野球やゴルフが趣味でもその世界のトップの人と会えるってのは極めて稀。それがクライミングだとそうでもない。同じ壁で一緒になることがあるのだ。勿論やってる内容は段違い。だから世界の頂点を極めた人と挨拶するくらいの知り合いになることが可能だ。佐久に引っ越してから数年ほど経った時に川上村のイベントでその人と会った。その時「 長野の生活はどうですかぁ? 」と言われてたまげた。というのも古い知り合いなのにいまだに山梨の年賀状を送り続ける人が何人も居たからだ。超一流の記憶力は凄いんだなと思った。
映画は映画館ではなくテレビで観る。すると「 これ、前に見たことがあるような気がする 」とヨメに聞く。そのうちヨメも 「 私も見たような… 」と言う。1時間近く観た頃、「 あ、やっぱり前に観たわ、この後この人は… 」というひと粒で二度美味しい世界。最近、磯田道史の『日本人の叡智』というのを買って読み始めた。先人の言葉が2ページずつ書いてある。読んでいて気がついた。先に読んだ言葉を次々に忘れてるのだ。読んでる時はなるほどと思っていたのに右から左に忘れていく。
記憶より考える方が高級、そんな風に思ってたけどどちらも大事。例えばワインのソムリエ。味や匂いの違いが分かっただけでは勤まらない。過去に飲んだのを記憶してないとダメなのだ。一流の仕事人になるにはそういう記憶力の有無が物を言う。そんなこんなで一流の人は例外なく記憶力が凄い、というより記憶力が良くないと一流にはなれないような気がする。
中高時代、歴史の授業が嫌いだった。出来事が起きた年を端から覚えて意味あるのかな、本音は覚えるのがヤダなんだけど、そう思っていた。テストでこの問題は出来たなと実感したのがまるで無いのだ。それでよく単位が取れたもんだ。だけど還暦くらいになって思ったのは、詰め込み教育って筋トレみたいなものなのかということだ。覚えたことに意味は無くても記憶力が増す、それが後に役に立つ、そんな感じ。
高校の頃、苦手な歴史は全然頭に入らなかった。ある時仲が良かった友達、そいつも俺と似たような傾向なんだけど、「 分からない5択問題があったら『2』を答えれば正解率が高いという法則を発見した 」と言った。そんな馬鹿なと思ったけど確かに1や5が正解ってのは少ない。4もちょっとって感じだ。3は平凡、すると2ってことか。実際そういう傾向はあった。法則の話に続けて「 この前のテストで全部2と書いたら60点取った 」と自慢してた。俺は出題者の意図を探るようなことを考えていた。う~ん、そんなことにばかり頭を使ってたから…
映画は映画館ではなくテレビで観る。すると「 これ、前に見たことがあるような気がする 」とヨメに聞く。そのうちヨメも 「 私も見たような… 」と言う。1時間近く観た頃、「 あ、やっぱり前に観たわ、この後この人は… 」というひと粒で二度美味しい世界。最近、磯田道史の『日本人の叡智』というのを買って読み始めた。先人の言葉が2ページずつ書いてある。読んでいて気がついた。先に読んだ言葉を次々に忘れてるのだ。読んでる時はなるほどと思っていたのに右から左に忘れていく。
記憶より考える方が高級、そんな風に思ってたけどどちらも大事。例えばワインのソムリエ。味や匂いの違いが分かっただけでは勤まらない。過去に飲んだのを記憶してないとダメなのだ。一流の仕事人になるにはそういう記憶力の有無が物を言う。そんなこんなで一流の人は例外なく記憶力が凄い、というより記憶力が良くないと一流にはなれないような気がする。
中高時代、歴史の授業が嫌いだった。出来事が起きた年を端から覚えて意味あるのかな、本音は覚えるのがヤダなんだけど、そう思っていた。テストでこの問題は出来たなと実感したのがまるで無いのだ。それでよく単位が取れたもんだ。だけど還暦くらいになって思ったのは、詰め込み教育って筋トレみたいなものなのかということだ。覚えたことに意味は無くても記憶力が増す、それが後に役に立つ、そんな感じ。
高校の頃、苦手な歴史は全然頭に入らなかった。ある時仲が良かった友達、そいつも俺と似たような傾向なんだけど、「 分からない5択問題があったら『2』を答えれば正解率が高いという法則を発見した 」と言った。そんな馬鹿なと思ったけど確かに1や5が正解ってのは少ない。4もちょっとって感じだ。3は平凡、すると2ってことか。実際そういう傾向はあった。法則の話に続けて「 この前のテストで全部2と書いたら60点取った 」と自慢してた。俺は出題者の意図を探るようなことを考えていた。う~ん、そんなことにばかり頭を使ってたから…
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