どんどん焼きの話がもう1つあったのに何時の間にか何処でも燃やし終わってしまい出遅れた。どんどん焼きでは松飾りなどを燃やしたりするが、これに先駆けて家の中にも松とは別に上の絵のような飾り付けをする。山から木を取ってきて小枝にミカンをさしたり繭に見立てた団子を刺したりするのだ。家によっては3mくらいの広がりで天井に届くような木だったりするけど多くは子供の背丈くらい。
どんな木を使うかというと場所によって様々のようだ。山梨ではダンゴバラと呼ばれている木を使うけどそれは俗称。で、その正式名称が分った。親が聞いてきた話だとヤマボウシだそうだ。電話で聞いたので自分の目で確めたわけでもないし写真も無いのが今一つ。なので来年はその様子を写真で紹介してみたい、ってこれは去年の今頃思ってたこと。こういうのを来年の事を言うと鬼が笑うっていうのかな。
女性は子供を産む機械発言、その言い訳に少子化問題はわかりにくいので、モノの生産に例えて機械などという表現を使った。とあった。女性は子供を産む気かい?って言ったんだよなんて言い分けはあるかなと思ったけど装置がねぇ。それはそうっちゃって言ったんだなんてのはちと厳しい。
だいたい喩えるほど難しい話とはとうてい思えない。では何故喩え話をしようとするのか。自分を振り返ってみると分り易く説明したいというのがある。でもそうではなくてそのままでは相手には理解して貰えない、というよりこの相手では理解出来ないだろうという勝手な思い込みがあった。
だけど最後まで説明の辻褄が合うような上手い喩え話は滅多に無い。それどころか喩え話が話を余計複雑にすることがあり、何を言いたいのか分らない状態になる。どちらかというとそんな回りくどい説明なんかせずにそのまま話をした方が良かった事の方が多いなぁ、と最近思うようになった。
だいたい喩えるほど難しい話とはとうてい思えない。では何故喩え話をしようとするのか。自分を振り返ってみると分り易く説明したいというのがある。でもそうではなくてそのままでは相手には理解して貰えない、というよりこの相手では理解出来ないだろうという勝手な思い込みがあった。
だけど最後まで説明の辻褄が合うような上手い喩え話は滅多に無い。それどころか喩え話が話を余計複雑にすることがあり、何を言いたいのか分らない状態になる。どちらかというとそんな回りくどい説明なんかせずにそのまま話をした方が良かった事の方が多いなぁ、と最近思うようになった。