookに連動した「いいね」なんて、自分が頑張って書いた記事には少ないことが多い。今では大体千番以内、最近は500番以内の順位の日が多いから、もう僕の知らない人が読んでくれているんだと思う。
その意味では名前を取ってしまってもいいんだけど、去年だけでもずいぶん昔の生徒から連絡をもらった。最近はブログ経由より、FacebookのMessenger経由が多いけど。(ちなみに僕は自分が知っている人からの友達リクエストはすぐにOKしている。知らない人からリクエストは、相手を調べてからにしているけれど。)何をしているのかなと思っている昔の生徒はまだまだいるので、しばらくはこの名前のままで行こうかなと思っている。