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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

【アメリカの61の風景】にさそわれて・2

2009-12-09 11:14:50 | 好きな絵本
アメリカの61の風景』は、東から西へとつながっていきますが、前半で語られた
東海岸の街や、ニューヨークに関する章は、やはり心が躍ります。

「ストリート、リヴィングネス」というタイトルがついている章でも、ニューヨークのことが
こんな風に書かれていました。

  ニューヨークはとりわけ、そんなふうに平凡な言葉がふいに
  粒だってくる、そういう印象を残す街だと思う。街である以上に
  街が辞書であるような街。この言葉のこういう意味を、このとき
  この街で、こういうふうに感じとったという記憶が際立ってのこる街。




この同じ章に、とても惹かれた箇所がありました。
「ストリート」というごく平凡な言葉が、どれほどの深さを持つ言葉かについて、
黒人の女性作家、ヴァージニア・ハミルトンが書いていたことが、
ニューヨークの古書店に居たときに、長田さんの心に浮かんできた、というくだりです。

  通り。界隈。道。地域。街。ストリートというアメリカの言葉は、
  何ともいえないような独特のニュアンスをもつけれども、とりわけ
  北米の黒人たちにとっては、ストリートは特別の意味のある
  言葉だった。ハミルトンによれば、長い奴隷時代に、街も通りも
  ない農園の奴隷小屋にすまねばならなかった黒人たちは、
  その奴隷小屋の並びをストリートとよんでいた。ストリートでは
  日が暮れると、どんどん火を焚いて、でっかい鍋で料理をつくり、
  みんながその鍋から食事をし、静かに話をした。ストリートというのは
  共同生活のことで、北米の黒人たちは、みんなストリート育ちだったのだ、と。



この文を読んだあとで、私の心に浮かんだのは、長田弘さんが訳した
この絵本でした。


 なぜ戦争はよくないか
 アリス・ウォーカー文 ステファーノ・ヴィタール絵 長田弘 訳


たまたま同じ時に図書館から借りてきたせいと、作者のアリス・ウォーカーが
アメリカに住む、黒人の女性作家だから、(私の中では)繋がったのでしょう。


『なぜ戦争はよくないか』  原題は、Why War Is Never a Good Idea

2001年9月11日のテロ攻撃に対して、アメリカがおこなった報復の現実を知り、
衝撃を受けたウォーカーが書いた本に、「タイム」や「ニューヨーカー」のイラストや
本の装丁などで、幅広い活躍しているヴィタールが、力強い絵をつけた、と説明されていました。


話は、こんなふうに始まります。

  戦争はなんでもできる
  どんな国の言葉も話すことができる
  でもカエルたちに
  何をどう話せばいいか
  戦争はなんにもわかっていないのよ


〈戦争〉を擬人化して、やさしい言葉で語られる分、ページを繰っていくたびに
ヒタヒタと何かが近づき、じわじわとその何かが気持ちに中に満ちてきます。

絵は、アジアのどこかの、長閑な農村の風景、大写しになる田んぼのカエル。
そして、カエルを押しつぶそうと、古い大きなタイヤが、開かれたページの
右上から、圧倒的な強さでやってきます。

タイヤは描かれた絵ではなく、本物の写真‥錆びついた釘や、嫌な匂いを放ちながら
固まってしまったにちがいないオイルや、何かざらざらしたものの写真が、
鮮やかな絵にコラージュされて、どのページでも、〈戦争〉の不気味さを表しています。

アジアの農村風景からヨーロッパの田園風景、そしてそこはアフリカに違いないと
思わせる衣装を身に付けた女のひと‥そう世界中のどこにでも
〈戦争〉はやってくるのです。


アリス・ウォーカーは、警告しています。
〈戦争〉がすべてを食べつくしてしまったあとに、この大地に何が残り、
いったん〈戦争〉を受け入れてしまったら、その残ったものをより好みすることなど
私たちにはできやしないのだということを。


もしかして。

〈戦争〉は、〈差別〉や、その他、心の弱いところにするすると入りこんでくる
何かに、置き換えることができるのではないかなと、思いました。

人の気持ちや心は、とてもナイーブだけれど、一度何かに取りつかれてしまうと
その殻をはずすことは難しく、柔軟だったはずの、一番深いところにしまって
あった愛や勇気も、固まったまま、取り出すことが難しくなってしまうのです。
それが自分自身のものであったとしても。

ヒタヒタとじわじわと、近づいてくる〈何か〉には、心の目を大きく見開いて
いなければなりません。





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