昨日の石焼芋の記事で何の変哲も無いお菓子の器と書こうとした。ところがこの変哲というのが中々興味深いも言葉だったのでこうやって別記事に書くことにした。へんてつってどんな漢字だったのか知らなかったので取り敢えず変換すると変哲と出た。字が合っているのか分からなかったので調べてみるとそれで正しかった。
意味は平凡とかそんなんだけどWeb上から語源のようなものは見つけられなかったけど変な考えというのにたまたま哲って字を使っただけのことかもしれない。
試しに英和辞典で調べると該当するものは無かったし、OCN翻訳で英文に翻訳させても変哲の部分はそのまま漢字になっていた。だから翻訳させるとしたら変哲の部分を特徴などという言葉に置き換えないといけない。
このブログは概ね無知から来る感動から成り立っているのだが、こんな変哲の無い言葉を調べるのも中々厄介だというのが分ったというのも感動というか何というか。こんな具合にけっこう辞書って調べたい言葉が出てなかったりする。目から鱗が落ちるなんかは今では辞書に載ってるけど20年くらい前のだとなんてのが載ってなかったなんてのを見つけたことがある。
意味は平凡とかそんなんだけどWeb上から語源のようなものは見つけられなかったけど変な考えというのにたまたま哲って字を使っただけのことかもしれない。
試しに英和辞典で調べると該当するものは無かったし、OCN翻訳で英文に翻訳させても変哲の部分はそのまま漢字になっていた。だから翻訳させるとしたら変哲の部分を特徴などという言葉に置き換えないといけない。
このブログは概ね無知から来る感動から成り立っているのだが、こんな変哲の無い言葉を調べるのも中々厄介だというのが分ったというのも感動というか何というか。こんな具合にけっこう辞書って調べたい言葉が出てなかったりする。目から鱗が落ちるなんかは今では辞書に載ってるけど20年くらい前のだとなんてのが載ってなかったなんてのを見つけたことがある。
煎餅が入っていた丸い器、捨てるのも勿体無いような、かといって使い道も見つからないということで放置されていた。ふとこの中に石とサツマイモを入れてストーブの上に置いといたらどうだろうという考えが浮かんだ。
中に入れる石を用意するのが面倒だった。庭は石ころだらけとはいえ丁度良い篩がないので小さな飴玉くらいの石で揃えられず不揃い。また石についた泥は案外落ちない。ちょっとがんばって川まで行って拾ってくれば良かったんだけど外は雨。
それでも石焼の準備が終わり芋を入れて数時間。蓋を開けると意外にも甘い臭いがして蒸気が立ち昇った。焦げ目があるとはいえ石焼というより蒸し焼きって感じ。今まで蒸篭で蒸かしたりアルミ箔を巻いてオーブンなど色々とやったことはあるが今回のこの石焼の味が断トツで美味い。適当にやったけど蓋をしておいたのも良かったようだ。何だ神田とローテク恐るべし、だ。
いままで広告が無かったところに最近は広告がある。その広告があることによって消費者が負担する金額が少なくなるという利点はあるかもしれないが何処を見ても広告だらけ。
これを撮ったのは有楽町駅だったかな、向こう側に停まってた電車の外側に広告があった。そのうち都会では何処を見ても広告だらけになりそうだ。お金になるなら何でもアリなんだろうけどやり過ぎ。
明日香村に行ってみたいとヨメが言い出したのは何時だったか忘れたけど、火の路っていう松本清張の小説を読んだらそこに連れてくという約束をヨメとした。苦節3年くらいかな、ようやく読み終わったのが先月の中頃。なので今回の旅行での一番の目的がこの猿石など明日香村の石像物を見ることだった。
この猿石は小説の中では日本人が作ったのではないとか顔も日本人ではないなどと書いてあった。ところが去年の今頃ビリケンさんというのを見た時にこの猿石と似てると思った。そのビリケンさんの顔は俺が持っている大阪人の顔。なのでこの猿石は関西の人、つまり普通に日本人が作ったものだろうと思った。ところがビリケンさんはアメリカ人が作ったっていうからこの説はあっさりとボツになった。
ま、こうやって写真を見比べるとそんなに似てる感じでもないか。それよりも仕草からみて猿石は小便小僧みたいだと思った。だからといってベルギーまで行って見比べるってことはなさそうだな。
岐阜の友達に紀伊半島に行く話をしたら凄く遠い場所だと言われた。特に名古屋から遠いよ、と。実際は思った以上に遠かった。条件さえ良ければ家庭訪問もなんて思っていたが想像以上の遠さはそんな可能性を吹き飛ばした。
連休最後のフルムーン3日目、和歌山から乗った特急は新宮まではガラガラ。大阪から離れるからだろう。しかし新宮から名古屋方面の指定席は全て塞がっていた。アナウンスで途中駅で満席になるっていうんで一旦降りて次の電車に乗ることにした。乗るなら始発がいいだろうということで再び紀伊勝浦まで戻る。本当は1時間くらい前から自由席待ちをしたかったけど30分弱前に着くという微妙な時間。再び座れないかもしれないと心配したがその電車では自由席もまばらだった。
自分の時間感覚では和歌山から新宮までかかった時間と同じくらいの時間で新宮から名古屋まで行けるものだと思っていた。位置感覚はというと津の辺りが名古屋。しかしそれが大きな勘違い。名古屋は伊勢湾の向こう側にあった。時刻表は持っていたけどそこにあるデフォルメされた地図では遠さが分らなかった。それにしても名古屋までは遠かった。
結果的には朝の8時に和歌山を出発して夜中の11時に家に着いた。途中でもう一泊しようと思うくらいだったがヨメ体調がちょっと悪いってことで無理して家まで戻ることにした。まぁ何というか耐久レースみたいなもんだね。でも外国だったらこの程度のことは良くあるかもしれないと思うとそれはそれで楽しめた。それと和歌山と大阪がこんなに近いというのは今回初めて実感。
今回の電車で一番嫌だったのが帰りの新幹線、名古屋で間違って喫煙車に乗ってしまったことかな。しかも座れない。それでも運良く浜松で座れたが一頃よりはマシとはいえ東京までずっと煙の中。品川からは席を立ってデッキに移動。でも東京から佐久平まではグリーン車にも乗れたし、何より長野新幹線は全て禁煙車ってのが良い。
電車の時刻なんてケータイで調べりゃいいじゃんと思うだろうけどそんな気の利いた情報機器は持ち合わせてない。なのでボッケニャンドリ家的には時刻表は必須。時刻表には色々あるが何が良いのか迷った末一番大きなのにした。これは色分けしてあって見易いし、2人で一緒に見るにも大きな方が良い。
しかしそれでも読み違えることはある。これは上越新幹線・長野新幹線だけど、青い文字が長野新幹線である。しかし11時54分佐久平発、この電車は無かった。
よく見ると上の方に注釈がぶら下がってた。始発のところからぶら下げてくれれば良いのに。
本屋で時刻表を選んでる時、大きな文字の時刻表ってのがあった。これは見易いなと思う年頃になったのだと実感したがこれは買わなかった。駅名の読み方が書いて無いのだ。それじゃぁJR和歌山線の布施屋なんて駅に着くまで分らない。なので見知らぬ所に行くにはこれは致命的な欠点だ。読み方はというとほしやってそりゃないだろう。ちなみにJR紀勢線には周参見(すさみ)なんていう駅があった。スサミストリート、なんてのはあるのかなと思った。
ふと窓の下を見ると珍しく庭をキジが歩いてた。じゃぁニワトリだよ、って。珍しいと書いたけどこの辺りではカラスやサギほどではないけど年に数回くらいは見かける。また姿は見えなくても鳴き声はしょっちゅう聞こえる。その鳴き声は鶏みたいに喉から搾り出すような感じであまり好きではない。このキジはゆっくり庭を通過し、道の向こう側の田んぼに行った。下の写真は道を横切るところだけど飛ぶ気はさらさら無いようだ。
サギはこちらの気配を察知するとパーッと飛び立つが、このキジはというと徐々に距離を広げてく。さっさと飛び立てば良いのにのんびり歩いてるのが憎たらしい。去年見た時はカメラを用意してるうちに追いかければ追い付きそうなくらいの速さで向こうに行ってしまった。見えるんだけど写真にはならない。でも今回は気付かれなかったのでまぁまぁの距離で撮れた。鳥もこのくらい大きいと撮るのに助かる。
田んぼでは何やらつついてた。落ちた米でも食べてるのかな。友達の家庭菜園にも良く来て何かを食べちゃうらしい。いくら追っ払ってもやってくるそうだ。権兵衛が種撒きゃキジがほじくる、か。
和歌山の南端といえば連想するのは捕鯨。だけどまぐろの看板を掲げた店も沢山ある。ヨメはこの看板を見てくじら直売だと言ったけど、俺も似たような看板を見ては読み間違えた。でも一緒にしないでネ、俺は声にだして読んだりしないもの。それにしても先入観恐るべし。
写真の太い柱状の物体はヨメの足。エンタシス形式になっている。漁港の近くに無料の足湯温泉があったので一休みした。足を入れて海の方を見ていると良い気分。
JR和歌山線での出来事。飛鳥駅から近鉄で吉野口駅まで来た。同じホームで和歌山線に乗り換えた。といっても近鉄線は幾つもやってくるのにJRは全然来ない。待合室で1時間以上は待ったかな。
ようやくやってきた電車に乗ったら次の駅の北宇智(きたうち)で暫く停車した。単線に慣れてきたので上下線の交換だと思っていた。そしたら電車が何やらゆっくりとバックし始めた。向こうにホームが見えるくらいまで後退しホームも何も無い所で暫く停車。何事が起きたのか誰かに聞けば良かったんだけど皆平然としてるのでこちらも黙って様子を見ていた。すると反対側から電車も何も来ないのに電車は和歌山駅に向かって走り出した。でもさっき停まってたホームとは違う線路。
小田急線だと新宿方面から片瀬江ノ島(かたせえのしま)に向かうと藤沢駅からは電車の向きを変えて別の線路を進むなんてのがある。でもそれとはちょっと様子が違う。後で調べてみたら近畿唯一のスイッチバック駅だった。でもそれを連想するような急なところではなかった。なんでも蒸気機関車が走ってた頃の名残だそうだけどローカル線で単線ってこともあって放置なんだろうな。でもたまに通過する旅人にとってはこういう無駄、っていうかのかな、歓迎。
地図ではどう表現してるのかと見てみるとちず丸ではその様子が分るようになっていた。
北宇智駅のスイッチバック(地図丸)
一方マピオンでは線路の形こそ合ってるけどホームの場所が間違っていた。単なる引込み線と思い込んでたのかな。
マピオンでは駅ホームの場所が間違っている
ようやくやってきた電車に乗ったら次の駅の北宇智(きたうち)で暫く停車した。単線に慣れてきたので上下線の交換だと思っていた。そしたら電車が何やらゆっくりとバックし始めた。向こうにホームが見えるくらいまで後退しホームも何も無い所で暫く停車。何事が起きたのか誰かに聞けば良かったんだけど皆平然としてるのでこちらも黙って様子を見ていた。すると反対側から電車も何も来ないのに電車は和歌山駅に向かって走り出した。でもさっき停まってたホームとは違う線路。
小田急線だと新宿方面から片瀬江ノ島(かたせえのしま)に向かうと藤沢駅からは電車の向きを変えて別の線路を進むなんてのがある。でもそれとはちょっと様子が違う。後で調べてみたら近畿唯一のスイッチバック駅だった。でもそれを連想するような急なところではなかった。なんでも蒸気機関車が走ってた頃の名残だそうだけどローカル線で単線ってこともあって放置なんだろうな。でもたまに通過する旅人にとってはこういう無駄、っていうかのかな、歓迎。
地図ではどう表現してるのかと見てみるとちず丸ではその様子が分るようになっていた。
一方マピオンでは線路の形こそ合ってるけどホームの場所が間違っていた。単なる引込み線と思い込んでたのかな。
ウインドウの中にはボタンがあったりチェックボックスがあったりするけど、それらはマウスが無くても Tab キーを数回入力したりして押したいボタンを選択出来る。ところがWebブラウザに表示されているページの中のリンク部分はマウスでクリックする以外に選択出来ない。これがキー操作で出来たら良いのにとずっと前から思ってたが FireFox 2.0 で可能になった、と思ったら 1.5 からあったよという指摘がありました。また設定画面を開かなくても F7 キー入力で切り替える事も可能でした。
キー操作でリンク先を開けるようにする設定
設定方法は上の絵のようにする。そうするとキャレットが現れるので矢印キーの入力によりリンク先に移動することが出来る。みたいページのリンク先に来たら改行キーを押す。そうするとそのページが開くのが良い。おや? っと思うのは画像を表示した時に画像の大きさに応じたキャレットが点滅するって事かな。
設定方法は上の絵のようにする。そうするとキャレットが現れるので矢印キーの入力によりリンク先に移動することが出来る。みたいページのリンク先に来たら改行キーを押す。そうするとそのページが開くのが良い。おや? っと思うのは画像を表示した時に画像の大きさに応じたキャレットが点滅するって事かな。
(ちなみに新しいタブで開くとか新しいページで開くなんていうことは出来ないようだ。)
一介の小市民であるボッケニャンドリ家が初めてグリーン車に乗ったのは前回のフルムーン。そんな年齢になって初めての経験だ。なので一体グリーン車なんてどんな人が乗るんだろうなんてキョロキョロしてた。そして乗って間もなくお茶が出た。初めて飛行機に乗った時と同じ小さな動揺を感じた。でも今回は連休だったせいか残念ながらそういうサービスは全くなかった。
この連休さえ外してればグリーン車なんてガラガラなんだけど今回はグリーン車そのものになかなか乗る事が出来なかった。でも電車によってはやはりガラガラ。11月4日(日)、和歌山から新宮に向かう特急のグリーン車はボッケ家貸切だった。車両に乗ると運転席が写真のようになっていて丁度小田急線のロマンスカーみたいだった。当然一番前の席に座ったのだが残念ながら席は直ぐに変えた。
何故ならこの紀勢線、特に和歌山から暫くの間はカーブだらけ。しかもそんなところを100km/h以上で走る。まるでモトGPのバイクにでも乗ってるかのように電車は右に左に傾くので乗って間もなくこりゃ溜まらんということになった。
フルムーン・パスの良い点の1つにこうやって席を自由に動き回れることだ。勿論みどりの窓口で一々予約なんてしなくても構わない。乗ってから車掌にパスを見せるだけ。新宮の手前、紀伊勝浦で降りたけど最後の区間では前席の座席の向きを変えて足を伸ばす。本当は乗った時からやりたかったけどそこは気の弱い小市民、それまでは大人しくしていた。
こういう貸し切り状態はとても良い気分なんだけど1つ困ることがある。車内販売である。まるでピンポイント攻撃である。1度目は朝食前だったので駅弁買ったけど、その次の時は何も買わなかった。というのもボッケ家はポットやお菓子持参というケチなグリーン客なのだ。
年賀状は少々遅れても場合によっては来年から相手のが元旦に届かなくなるくらいだが喪中欠礼だとそうもいかない。ヨメとオレサマで双方担当分があるのでそれぞれの責任で書くわけだけど、のんびりヨメに任せておくわけにはいかない。何故なら書いた葉書が年明けに届くかもしれないからだ。
三が日に届いた日にゃ年始の挨拶なのか喪中欠礼なのか分らなくなる。だけど中には忙しさに紛れて書き忘れ、元旦に葉書が届くような失態を経験した人もいるかもしれないな。では11月中に届くようにするには、なんて考えてる余裕はなく気が付いた時に書くのが一番。
それにして年賀状以外で喪中とそうでない時の違いって何だろ。結婚式は喪が明けてからだろうな。お祭りに参加出来ないなんてのもあった。でも他に何か特別な違いは思い当たらない、というか何も考えずに普段の生活をしてる。そんなんだから年が明けたらめでたいモードにリセットしても良いような気がする。
知ってる人には全部出したいが、普段年賀状のやり取りをしてないところだと返って相手に気を使わしてしまいそう。だからここのところ音信普通なところには出さないことにした。まさかね、そんな時に限って、ご無沙汰してます元気ですか、なんて。
三が日に届いた日にゃ年始の挨拶なのか喪中欠礼なのか分らなくなる。だけど中には忙しさに紛れて書き忘れ、元旦に葉書が届くような失態を経験した人もいるかもしれないな。では11月中に届くようにするには、なんて考えてる余裕はなく気が付いた時に書くのが一番。
それにして年賀状以外で喪中とそうでない時の違いって何だろ。結婚式は喪が明けてからだろうな。お祭りに参加出来ないなんてのもあった。でも他に何か特別な違いは思い当たらない、というか何も考えずに普段の生活をしてる。そんなんだから年が明けたらめでたいモードにリセットしても良いような気がする。
知ってる人には全部出したいが、普段年賀状のやり取りをしてないところだと返って相手に気を使わしてしまいそう。だからここのところ音信普通なところには出さないことにした。まさかね、そんな時に限って、ご無沙汰してます元気ですか、なんて。
goo ブログでスポンサー誘導枠ってのが始まった。これって何だろなと思ってたけど今朝分った。記事の下に広告のリンクが幾つかあったのだ。何だかうざったいので非表示にしたけど何処の広告だったのか見るの忘れた。
でも俺の文章読解力も今一つだな。goo からのメールに何かそんな事があると通知されてたような気がしたけど、ある日突然自分の記事にそういうものが現れるなんてのは読取れなかったよ。「 貴方が goo の設定を何もいじらなければ11月15日から勝手にこちらが選んだ広告を表示します。ウザイかもしれません 」 ってこのくらいの文章で教えてくれれば良いのにな。
記事にマッチした広告が表示されるっていうけど他のブログを見る限りそんなことは無さそうだ。というかまるでトンチンカンな広告が出てる。仮にマッチした広告が出たとしても良いとは限らない。怪しい宗教団体やその関係政党、何処とは言わないけどコンペイトウとかそんな名前。そんな内容を書いたらその宗教や政党の広告が出ちゃったりして。
でも俺の文章読解力も今一つだな。goo からのメールに何かそんな事があると通知されてたような気がしたけど、ある日突然自分の記事にそういうものが現れるなんてのは読取れなかったよ。「 貴方が goo の設定を何もいじらなければ11月15日から勝手にこちらが選んだ広告を表示します。ウザイかもしれません 」 ってこのくらいの文章で教えてくれれば良いのにな。
記事にマッチした広告が表示されるっていうけど他のブログを見る限りそんなことは無さそうだ。というかまるでトンチンカンな広告が出てる。仮にマッチした広告が出たとしても良いとは限らない。怪しい宗教団体やその関係政党、何処とは言わないけどコンペイトウとかそんな名前。そんな内容を書いたらその宗教や政党の広告が出ちゃったりして。
「ねぇねぇ、あの人ブログ書いて生活費稼ぐんだってさ」 |
「それは凄いな、でもどうやって?」 |
「スポンサー誘導枠ってのがあって・・・」 |
「見た人がクリックするとお金が入るってやつか」 |
「でも生活が大変なんだってさ」 |
「どうして」 |
「誰もクリックしないから」 |
「広告だらけだとウザイから見なくなるんじゃないかな」 |
「書いてある中味が今一つらしいよ」 |
この幅1m、高さ3mくらいの扉は厚さ10cmくらいの1枚板。元の檜の木はどんな太さだったんだろう。今では山に行っても太い木は殆ど無い。長野の諏訪にある御柱祭りでも太い樅の木が見つからず前回は立科まで切り出しに来た。この扉を作るための木は少なくとも直径1m以上あるが、昔はそんな木が沢山あったんだろうな。今は機械があるから太い木の伐採も簡単なのに太い木が無いのも変な話だ。